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あ・い・う・えっせい

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#エッセイ

アンパンマン、いつもあなたのそばに

 アンパンマンよりバイキンマンが好きだった。理由は黒が好きだから。好きな色というのはその時々でけっこう変わるものである。ナルトにハマっていた頃はオレンジが好きだったし、マトリックスを見終わったあとは緑が気に入っていた。しかし、黒という色は、私が本能的に好んだ色という点で特別である(ような気がする)。  黒という色は人間が認知しやすい色であるらしい。いかなる言語であっても黒と白は区別する。なんなら、黒と白(あるいは「暗い色」と「明るい色」)しか色彩を表す単語が存在しない言語も

いつも心にサロンパス

 私には身体的弱点がいくつかある。高血圧だったり近眼だったり、それなりにあるのだけれど、骨折した右肘というのも、弱点選手団の旗手を任せられるほどの代表格と言ってよい。  中学校ではバドミントン部に所属していた。部員が多かったためか、伝統的に中一の夏休みまでラケットを持つことはもちろん、体育館にも入れてもらえず、三年生が引退してからようやく体育館でシャトルを打てるようになった。それまで延々と学校の周りを走らされる。不良の包囲網をかいくぐりながら(ときに絡まれながら)走り続け、

ウルトラマンは一般人

 「手一本、目ん玉三つ、足六本。これなんだ?」  ある日、マイ・ファーザーにこんな謎々を出された。答えは「馬に乗った丹下左前」であった。丹下左前と聞いても若い人はピンとこないかもしれない。若くない人もピンと来ないかもしれない。丹下左前とは隻眼隻腕の剣士で、彼が馬に乗ると手が一本、目が三つ、足が六本という勘定になるというわけだ。息子にこんな謎々を出す父親もどうかと思うが、さて、このおニューでナウい謎々を手に入れた五歳児は、早速幼稚園の先生に出してみた。今考えると当然だが、先生

江ノ島の桜、たくあん干し

 田舎者にとって東京の地名ほど非現実的なものはないし、真綿色したシクラメンほど清しいものもない。ここでいう東京とは、「広義の」東京である。テレビでよく見聞きする場所が現実に存在していて、そこに人々の営みがあるなんて夢にも思わない。吉祥寺はゆずの歌で初めて耳にしたし、江ノ島はアジカンの歌でしか馴染みがなかった。御茶ノ水は地名としてではなく、鼻の大きな博士の名前としての知識しかなかった。新宿や渋谷なんて、ゴッサム・シティと同じである。高校を出て上京したての頃、これらの地名が実在す

折り紙おりおりおりおりおり

 「最初に〇〇した人はすごい」という話で小一時間盛り上がることがある。ナマコを最初に食べた人とか、コンニャクを最初にこしらえた人とか、色々挙げられるだろう。そんな中で、折り紙とあやとりを最初に発明した人も見上げたものである。見上げても見えないくらいで、首が痛い。  折り紙は日本人が子供の頃から親しむ遊びで、私も自慢じゃないが、折り鶴程度なら今でも折ることができる。本当に自慢にならないのも珍しい。あやとりも、「ゴムゴム」とか「飛行機」とかが作れるオールスターみたいなものであれ

カニの缶詰、貝柱

 カニを食べるとき、人は無言になる。あの無言の作業は、人類が生み出す静寂のなかで最も美しく、そして儚いものの一つであると言われている。私によって。  ポケモンことポケットモンスターは、日本が誇るご長寿コンテンツである。世代的に私はポケモンと共に生きてきたと言っては過言かもしれないが、しかし、子供時代から馴染みのあるものであることは間違いない。  ポケモンから派生した製品は、パチモンを含めたくさんある。そのなかにポケモンパンというのがあった(今もある)。ポケモンパンにはポケ

着物きるきるくるりくる

 着物──文字通りには「着る物」なので、衣服全般を指しても良さそうなものであるが、現代日本語では和服を意味する。一方、「服」は基本的に洋服を指し、「和服」と言わないと和服を意味しない(妙な言い方だ)。「電話」も携帯電話やスマホの普及により、「家電」という新しい語が定着してしまった。ありていにいえば、時代の流れである。  マイ・ホームタウン岡山県は、制服の生産量日本一である。トンボやカンコーといった大手制服メーカーも岡山に本社を構えているのだ。私自身、小中高とすべて制服であっ

クリスマス、たくあんパーティー

 星空を見上げていると、それらの星が何億光年も離れたところにあって、それぞれが惑星を持ち、さらにそれぞれの惑星が衛星を持ち──と、宇宙の壮大さにふと気付かされることがある。似て非なる経験として、渋滞を見ていると、それぞれの車の運転手が皆教習所通っていたという事実にハッとすることがある。このドライバー達もそれぞれが教習所に通い、怒られたり試験に落ちたりしたんだなと考えると、妙におかしな気分になる。  クリスマスの時期も似たような感覚を覚える。地球上の多くの家庭にサンタクロース

結構毛だらけ猫灰だらけ

 目潰しをしたことがある。されたことではなく、したことが。より正確には目潰し未遂である。加害者がいうのもなんだが、それは不慮の事故であった。  高二の時分であった。マイ・ハイスクールの文化祭では、二年生は劇、三年生は模擬店をするという伝統があった。私のクラスも当然劇をすることになったのだが、当時の私はいかんせんバンド活動が忙しく、クラスの活動にほとんど関わっていなかった。文化祭というのは私たちのバンドにとって、一年に一度の晴れ舞台だったのだからしょうがない。  そんなわけ

困った膏薬貼り場がねえ

 「困った膏薬貼り場がねえ」──幼い時分、この「貼り場がねえ」を「ハリバガネ」という一単語と誤解し、針金の進化形みたいなものだと思っていた。文字を未だ知らぬ小さき者は、概してこのような勘違いを起こしやすい。テレビの「ご覧のスポンサーの提供でお送りします」というのも、「ゴランノス・ポンサー」という外国人の名前だと思っていた。おそらくマーク・パンサーとかピンク・パンサーとかの影響も大いにあったのだろう。  我が郷里の先輩、重松清さんの『きよしこ』という短編小説集がある。これは、

サンマの尻尾、ゴリラの肋骨

 数え歌というのがある。概してこういったものは地域差がある。いーち、にー(の)、サンマの尻尾──マイ・ホームタウンではこのあとどうなるかで派閥があり、「ゴリラの息子・娘」派と、「ゴリラの肋骨」派で分かれていた。そのあとは共通して「菜っぱ、葉っぱ、腐った豆腐」で、めでたく十まで数えられるのだが、「息子・娘」か「肋骨」か、おそらく半々くらいではなかったかと記憶している。  言語学的に言わせていただくが、日本語の数詞には和語と漢語がある(そんな大層なことでもない)。前者は「ひとつ

しばらくあいや、しばらくあいや

 法的に問題なく飲酒が可能になった頃、高校の同窓会があった。これは伝統的にマイ・ハイスクールが開くもので、先生方もいらっしゃる会であった。大学の冬休みだったので、私も夜行バスで十時間かけて東京から帰岡した。  卒業してたかだか二、三年であったが、急激な環境の変化もあってか、ひどく懐かしかった。この中にはもう一生会わない者もいるだろうと直感したが、あえてそれを口に出すこともない。当時組んでいたバンドのメンバーとも、しばらくぶりに再会した。  我が母校では、生徒が文化祭のため

すずめ、めだか、からす

 「定石」とはもともと囲碁の用語で、決まりきった最善の手順のことを指す(将棋では「定跡」と書く)。囲碁や将棋に限らず、たいていのものに定石というものは存在する。例えばしりとりでは、まず「りんご」と答えるのが定石となっている感がある。幼稚園の頃、同じばら組のジュンペイくんが、しりとりの初手で「リンカーン・コンチネンタル」と言い、周囲をざわつかせたことがあった。いきなり「る攻め」とは、なかなか嫌な幼稚園児である。すずめ・めだか・からす、という並びも、定石といっていいような流れでは

背骨

 骨折の多い生涯を送って来ました。  今まで三度骨折している。どれも腕の骨折であり、小三のときに右手・左手を一度ずつ、中二のときにはふたたび右手を折った(というか剝がれた)。原因はそれぞれ、スケートボードでの転倒、体育での走り高跳びベリーロールでの着地失敗、部活動での疲労蓄積である。最後のは未だに後遺症が残っている(下記参照)。  小三というのは私にとって伝説といって差し支えのない年で、一年に二度も骨折するなど狙っていてもなかなかできる芸当ではない。家族や学校の先生は開い