しばらくあいや、しばらくあいや
法的に問題なく飲酒が可能になった頃、高校の同窓会があった。これは伝統的にマイ・ハイスクールが開くもので、先生方もいらっしゃる会であった。大学の冬休みだったので、私も夜行バスで十時間かけて東京から帰岡した。
卒業してたかだか二、三年であったが、急激な環境の変化もあってか、ひどく懐かしかった。この中にはもう一生会わない者もいるだろうと直感したが、あえてそれを口に出すこともない。当時組んでいたバンドのメンバーとも、しばらくぶりに再会した。
我が母校では、生徒が文化祭のためにオリジナルテーマ曲を作り、フィナーレで全校生徒の前で演奏し、皆で合唱するという風習があった。三年生のとき、我々がその役目を任された。マイ・ハイスクールも例に漏れず文化祭が盛り上がる。その最終日のフィナーレともなると、生徒のテンションは最高潮である。
ステージに上がった我々に向けられた一千人の歓声を聞いたとき、今までにない多幸感で脳が満たされ、思わずメンバーと顔を見合わせてニヤついた。身体が震え、涙腺が緩み、脈拍もずんずん加速する。指先まで血潮が流れているのが判然とわかった。音楽でもお笑いでもお芝居でも、ライブにはライブでしか感じられない感動がある。それが演者側だと尚更なのだということをそのとき知った。ライブにやみつきになるのもしかたない。これ以上気持ちのいい体験が、この世にあるのだろうか。
「黄色い声」という。言われてみればあの景色には黄色い靄がかかっていた気もする。「あの頃に戻れたら」なんて滅多に考えないが、唯一このひとときだけはもう一度味わってみたい。
会もお開きとなり、同じ中学の同窓生と終電に乗って帰路についた。私たちはしゃべる暇もないほど余韻に浸るのに忙しかった。沈黙に心地好い種類があることは、すでに知って久しい。彼の最寄り駅は私のより二つ前だった。彼は「じゃあ」と言って降車し、私も「お疲れい」と応じた。
独りになった瞬間、乗っていた電車が、矢庭に自らの仕事を思い出したかのように騒がしい音を立てはじめた。そうなると、さっきまで確かに存在した穏やかな静寂にふたたび浸ることは困難を極め、そのことが僅かに私を苛立たせた。
電車が緊急停車をした。鹿を轢いたというアナウンスがあった。こういったことも東京に帰ればしばらくないんだなと考えると、寂しさも一入であった。その後、負傷した鹿が線路を離れたため、電車は運転を再開した。
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