すずめ、めだか、からす
「定石」とはもともと囲碁の用語で、決まりきった最善の手順のことを指す(将棋では「定跡」と書く)。囲碁や将棋に限らず、たいていのものに定石というものは存在する。例えばしりとりでは、まず「りんご」と答えるのが定石となっている感がある。幼稚園の頃、同じばら組のジュンペイくんが、しりとりの初手で「リンカーン・コンチネンタル」と言い、周囲をざわつかせたことがあった。いきなり「る攻め」とは、なかなか嫌な幼稚園児である。すずめ・めだか・からす、という並びも、定石といっていいような流れではないだろうか。
高校時代、もう一人志賀という苗字のクラスメイトがいて、彼は志賀修(しゅう)といった。私が十五(じゅうご)なので、出席番号でいうと彼のほうが一つ前ということになる。高校二年から文系と理系に分かれ、高二・高三とほぼクラスのメンバーが変わることがなく、二年間彼の後ろに私がいる形であった。もちろん席替えはあったけれど、テストや模試のときは出席番号順に並ぶので、常に彼の背中を見ながら試験を受けていた。自惚れを承知していうと、彼も私の息遣いを背中で感じていたはずだ。
センター試験(現共通テスト)は地元の岡山大学で受けることとなっており、そこでは学校に関係なく五十音順に座ることになっていた。見慣れた修くんの背中を見ながらセンター試験を受けられると安心しきっていた。が、魂飛魄散、当日なんと修くんと私との間に、他校から来た知らない「志賀」がいるではないか!
推察するに、シュウとジュウゴの間なので「シュウイチ」とかそこら辺の名前だったのだろう。修くんと私が前後に並ぶというのは、試験における私の定石であった。いや、きっと修くんにとっても定石だったはずである。その定石を踏めなかったことに軽い動揺を覚えつつも、なんとかセンター試験を終え、紆余曲折を経て現在に至る。
センター試験の時期というのは、日本で最も寒くなる時期であるという説がある。雪が降ったり槍が降ったりと、イレギュラーなことも起こりうる。やはりそういうときに支えとなるのが定石である。大事な試験だからと言って特別なことをするのではなく、いつも通りのことをいつも通りすることだ。修くんの背中が見られなくて寂しいぜとか、面白いこと言っている場合ではない。
そういえば、「国語」はいつも、古文、漢文、評論、小説、の順で解いていた。比較的得意な古文や漢文をとっとと終わらせて、評論や小説に時間を残しておこうという作戦で、たぶん多くの受験生がやっていることだと思う。それ以外の科目は素直に頭から解いていた。
毎年全国にいる受験生、定石を胸にベストを尽くしてほしい。
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