アンパンマン、いつもあなたのそばに
アンパンマンよりバイキンマンが好きだった。理由は黒が好きだから。好きな色というのはその時々でけっこう変わるものである。ナルトにハマっていた頃はオレンジが好きだったし、マトリックスを見終わったあとは緑が気に入っていた。しかし、黒という色は、私が本能的に好んだ色という点で特別である(ような気がする)。
黒という色は人間が認知しやすい色であるらしい。いかなる言語であっても黒と白は区別する。なんなら、黒と白(あるいは「暗い色」と「明るい色」)しか色彩を表す単語が存在しない言語もある。実は日本語も色彩を表す形容詞は少なく、黒い・白い・赤い・青い、くらいで、ほかには水色・茶色・桃色・橙色など、名詞から派生しているものが多い。そもそも色というのは連続体で、赤と青の間に紫があったり、緑と黄の間に黄緑があったりする。名づけることで色が存在するとしたら、あの頃世界はどう見えていたのだろう。
幼稚園に入るかどうか、その辺りの頃だったと思う。父親の地元の縁日だか祭りだかで、バイキンマンのお面を買ってもらった。黒を志向する幼子の潜在意識がこの選択に反映されたといえる。一方、マイ・シスターはキティちゃんのアルミ風船を買ってもらっていた。突如、酔ってふざけた父親から、マイク・タイソンよろしく強烈なジャブをお見舞いされたそれは、夢から目覚めるような音を響かせて爆ぜた。元来風船とは、子供が触れるものの中でもずば抜けて短命なものであるが、その寿命は一人の酔っぱらいの(文字通り)手によって、急激に縮められたのである。マイ・シスターは泣いた。これは私の覚えている最も古い記憶の一つであり、今では我が家のいい(?)思い出となっている。
声変わりも終えた中学生か高校生の時分、ある子役のインタビュー記事を朝刊で目にした。その子は白色が好きらしく、理由は「濃くも薄くも見えるから」。それは自分が持ちえない感性であった。スニーカーに染み入る雨水のような、ある種不快な嫉妬を覚えた。それと同時に、自らの感性が衰えゆくものだということをにわかに悟った。その事実自体は不幸であったかもしれないが、それに気づけたことは幸運である。自分の感受性は自分で守らなければならないと茨木のり子さんもおっしゃっているが、守りきれなかった大人が果たしてどれだけいることだろう。感性を保護するためには、不断の努力が求められるのだ。
ちなみにアンパンマンの中身は粒あんだそうだ。私がもらえるなら、できればこしあんにしていただきたいが、そういう状況だったら贅沢も言っていられない。それはそれとして、心にアンパンマンを相携えて、私は献血に向かうのである。
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