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サンマの尻尾、ゴリラの肋骨

 数え歌というのがある。概してこういったものは地域差がある。いーち、にー(の)、サンマの尻尾──マイ・ホームタウンではこのあとどうなるかで派閥があり、「ゴリラの息子・娘」派と、「ゴリラの肋骨」派で分かれていた。そのあとは共通して「菜っぱ、葉っぱ、腐った豆腐」で、めでたく十まで数えられるのだが、「息子・娘」か「肋骨」か、おそらく半々くらいではなかったかと記憶している。

 言語学的に言わせていただくが、日本語の数詞には和語と漢語がある(そんな大層なことでもない)。前者は「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とお」、後者は「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう」である。この数え歌の中の「六」以外を和語か漢語かで分類すると、以下のようになる。

 和語:菜っぱ、豆腐
 漢語:いち、に、サンマ、尻尾、ゴリラ、葉っぱ、腐った

 ご覧の通り、圧倒的に漢語が多い。多数決の原理に基づけば、「肋骨」派の勝利ということになる。ただ、次の「菜っぱ」が和語なのだから、「六」も和語であるべきだという「息子・娘」派の主張も、一応受け入れられなくはない。

 ちなみに和語の数詞ってけっこう面白い。一と二、三と六、四と八のように、倍数関係にある数字は子音が同じで母音だけ交替している。ひー・ふー、みー・むー、よー・やー……。言われないと気づかない。古代日本人は、倍数に関する感性が鋭かったのかもしれない。

 地域差が現れるものとして、「組み分けじゃんけん」もある。掛け声の違いこそあれ、おそらく多くの地域ではグーとパーで分かれているはずだ。しかし、私の小学校の学区だけは「グチグチグーチッ」と言ってグーとチョキで分かれていた。ほかの小学校がグーパーだったのと、グーとチョキだと視覚的にやや判別しづらいという理由から、中学以降は一貫してグーパーである。

 高校の部活のウォーミングアップで、四チームに分かれることがしばしばあった。じゃんけんの手はグー・チョキ・パーの三つなので、当然一つ足りない。そのときは、「グッチョスパ」という掛け声で分かれた。「ス」とは、スパイダーマンが糸を出すときのポーズである。さらに五つに分かれるときは、「グッチョスパダイゴ」と言って、DAIGO氏の「ウィッシュ」が追加された。この「ス」や「ダイゴ」を出すのはたいてい私を含めたお調子者に限られたので、この組み分け方はある意味で機能していなかった。

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