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クリスマス、たくあんパーティー

 星空を見上げていると、それらの星が何億光年も離れたところにあって、それぞれが惑星を持ち、さらにそれぞれの惑星が衛星を持ち──と、宇宙の壮大さにふと気付かされることがある。似て非なる経験として、渋滞を見ていると、それぞれの車の運転手が皆教習所通っていたという事実にハッとすることがある。このドライバー達もそれぞれが教習所に通い、怒られたり試験に落ちたりしたんだなと考えると、妙におかしな気分になる。

 クリスマスの時期も似たような感覚を覚える。地球上の多くの家庭にサンタクロースがやってきて、プレゼントが渡され、ケーキを食べて……。そんなことが毎年行われているのだ。勝手に世界と友人になった気になる。もちろんそんなはずはないのだけれど、クリスマスソングを聴くと遺伝子レベルでワクワクする。だいたい自身に起こる反応が、遺伝的なのか社会的なのか、文化的なのかおのののか、よくわからない。本能以外のものが、落ちることのないシミとして、人間につきまとっている。

 クリスマスは給食も特別で、小学校ではケーキが出た。事前に三種類ほどの候補から各々が好きなものを選ぶのだが、私はいつもチョコレートケーキだった(ちなみにこのような文を言語学で「うなぎ文」といい、決して私が小学校時代をチョコレートケーキとして過ごしたわけではない)。元来、私はチョコレートやそれに関連したものが好きで、カントリーマアムも必ずバニラを食べてからココアを食べる。好きなものはあとに取っておく性分タチなのだ。小学校六年間、もしかしたらケーキと合わない、例えばたくあんのようなものもクリスマスに配膳されていたかもしれないが、そんなこともどうでもよくなるほど、ケーキという存在は偉大であった。

 クリスマスという特別な日をのぞいて、給食はローテーションが決まっていた。我が母校では、小学校は火曜が麺で木曜がパン、それ以外がご飯で、中学校では月曜が麺で木曜がパン、それ以外はご飯であった。小学校は給食センターで作られたものが学校まで輸送されていたが、中学では敷地内の給食センターで作られていた。

 牛乳は地元のオハヨー乳業の瓶牛乳であったが、冬になるとよく余った。ストーブの上で湯煎してホットミルクにしたり、余った牛乳を翌日プリンにしてもらったりと、いろいろ工夫があった。部活終わりに給食センターにより、冷えた牛乳をもらって疲れた身体に流し込むのも、なかなか乙なものであった。

 中三の最後の給食の日、「ほとんどの人はこれが人生で最後の給食になる」と先生がおっしゃった。時が経つほどに、その言葉が身に染み入るような気がする。最後の献立は失念してしまったが、小一のとき食べた、人生で最初の給食はカレーであった。

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