120年に1度と言われる竹の開花 我が家のベランダで鉢植えで育てている黒竹に花が咲いていました 初めはよく分からなかったのですが、調べてみると花でした イネ科の植物なので稲穂のように枝垂れて咲いています 糸のような物の先にぶら下がっているのがオシベです この後、種子を付けて全て枯れ果てるようです。 せっかく、3年くらい前に180cmくらいの根巻きの苗を買ったのに もう枯れてしまうのは「ショックです」 ネットで調べても、そのように書かれてあるし 「不吉の前兆ですか?」との書
人は、考える葦である、と云うけれど考えすぎは良くない 考えすぎると、心配事や不安に苛まれることが多い ニュースも考えものである 不安を煽るような口調で世界中の悪い出来事を報道する 人は他人の不幸を見たいのだ しかし、自分自身も色々な問題を抱えている事にも気付く しかも、その問題はすぐには解決されそうに無いようだ 「はぁ〜〜〜〜っ」ため息が漏れる そこで上の写真を見てください。 猫は何も考えていないかのようにお腹を見せてゴロンとなる 「いいな〜〜っっ猫は!」 動物は明日のこ
「なんで、いつもこんな結末になってしまうのだろうか?」 上手くいかないことばかりで、「きっとコレは運命なのだろう!」 そう思ってしまう事もあります。 人間の力を超えて動いているなにか定まったようなものを感じると 「こうなる運命だったんだな〜。」と思ってしまいます。 今の世界情勢を見ると特にそのことを感じてしまいます。 そー考えないとやっていけない部分があるからです。 生まれる親を選べないし、生まれてくる場所や時も選べない! そ〜考えると「人は生まれつき運命によって決め
谷崎潤一郎氏の著書に陰翳礼讃と云う書物があります。 2018年に発行された本では、写真家の大川裕弘氏が撮影した写真が差し込まれている。この文章と写真で一層陰翳の世界が思い描けるようになった。 この本は実に感慨深い所があって、少し読んでは『う〜〜ん』とか『あ〜っ』と小さな息を漏らしてしまうほどである。 私もこの世界を体験したい!!! いっそ、作ってしまおう! と思い立ち、家にあった黒竹を切り、照明を作った。 竹なので多少の曲がりはあるが天然素材にはあじがある。 照明の上
変なタイトルだなぁ〜と、思ったことでしょう! 冬はあっためようと、着込んだり暖房を使ったりで良いのですが、 夏はそうは行かない! エアコンを使わないと、死んでしまう事態です。 なので家の中で過ごす時に、快適温度に設定しても、足元が冷えるのです。その為靴下を履いたりして対策していました。 この靴下なのですが、ゴムのところが跡が付いたり、痒くなったりと、結構厄介物でした。 今年試したのは、足袋です。 コレがなんと優れもの! ゴムで締め付けることも無く 足全体も締め
花も思うのだろうか、あ〜〜っ 薔薇になりたい。 みんなに観てもらいたい。写真を撮って貰いたい。 こんな、道端に絡みつく様にして咲く花でなくて、堂々と大きな花を付けて 麗しい香りを放ち、気高く咲いていたい!と思うだろうか。 現実的な話、花には脳が無いので思考もないとされている。 しかし、空想の世界では花にも感情を持たせる事ができる。 「野に咲く花のように〜🎵」という歌詞の歌があるけど野に咲く花は小さく目立たない、踏まれたり、刈り込みされたり、扱いが雑である。 そこれに比べ
晴れの日と、曇りの日と、雨の日と、どの日が好きですか。 私は雨の日も結構好きです。雨の日はいろいろな音がするので、音楽の様 ショパンも雨だれの前奏曲を書いていますが、そんなイメージです。 雪の日は何の音もしなくて、これもまた、いいのですが・・・ 雨の日は独特の美しさがあり、カメラを持って散歩に出ます。 雨の日といえばこの花。雨粒が何とも美しい。薄暗い光の中で雨粒が輝きます。そして、 薔薇も雨に合います。花首を垂れて俯き加減に咲いている花はとても可憐です。 クチナシの
花は見ている。飛び交う虫たちを。 花は見ている。地面を這う生き物を。 花は見ている。通り過ぎて行く人を。人を。 虫も鳥も私の前を通り過ぎて行くけれど、 人だけがとても忙しそうに通り過ぎる。 丸いものが2つ付いた物に乗っていたり、 箱のような物に入っていたりと、 とても、早く通り過ぎる脇目もふらずに、 遠い昔の事を聞いた事があるけど、 人も忙しそうではなかったんだって、 ゆっくり通り過ぎて行くときに、 たまに花を見てくれた。 話しかけてくれたり、 家に持ち帰ったり、 子供た
わたしが日々つくっている照明器具を紹介します。 先日、新作の薔薇の照明が出来ました。 照明の題名を考えましたが、和歌から取りたくて薔薇の和歌を探すとこんな歌が出て来ました。 私がとても感心している人の紀貫之の和歌にありました。感心していると云うのは、ちょっと失礼な言い方ですね。 うむ〜言葉が見つからない。 とにかくこんな歌がありました。 「我はけさうひにぞ見つる花の色をあだなるものといふべかりけり」 と云う歌です。この初めの5文字「我はけさ」と次の「うひにぞ見つる」のな
立夏という季節になりました。 花も咲き乱れてあちこちに溢れています。 薔薇も競い合うように咲いています。 雑草として扱われる事が多い草花でもこんなに美しい。 花屋さんで売っているような園芸品種じゃないと花じゃないのかな? 野に咲く花は謙虚で素朴。出しゃばらない、自己主張しない。多くの生き物と暮らしている。 朝日を浴びて輝いて見えます。 とっても美しいものです。 とても小さな花。うっかり通り過ぎてしまいそうでした。 ごめんね! この美しい姿を撮らせてもらった。 ありがとう
現代はとても忙しい毎日です。 いちいち小さな事を気にしていられない毎日です。 自由な時間は少なく、やることは多い。 楽しい事は少なく、嫌な事柄は多い。 稼ぐお金は少なく、出費は多い。 話せる友達は少なく、嫌な上司は多い。 財布の中身は少なく、欲しいものは多い。 挙げていくと枚挙にいとまがありません。 現実は厳しいものよ!!!!!!と 別に悪いこともしていないし、真面目に働いているのに、どうしてこんなにやなことが多いのだろう??? そう思うのは、それは納得がいかないこと
日本には昔から農作業の調べ、暮らしの彩として二十四節気という一年を24に分けたこよみが使われていました。今回ご紹介するのは春の季節の一番最後、穀雨(こくう)4月20日頃から5月4日頃にかけての呼び名です。 (二十四節気についての説明は一つ前の記事をご覧ください。) この頃は農作物にとっての恵みの雨が降る季節。霜の心配がなくなり、稲代では米の苗が育つ頃です。野山の緑も濃くなり、夏の訪れを感じさせます。 季節を映す旬な言葉にはこんな言葉もあります。 *春惜しむ・・過ぎゆく春を
二十四節気とは、なんですか?と思われた方もおられると思いますので、 簡単にご紹介いたします。 1年を24等分した季節の呼び名のことで、立春、立夏、立秋、立冬という季節の始まりを含めた奇数番めの季節を「節」 春分、秋分、夏至、冬至などの偶数番目にあたる季節を「中気」と呼び これらを合わせて「節気」と呼んでいます。 今は、春なので春の季節にあたるものを挙げてみます。 1・立春 りっしゅん 2月4日頃 節 季節の始まり 2・雨水 うすい 2月19日頃 中気 3・啓蟄
前回言語についてアレコレと書きましたが、今回もその続きの様なもので色の名前の面白さを幾つか紹介致します。 以前、スペイン語を話す方々と知り合った時、赤を表す言葉にはどんな種類があるか尋ねてみました。返答は「rojo」(ロホと発音します。意味は赤)でした。どんなに薄くても濃くても、黄色味でも青味でも「ロホ」だそうです。しかし日本語で赤を指す言葉はたくさんあって、「紅、朱、茜、緋、臙」などがそうです。これらの赤い色も微妙に違います。日本人はそれを自然に使い分けて表現しています。さ
世界の242カ国の言語の数は、7,168あるそうです。 そのうち40%は消滅の危機に瀕しているそうですが、それでも多くの言語が存在します。私自身、若い頃は(この言い方は年寄りくさい)英語の発音に憧れたものです。何でもかんでも英語にしたがったりして・・・。 5年ほど前、チリやボリビアの方と知り合う機会があり、必死にスペイン語を勉強しました。アメリカより南の国、メキシコから下側(地図上)の国はブラジルを除いて皆スペイン語を話します。ブラジルはポルトガル語。 スペイン語は勉強しや
皆さんの中にも、この主題の様に感じておられる方も多いかもしれません。 「結局、私はいつも貧乏くじを引くのよ!」って・・・ 「他の人は楽ばかりして、やな仕事ばかり回ってくるの、結局私がやる羽目になって、あ〜ぁ・・・」なんでいつもこうなるのだろう? こんなことを経験されたかもしれません。 なんでこうなるのか?と言うことに切り込みますと、答えは簡単。 自分でハズレを選んでいるからです。 えっ・・・と思うかもしれませんが、ハズレを選ぶことで内心安心しているんです。いつもと同じ結果