AIが、アート教育の中で子どもに個別的に活用させる場合はどんな時だろうか 子どもの相談役としてであろう 課題が与えられ、何をしていいのか分からない子どもがいる際のヒントになりうる 現在もタブレット端末で使用するインターネットがその役割を果たしている面がある AIだとさらに会話がなりたつ 教員に質問するのと、AIに質問するのとは割と似ている 生成AIを活用したことがある人は分かると思うが、割と早い返答が返ってくる 教員との関わりは直接的なコミュニケーションであり、身
日々生活をしてい不機嫌な人と偉そうな人には近寄らないようにしている いいことがない 特に不機嫌な人はやっかいだ イライラ、ムカムカを周りにまき散らし 周りの人に気を遣わせる 気を遣わせるだけならまだよいが、物事の判断が不機嫌な人に忖度したものになることがある 私はそれが嫌だ 決して正しい判断ではないにも関わらず、まああの人だから仕方ないよねと、ことを荒立てないようにことが進んでいく 不機嫌なあの人は、そのことを知っているのか知らないのかは定かではないが、周りがそう
日々生活をしていると分かりやすいキャラクターの人のが接しやすいなと思うことが多い 分かりやすいとは、性格がはっきりしているとか、明るいとか暗いとか、言葉で説明しやすいキャラクターという意味ではない 私自身がこういう人だろうなと想像しやすいキャラクターという意味だ 難しい性格や、色々な顔を持っている人だとしてもこちらが、そういう人間性だろうなと分かるようなキャラクターということ というのも、どのように接していけばよいのかこちらが対応しやすいからだ わかりづらいキャラク
アート教育における子どもの活動を大きく分類していく ①活動まえに期待する ②素材・題材に出会う ③どのようにするか考える、計画する ④制作活動、描く、つくる、鑑賞する ⑤うまくいったこと、うまくいかなかったことを考える、次の活動を計画する (④↔︎⑤を繰り返す) ⑥完成、満足 細かくみていくと他にも活動の種類があるが 大きく上記の流れだろう AIはどの段階で活用できるだろうか 題材、子どもの実態、教員のねらいによっていかようにもなるが、今回は全員が活用する場合と個別的に
アート教育のなかでAIを活用する場合 ◯子どもの活動 ◯教員の授業つくり この2つで活かすことが考えられる 子どもが使う場面と教員が使う場面 子どもがAIを活用する必要性に関して現時点ではないと言える 今まで無しでやってきたため、無くても構わない しかし子どもにとって成長する機会が増えるならばやる意味はある そうやってカメラやタブレット端末、インターネット、他様々な材料が授業に組み込まれてきた そしてその環境が当たり前になってきた 間違いなくAIは、カメラやタブ
アート教育はどのようなものでしょうか 絵を描くこと、ものをつくること、鑑賞すること 色々な活動があるが、大きな柱として価値を作り出すことだと思っている 自分自身の、思いや感情、気持ちや欲求を色や形で表現する 材料や道具の面白さから何かを作り出していく なにかを生み出していくことがアート教育の大事な要素である AIはこのアート教育とどのように関わっていくのだろうか、アート教育はAIとどのように付き合っていくのだろうか
いまAIとアート教育について資料を読みあさっている 12月AIについて研究会で発表することになり 研究会に参加する人がどのような話を聞きたいのか想像しながら準備している 実践的なところ、理論的なところ、実践から理論、理論から実践なのか、内容を吟味している アート教育、図画工作、美術、ものづくりの教育においてAIがどのくらい子どもの教育に意義があるのか、可能性についついて話をすることは決まっている 実感のともなう実践からも理論からもあらたな整理や提案になる話しをできたら
人には適性があると常々思う 仕事や人との付き合い方 話し方や着る服などたくさんのことに適性がある その適性がなりたい自分と同じ方向にある人は割と生きやすいのかもしれない 私は今でこそ学校教育に携わっているが、企画デザインをするサラリーマンを経験している さらにその前はアーティストとして生きていきたいという思いがあった時期もあった 自分の適性がなんなのか常に頭の片隅におきながら、なりたい自分とはなんなのかをぼーっと考えながら今も過ごしている やりたいことをやれば良いと
疲労感について きょうはとても疲労感がすごい フルコマの6時間授業やったあとや外での作業をした日はすごく疲れる 20代の頃に比べ疲労が抜けづらくなっているのを最近感じる 疲労感には精神的な疲れと身体的な疲れがある 身体的な疲れはどこか心地よさもある 精神的な疲れはもやもやや、不安がついてくる 私は寝ればだいたいの疲れは抜ける性分なのでそこまで困ってはいない けれど睡眠がとれなかった日には疲労感がなかなか抜けないのが実際である 授業をしていて、この子疲れてるなと感じる
今日、子どもたちが描いたポスターを学校のフェンスに貼っていたら、前歯が2本ないおじいちゃんに話しかけられた。 おじいちゃんは誰かと話をしたい気持ちが溢れ出ていて、次から次に私に向かって間髪を入れずに話し続けていた。 話のテーマは、学校であった。 日頃抱いている学校に対する思いや、地域の学校の内情、自分が子どもだった時の今の学校の違いなどたくさん話をしてきた。 最終的には、 数十年まえに学校が増えたが、現在はクラス数の減少や学校の空き教室や統廃合があることについておじいち
気軽に思ったことや感じだことをここに書いていこうと思ってる。 たいしたことは書かない。 日々の疑問や気になったこと、嬉しかったことや楽しかったことを文書にすると思う。 気軽にさらさらと続いていければと思う。
もの作りとは、どういうものだろうか。 とても幅が広い言葉だ。一般的には木を切って棚を作ることや、粘土でお茶碗を作るようなことをもの作りという。 ある素材を、加工して別のものを作り出すこと。 では、水を、凍らせて氷を作ることはもの作りだろうか。違う。牛乳からチーズを作ることはもの作りだろうか。違う。(加工ではなく発酵だ) おそらく加工という行為がもの作りには大切な要素なのだろう。 野菜と肉を使って、野菜炒めを作ることはもの作りではなく料理と言われる。または料理を作る。
子供がものを作る時に、ウキウキする材料がある。見たことないもの、見慣れているが材料として扱うのが始めてのもの、扱ったことはあるが量が経験したことないほどおおいものなど。 材料との出会いは、ものを作る上で大切だ。もの作りのモチベーションを決めてしまうこともある。 出来るだけ、この材料は面白そうだ!!早くやって見たい!!と思えるような素材を提供したい。 どんな素材でも、課題と素材の提示の仕方で子どもの好奇心を刺激することが出来る。話し方、課題の伝え方、演出が重要になる。 ウ
作っていて楽しいものと作ったあと使って楽しいものと、作ったものを褒められて嬉しいもの、どれもが満足度がある。作ったものが売れてお金を得て嬉しいこともある。 作っていて楽しいものは[予測→選択→挑戦→成功][予測→選択→挑戦→失敗→修正→挑戦→成功]という過程があり、その中で選択したことが成功した時の満足度がある。 上手くいくか分からないことが上手くいくから嬉しいや楽しいという気持ちが起こる。上手くいくと分かっていることが上手くいっても前の満足度に比べると低いものになる
アウトサイダーアート(主に障害者のアートとして認識されている)をこっちが評価したとか、差別的なことは良くないと言う。けれど、その考えからして最初から隔たりを感じる。違いはあるにしても、違いを作るべきでないところで違いが前にでてきてしまってる。 そもそも、絵画を区別する基準がたくさんありすぎる。時代ごと、印象派、ロマン主義、新ロマン主義、古典主義、アウトサイダー、ダダ、シュール‥‥。物事を言葉で分類して認識することは、違いを分かりやすくする上では大切なことだ。そうやって、頭が良