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2019年3月の記事一覧
1903C志乃【蒐集】
きら、と視界の隅に何かが光った。
視線を向ければ、色とりどりの蝶が、箱の中で時を止められている。箱一つには、一匹を囲うように、外を向いて円形に並ぶ同種の蝶。同じ大きさの箱がいくつも並んで、まるで壁掛けの絵だ。
光ったのは、蝶の翅だったらしい。 貝の裏側のように、光の向きで色合いが変わるらしい種だ。淡い水色、薄紫。その隣で、深い青の翅がやはり箱に並んでいる。目の覚めるような明るい青から、夜の海
1903B志乃【潮騒響】
一歩踏み込むと、トンネルを抜けた先に広がる海の声が耳を圧倒する。
車が一台通れるかどうか、コンクリート打ちっぱなしの短いトンネルはひんやりとして、壁と天井で鈍い鏡のように外を映していた。海の青、浜の白。
よく晴れた天気のいい日で、石の多い浜は陰になっているトンネルから見ると白飛びして眩しい。転げて角の取れた白い石、ぽつぽつと混ざる赤茶を帯びた石。潮が満ちると打ち上げられるのか、干からびかけた
1902A志乃【時雫】
からり、とグラスの中で氷がぶつかる音がする。四角く揃った形ながら、アイスピックで削ったような粗い表面が、少しずつ溶けて滑り、元の噛み合っていた形からずれて崩れる。
グラスの底から四分の一くらいまで減らした中身が、じわりじわりと増えていく。溶けただけ氷が水に触れている部分は増えて、中身の薄緑がさらに薄く淡くなり、氷は揺らぐ。
ずいぶん前に中身を失ったグラスの上部はすっかり乾いているが、氷を溶か
1902D志乃【アーティフィシャル・ミスティック】
ブルーホール、といったか。
洞穴や鍾乳洞が水底に沈んで、そこだけが深い青色に見えるという、自然の景観。
コンクリート製のそれを、見つけた。
美しい水景というのは、不信神者の心にも尊く感じられるものだ。
透明度の高い川で、直接光に照らされた部分は、大気と水との境も判然としないほど。川底の砂や礫を隠すこともなく、水面に顔を出した水草の緑、苔に覆われた煉瓦の川縁で伸びたシダと草の葉が広げる波
1901D志乃【灯明】
薄暗がりに、ひとつ、ふたつ。
昼行灯などまっぴらと、闇を見せ場に輝くモノたちが寄り集まる。
色ガラス、アンティークゴールドの笠、白熱の光。内から照らされたランプシェードは、厚みや色のむらを浮き立たせ、我こそは闇を照らすにふさわしいと胸を張る。
多角の星を模した吊り電球の笠に、曇りガラスの白い花を笠にしたランプ、ガスを吹き込むランタンのような古式ゆかしいものもいれば、丸底フラスコに電球を差し
1901B志乃【通い路】
暮れかけ、というにはもう暗すぎる。夜に征服された夕の名残が儚く木陰に漏れて、葉擦れの隙間から薄紫をちらつかせる。
塵一つなく清められた歪みのない石畳。木々から道を覆い隠すように居並ぶ朱塗りの鳥居、みっしりと隙のないその足元から石畳までを埋める礫。そういったものが、日輪の最後の息吹の中で、鳥居の内に仕掛けられた疎らで強い灯に照らされて浮き上がっている。
鳥居の外側から見える湾曲したその路は、わ
1812C志乃【空祠参道】
石を踏む。ざらりと薄く砂が擦れるのを意に介さず、石段を降りる。平らかな石畳を歩き、数歩でむき出しの地面に触れた。
土を踏む。踏み固められたような土の道、木立の中にあるせいか薄く湿り気を帯びて、素足にはひんやりと冷たい。土から顔を出した木の根を避ければ、ぺたり、足の裏に乾いた木の葉が貼りついた。
モミジの街灯に明かりがともるには数刻早く、木々に遮られてもここは明るい。少しばかり日が色づき、影が
1812B志乃【何処へ】
薄く薄く引き伸ばしたかのような淡い雲越しに、三滴ほど紅を溶かした日が照っている。きっともう少しで、子供に帰宅を促す防災無線が流れ出す時間だ。
いつか見た風景。
恋人たちが愛を囁きあうようなムードとは縁の遠そうな、小さな観覧車が私を見下ろしている。喜ぶとすれば小学生、いや幼稚園児だろうか。パステルカラーのかご、扉にはデフォルメされたにこやかな動物が描かれて、傾きかけた光を浴びてたたずむ姿はどこ
1812A志乃【誰がために】
風に吹かれて、枯葉がアスファルトを擦っていく。駆け比べをするように一斉に走り去る乾いた賑わいを見送り、彼らが走り出した始点に目を移した。
葉を刈り散らされたように、ほとんど枝と実だけになったトマトが二、三株ぽつねんと立っている。物好きの誰ぞがこんな排ガスまみれの道路端へ苗を植えたときから、ずっと見てきた。暑い時期には加減を知らぬ豪雨に根元を洗われ、かと思えば炎暑に熱を蓄えたアスファルトで四六時
1811B志乃【檻花】
縦横に棚を這う蔓薔薇が、レンガ敷きの道を覆っている。
冬に向かい熱を失いつつある陽光は、茨に遮られて力尽きたようにちらつくばかりだ。
葉の端々を黄や茶に染めて、ところどころに黒斑の見える薔薇の姿は、それだけを見れば弱々しい。ほつりと赤く明るい一点、しおらしくややうなだれた花の姿も、ただ散るときを待っているかのように静やかである。
たおやかな花姿に惹かれ、檻棚から救おうと手を伸ばす者も多い。
1811A志乃【薔薇小道】
踵が鳴る。不規則な形、しかし隣り合う石とかみ合うように配置された自然石のタイルは、微細な塵を隙間に残してはいるがよく掃き清められていた。
小道の両脇は低い垣で仕切られ、垣の中にはとりどりの薔薇が傾きかけた日を浴びて、静かに佇んでいる。ちょうど顔の高さに揺れる白薔薇は、私と目線を合わせない。微かに上向いた様子は、背の高い殿方を見上げているような風情だ。
人待ち顔の白薔薇を過ぎ、小道の角にはベン