1902A志乃【時雫】
からり、とグラスの中で氷がぶつかる音がする。四角く揃った形ながら、アイスピックで削ったような粗い表面が、少しずつ溶けて滑り、元の噛み合っていた形からずれて崩れる。
グラスの底から四分の一くらいまで減らした中身が、じわりじわりと増えていく。溶けただけ氷が水に触れている部分は増えて、中身の薄緑がさらに薄く淡くなり、氷は揺らぐ。
ずいぶん前に中身を失ったグラスの上部はすっかり乾いているが、氷を溶かし続けている冷えた水は、ガラスを通して滲みだすように表面に汗を浮かべている。浮かんだ汗が周囲の水気と結びついて重力に引かれだし、ゆっくりとグラスのカーブを辿ってランチョンマットに吸い込まれていった。
ガラスと氷と水を通して電灯に照らされていたランチョンマットが色を濃くする。
奥に並ぶグラスと違って細い足を持たない丸いフォルムのグラスを眺めて、もう何分経ったろう。
机にはグラスも他のものも雑多に置かれているが、私にとって大事なものは何もない。机の向かいに人はいないのだ。グラスになみなみのマスカット色が満ちていたときにはいたが、彼は去った。
何もなくなった場所で、滴り落ちる時を眺めているだけの空虚に耐えかねて、私はグラスを鷲掴む。もはや味も判然としないほどに氷に水に薄められた、かつては甘かったそれを胃に流し込み、席を立った。
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