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かおり
2024年4月30日 01:02
群馬県の総鎮守である上野総社神社の隣にあるのが、ここ天台宗徳蔵寺だ。上野総社神社の隣にあるお寺。かつては総社神社の別当寺であった。室町時代(戦国時代)の文明三年(1471年)足利八代将軍義政公の祈祷所として建立され、開山は重海法印と伝えられている。往時には寺中七ケ院、末門十七ケ寺を擁し幕府から朱印十六石を下賜され、檀徒三百有余戸を有し、当地信仰の中心をなしていた。江戸時代初期の慶長十二年(
2024年4月28日 01:37
群馬県富岡市と言ったら!世界遺産登録ともなっている富岡製糸場で有名だ。私の読み方がまずいのかもしれないが、女工哀史などを昔読んだところ(何十年も前?か!)、工場近くの諏訪神社と日本基督教団甘楽教会は出て来るのだが、あまりお寺の事はなかった。イヤ、多分、当時の私の思考回路がそっちに行っていたのだろう。そんな富岡製糸場から徒歩でも行ける、ここ本城寺さんだ。こちらの住職とは、旧Twitterで
2024年4月18日 09:45
天台宗金剛院は、海王山、善福寺と号す。かつては赤城山金剛院といい、現在の昭和村三室にあり、赤城山の別当職をしていた。明徳・応永年間に三浦沼田氏の沼田五郎景次が上洛して出家し、上沼須町に寺院を建立したのが開基といわれる。この沼田景次は、沼田太郎上野介景繁の三男であり、京都においては愛宕山威徳院の別当となっていた。その後、一時、寺運は衰微してしまったが、寛正年間の頃、中興一世の宏栄法印の時代になって沼
2024年4月15日 15:53
とうとう来たね・・・なんだろう。実は、20代の時に池上駅近くの会社に勤務し、池上本門寺前にあるキリスト教会に通いながらも、池上本門寺に行ったことがなかったのだ。ちなみに、その教会は村岡花子さんが通われていた教会だ。池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれ
2024年4月14日 00:06
大好きな森村桂さんのエッセイに書かれていたが、離婚された最初の旦那様(元日本テレビスポーツ部の谷口氏)と住んでいたのが池上本門寺の近くの旧い住宅だった。そうそう。大好きな森村桂さんが住んでいたという池上の住宅跡地に行く!と決めていたのだ。それが、ここ永寿院前にある万両塚なのらしい。旧森村桂邸堤方権現台古墳の敷地には、昭和7年に木造住宅が建てられました。この家に最後に住んでいたのは、「天
2024年4月13日 00:17
花見で有名な目黒川沿いにある日蓮宗寺院。ここは、世界のホームラン王・王貞治氏にちなんだ寺院である。といっても、王貞治氏の菩提寺というわけではない。海徳寺は、大永2年(1522)鳥海和泉守(法名自覚院岸日性)が出家し自宅を寺としたといい、松陽院日増(天文14年1545年寂)が開山したといいます。鳥海和泉守の子孫は、江戸時代に名主を務めた利田吉左衛門だといいます。手入れされた寺院の庭は、心を惹
2024年4月12日 13:39
京急線新馬場駅近くにある東急花御朱印巡り寺院に向かう途中で見つけたのが、ここ一心寺だ。豊盛山延命院 一心寺は、安政2年(1855)創建、真言宗智山派のお寺です。ご本尊は成田山の分身である不動明王。古くから延命と商売繁盛の寺として信仰を集めています。毎月28日が縁日で、その日は素焼きの皿(ほうろく)を裏返しにして頭に載せて灸をすえる「ほうろく灸」が体験できます。よく手入れされた可愛らしい庭には
2024年4月11日 23:26
東急花御朱印巡りの最中、偶然に見つけ立ち寄ったお寺だ。というよりも、京浜急行線沿いの旧東海道・品川宿界隈は知らなかった古刹や有名な広い寺が多かった。海照山普門院 品川寺は、真言宗醍醐派の別格本山で大同年間(806~10)開創と伝えられる品川区で最も古いお寺です。本尊は水月観音(非公開)。東海七福神の毘沙門天を祀っています。入口にある大きな銅造地蔵菩薩坐像は「江戸六地蔵」の一つで神田の鋳物師
2024年4月9日 15:01
横浜市都筑区。高野山真言宗無量寺。東急花御朱印巡りの1つだ。バス停から遠くないか?ごめんなさい。それが咄嗟の感想だった。何しろ、川崎市の溝の口駅から始めて、ほぼ歩きで疲れ切っていたのと、東急大井町線に人が立ち入ったことによる電車の遅れで1分差でバスが出ていってしまい・・・閉門時間ギリギリやんか。間に合うか?の、そんなバタバタとした状況であった。まあ、タクシー代はおろか、公共交通機関の
2024年4月8日 15:47
東急花御朱印巡りの1つだ。駅からはバスで行く。どうなることやらと思ったが、バス停のすぐ上で助かった。この写真からでも、坂の上にあるのだということが分かっていただけると思う。東漸寺は奈良時代の天平13年(741年)、東大寺の大仏建立に尽力された行基が関東に布教に訪れた際、この場所に草庵を結び、文殊菩薩(文殊堂本尊)を謹刻し奉安されたことが開基とされます。 東海道の脇道、中原街道に接しているこ
2024年4月7日 00:05
東急花御朱印廻りの1つで、かなり歩くこととなった。住宅地の中に際立って存在感のある建物だ。身代り不動尊はただしくは大日大聖身代り不動明王と申します。神奈川県川崎市の別格本山大明王院と熱海、横浜、東京の三別院のご本尊であります。不動尊は不動威怒王あるいは、無動尊、不動使者とも言われ、五大尊の中央に位し、憤怒形を示しており、外は厳めしい形相を表しております事は貧瞋痴の三毒や悪魔を折伏し強剛難
2024年4月6日 00:50
前日までにGoogleで調べたリストには入っていなかった、偶然通りがかりに見つけた禅寺がここ円福寺だ。円福寺は、益田駿河守満榮(永禄元年1558年没、法名圓福寺量海宗無)が開基となり、大永2年(1522)に創建、僧雪點(雪點・雪天、天正4年1576年寂)が開山したという。道路から観えるのは、この入口のみ。え?天満宮?進んで行った山門は見事な茅葺屋根である。おおおお!山門といい、この
2024年4月5日 02:51
こちらも東急花御朱印巡りの1つ。溝口駅からすぐの場所にある。かつては天台宗であったが、日蓮宗に改宗したらしい。その時の住職が興林で、回収後に日濃と名を変えており、日濃上人の像が本堂前にある。自然溢れる花に囲まれた庭であった。ハナカイドウが素晴らしい。と、そこに現れたのは。。。お寺で暮らす猫たちであった。何匹かに遭遇!可愛いじゃないかーーー。もう来てよかった。お寺の猫の写真付きの
2024年4月3日 02:11
こちらも東急花御朱印巡りの寺院の1つだ。かつて上野(台東区)にあった養玉院と芝高輪(港区)にあった如来寺の2寺が1926年に合併して成立した。前身2寺院の名称をとって「帰命山養玉院如来寺(きみょうざんようぎょくいんにょらいじ)」と号する。宗教法人としての登録名は「養玉院」であるが、「養玉院如来寺」、「如来寺」とも呼ばれる。五智如来堂の瑞應殿(ずいおうでん)には五智如来像(大日如来、薬師如来、