マガジンのカバー画像

私の百寺巡礼

301
五木寛之先生は70歳を過ぎてから百寺巡礼をされた。日本の寺院の多くは車が入れない険しい石段を登る事で辿り着く。横浜辺りの寺も、ちょっとした坂の上で、わざと車が入れないようにしてあ…
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事
同行二人

同行二人

同行二人
読み方:どうぎょうににん

お遍路などの巡礼、霊場巡りにおいて、常に自分には弘法大師がついていてくれる、弘法大師が共にいてくれるという意味で書きつける語。

一方、キリスト教の世界においても、似たような有名な話がある。

キリスト教会において親しまれてきた「あしあと(フットプリント)」という詩があります。今日は、この詩と、この詩についての伝えられているエピソードを紹介します。

あしあと

もっとみる
岩とお堂の素晴らしさ 秩父市 曹洞宗融興山瑞岩寺 私の百寺巡礼299

岩とお堂の素晴らしさ 秩父市 曹洞宗融興山瑞岩寺 私の百寺巡礼299

融興山瑞岩寺は、享禄元年(一五二八年)端山守的を勧請、開山として創立した曹洞宗の寺である。
歴史的には、鉢形城主上杉越後守顯実の家老長尾四郎左衛門昭国が開基となっている。以来、長く栄えていたが、昭和三十三年の火災によって全堂宇灰燼に帰し、現在の本堂は、昭和三十八年に竣工されたものである。
本尊は、十一面観音で、除病、滅罪、求福の菩薩像である。なお、境内仏として岩山の中腹に不動堂があり、毎年四月には

もっとみる
紅に染まった葉に赤いお堂 秩父札所1番 曹洞宗誦経(ずきょう)山四萬部寺 私の百寺巡礼298

紅に染まった葉に赤いお堂 秩父札所1番 曹洞宗誦経(ずきょう)山四萬部寺 私の百寺巡礼298

四萬部寺の名は、性空上人の弟子幻通が四万部の仏典を読経して経塚を築いた、と伝えられる事に由来する。

秩父札所は34番まである。私もそうだが、西武秩父駅から一番近い便利な13番からという人が多いようだ。
だが、中にはきちんと1番から廻る方もおられるかと思う。
私の場合、やっと1番に来られたの感が強い。
何しろ、1週間前に横瀬駅から歩いて5番から1番まで行くつもりが3番で帰ってしまったのだ。

この

もっとみる
行くことに意味があり! 秩父札所2番 曹洞宗大棚山真福寺 私の百寺巡礼297

行くことに意味があり! 秩父札所2番 曹洞宗大棚山真福寺 私の百寺巡礼297

大棚山(おおたなさん) 真福寺は、9世紀頃、大棚(たいほう)禅師によって開基されたと伝えられています。そのため、真福寺周辺には、大棚禅師の名前を冠した「大棚山」や「大棚川」といった地名の名残があります。

伝説によると、大棚禅師は、嫉妬の悪念にかられて鬼になってしまったことを苦しみ懺悔する老婆をあわれみ、供養のためにお堂を建て、聖観世音菩薩を安置しました。このことがこの真福寺のはじまりとされていま

もっとみる
崖に並ぶ石仏 秩父札所3番 曹洞宗岩本山常泉寺 私の百寺巡礼296

崖に並ぶ石仏 秩父札所3番 曹洞宗岩本山常泉寺 私の百寺巡礼296

秩父札所3番・常泉寺は、1234年(文暦元年)3月18日、覚了和尚の開山と伝わり、当初は高篠山の中腹の岩窟に所在したと推定されている。その後、当地の名主堀内、家が現在地に建立し札所を移したと伝わっている。1847年(弘化4年)の火災で本堂が焼失したが、1858年(安政5年)に再建されている。また、本堂左手の観音堂は、1870年(明治3年)に秩父神社境内にあった蔵福寺の薬師堂を移築したものであり、宝

もっとみる
存在感溢れるお堂 秩父札所5番 臨済宗南禅寺派小川山語歌堂 私の百寺巡礼295

存在感溢れるお堂 秩父札所5番 臨済宗南禅寺派小川山語歌堂 私の百寺巡礼295

秩父札所5番の語歌堂は、無人でお堂だけだ。
案内及び、御朱印は道路を挟んですぐの長興寺さんで頂く。

長興寺さんから観る語歌堂。色づいた山とのコントラストが良い。

横瀬駅から歩く事、20分ほど。突然、目の前に現れたのは異世界の感覚のお堂であった。
畑と山だけの地にーー!という感じであった。
仁王門に圧倒される。

そして、既視感?

17番の龍石寺にお堂の形が似ているのだ。

名前を語歌堂と言う

もっとみる
赤が似あう石仏の寺 秩父札所4番 曹洞宗高谷山金昌寺 私の百寺巡礼294

赤が似あう石仏の寺 秩父札所4番 曹洞宗高谷山金昌寺 私の百寺巡礼294

秩父札所4番は、県指定民俗資料石仏群のある寺として知られ、本堂は、三間四面、様式は唐風の江戸中期の建築である。本尊は、十一面観世音立像で、像高107センチメートル、室町時代、行基菩薩の作といわれている。大きな草鞋(わらじ)がかかった、朱塗りの山門をくぐると、境内の斜面は1300体余りの石仏で埋め尽くされている。

迎えるは大きな草鞋だ。先日、福島市内で大きな草鞋の健脚祈願の神社に参拝したばかりでも

もっとみる
大好きな志村けんさんを偲ぶ 東村山市 曹洞宗芳林山梅岩寺 私の百寺巡礼293

大好きな志村けんさんを偲ぶ 東村山市 曹洞宗芳林山梅岩寺 私の百寺巡礼293

2020年に70歳で亡くなられた志村けんさん。当時は火葬場に遺族も入れない状態で、御家族が可哀想に思った事を覚えている。

志村けんさんと言ったら!東村山。
あ、いっちょめ、いっちょめ。わーお♪

当然、お墓は東村山市にあるのだろうと思っていて検索。ここ梅岩寺が菩提寺であることを知った。

梅岩寺の創建年代は不詳ですが、真言宗白華山観音寺として応永5年(1397)創建と伝えられ、戦国時代の兵乱で焼

もっとみる
上杉鷹山の足跡を観る 山形県米沢市 真言宗智山派普門院 私の百寺巡礼292

上杉鷹山の足跡を観る 山形県米沢市 真言宗智山派普門院 私の百寺巡礼292

息子が泉岳寺の近くにある中学に入ることになった時から、赤穂浪士の本を沢山読んだ。その中でも童門冬二先生の本が一番面白かった。
近くの浄土宗寺院での講演会でも御会いして、大ファンになってしまった。
その童門冬二先生が一押しなのが、江戸時代、米沢藩の経済を建て直すべく奮闘した上杉鷹山なのだ。

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん、寛延4年7月20日(1751年9月9日) - 文政5年3月12日(1822年

もっとみる
奈良時代の人たちの想いがつまった寺 奈良市 法相宗総本山薬師寺 私の百寺巡礼291

奈良時代の人たちの想いがつまった寺 奈良市 法相宗総本山薬師寺 私の百寺巡礼291

奈良の旅の最後を締めくくるは薬師寺だ。

680年に天武天皇が藤原京で創建し、平城京遷都にともなって現在地に造営されました。
東塔は730年に建立されたものですが、7世紀末に藤原京で創建された時の建築様式を踏襲して建てられたと考えられています。各重に裳階(もこし)というひさしがつく独特の形式の三重塔で、日本でもっとも美しい塔として知られています。
また、寺の西方にある大池から望む、若草山や春日山を

もっとみる
鑑真和上の想い深く 奈良市 律宗総本山唐招提寺 私の百寺巡礼290

鑑真和上の想い深く 奈良市 律宗総本山唐招提寺 私の百寺巡礼290

唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良県奈良市五条町にある律宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は盧舎那仏。開基(創立者)は唐出身の僧鑑真[1]である。鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天

もっとみる
山吹に囲まれた寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗法興山中宮寺 私の百寺巡礼289

山吹に囲まれた寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗法興山中宮寺 私の百寺巡礼289

中宮寺(ちゅうぐうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北にある聖徳宗の寺院。山号は法興山。本尊は如意輪観音。法隆寺に隣接し、聖徳太子が母后のために創建した尼寺である。開基(創立者)は聖徳太子または間人皇后とされる。現存で日本最古の刺繍「天寿国繡帳」(天寿国曼荼羅、国宝)を所蔵する。

宇陀市にある室生寺は「女人高野」と呼ばれる寺であるが、こちらの中宮寺も女性の寺という印象を受けた。
多分、聖徳太子のお

もっとみる
広すぎる聖域に迷い、泣く 奈良県斑鳩町 聖徳宗総本山法隆寺 私の百寺巡礼288

広すぎる聖域に迷い、泣く 奈良県斑鳩町 聖徳宗総本山法隆寺 私の百寺巡礼288

法隆寺と言えば聖徳太子。義務教育の年齢で教えられてきた。

法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある聖徳宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。創建当時は斑鳩寺(鵤寺 = いかるがでら)と称し、後に法隆寺となった。法隆学問寺としても知られる。法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖

もっとみる
絶対に来るべき寺院 奈良市 真言律宗総本山西大寺 私の百寺巡礼287

絶対に来るべき寺院 奈良市 真言律宗総本山西大寺 私の百寺巡礼287

奈良県 近鉄線大和西大寺駅。何をイメージするだろうか。
2023年7月に起きた痛ましい事件を多くの人は思い浮かべるのではないだろうか。

奈良県 近鉄線の大和西大寺駅前にあるのが西大寺だ。
安倍晋三元総理の事件は北口で、西大寺は南口となる。
寺の名前がそのまま駅名になる。これはもう行かねばと思ってしまう。

西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗の総本山の寺院。山号は勝宝山。

もっとみる