マガジンのカバー画像

私の百寺巡礼

311
五木寛之先生は70歳を過ぎてから百寺巡礼をされた。日本の寺院の多くは車が入れない険しい石段を登る事で辿り着く。横浜辺りの寺も、ちょっとした坂の上で、わざと車が入れないようにしてあ…
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事
同行二人

同行二人

同行二人
読み方:どうぎょうににん

お遍路などの巡礼、霊場巡りにおいて、常に自分には弘法大師がついていてくれる、弘法大師が共にいてくれるという意味で書きつける語。

一方、キリスト教の世界においても、似たような有名な話がある。

キリスト教会において親しまれてきた「あしあと(フットプリント)」という詩があります。今日は、この詩と、この詩についての伝えられているエピソードを紹介します。

あしあと

もっとみる
身代わり不動様に祈願 江東区 真言宗智山派成田山東京別院深川不動堂 私の百寺巡礼309

身代わり不動様に祈願 江東区 真言宗智山派成田山東京別院深川不動堂 私の百寺巡礼309

深川と言えば、深川八幡宮であるが、その隣に位置する深川不動堂も有名だ。

深川不動堂は、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院です。古くより「深川のお不動様」と親しまれて参りました。その開創は元禄16年と伝わり、成田山の御本尊を江戸に奉持し特別拝観したことに始まります。この御尊像は、弘法大師自らが敬刻開眼されたと言われており、現在深川不動堂で奉祀する御本尊はその御分霊を勧請した、御分身であ

もっとみる
浮世絵の世界? 足立区 曹洞宗系単立南昌山東岳寺 私の百寺巡礼308

浮世絵の世界? 足立区 曹洞宗系単立南昌山東岳寺 私の百寺巡礼308

曹洞宗系単立の寺院で、南昌山東岳寺と号します。本尊は釈迦牟尼仏です。寛永10年(1633)に下野国(栃木県)大中寺の門解蘆關和尚により、浅草新寺町(現・台東区松が谷一丁目)に創建されました。その後、戦災にあい、昭和36年(1961)に現在地に移転しました。山門を入って左手に「東海道五十三次」で有名な浮世絵師・初代安藤広重の墓と記念碑があります(東京都指定文化財)。墓石は関東大震災と戦災のため一度破

もっとみる
厄除けして同行二人 足立区 真言宗豊山派五智山遍照院総持寺(西新井大師) 私の百寺巡礼307

厄除けして同行二人 足立区 真言宗豊山派五智山遍照院総持寺(西新井大師) 私の百寺巡礼307

正月は、様々なお寺で厄除け祈願が行われる。
まあ、お寺側はいつでも受け付けてくれるのだが、一般人が年明けに行きたがるのだ。
ここ、足立区の西新井大師も厄除けで有名だ。

「西新井大師」は正式名称を「五智山 遍照院 總持寺」といい、創建は天長3年(西暦826年)に、巡錫中であった弘法大師(空海)が西新井を訪れた際、自身で十一面観音像と自身の像を彫り、護摩祈願をしたことからとされる。
江戸時代には女性

もっとみる
保土ヶ谷宿に建つ歴史ある寺院 水戸黄門祖母の手植えの柘榴の樹 日蓮宗妙栄山大蓮寺 私の百寺巡礼306

保土ヶ谷宿に建つ歴史ある寺院 水戸黄門祖母の手植えの柘榴の樹 日蓮宗妙栄山大蓮寺 私の百寺巡礼306

横浜市保土ヶ谷区神戸町にある大蓮寺は日蓮宗のお寺で妙栄山大蓮寺という。慶長13年(1608年)に、日円が日蓮聖人の泊まった家を法華堂に改修したのが寺の始まりである。なお、日円は正保2年(1645年)に寂している。本尊は三宝祖師である。
石段を上ると山門があり、真直ぐに伸びた参道の先に祖師堂があり、その裏手の一段高いところに本堂が建っている。境内からは祖師堂の横を通り、鉄の非常階段のような連絡路を通

もっとみる
徳川綱吉ゆかりの花の寺 秩父札所29番 曹洞宗笹戸山長泉院 私の百寺巡礼305

徳川綱吉ゆかりの花の寺 秩父札所29番 曹洞宗笹戸山長泉院 私の百寺巡礼305

この二十九番「長泉院」は、曹洞宗の寺院で、開山は正暦元年(990年)平安時代中期である。無住の観音堂であったが元亀二年(1571年)現在の皆野町の大通院より和尚を招き曹洞宗の寺院としての面目を得た。日本有数の「石札(せきさつ)」が残ることから「石札堂(せきさつどう)」「石札道場(せきさつどうじょう)」とも呼ばれた。本尊は、「聖観世音菩薩」で像高55センチメートルの立像。昔々、山麓に「龍女(りゅうに

もっとみる
岩殿の中に建つお堂に圧倒 秩父札所28番 曹洞宗石龍山橋立堂 私の百寺巡礼304

岩殿の中に建つお堂に圧倒 秩父札所28番 曹洞宗石龍山橋立堂 私の百寺巡礼304

石龍山・橋立堂は、高さ約75メートルもある石灰岩の直立した岩壁下に建てられ、観音堂は三間四面で江戸中期の建立のものといわれている。本尊は秩父札所唯一の「馬頭観世音菩薩」で、西国、板東、秩父の日本百観音のなかでも西国第29番の「松尾寺」と秩父第28番のここ「橋立堂」だけである。その昔、弘法大師が柚(ゆず)の老木を刻んで馬頭観音とし、ここに安置したのが始まりといわれている。納経所の側には、橋立堂の奥の

もっとみる
関東大震災、東京大空襲でも残った清正公堂 港区白金台 日蓮宗最正山覚林寺 私の百寺巡礼303

関東大震災、東京大空襲でも残った清正公堂 港区白金台 日蓮宗最正山覚林寺 私の百寺巡礼303

広い国道1号に目立つ「清正公前」の信号。
その裏にあるのが日蓮宗の覚林寺だ。

覚林寺(かくりんじ)は、東京都港区白金台一丁目にある、日蓮宗の寺院。山号は最正山。加藤清正の位牌や像が祀られていることから清正公(せいしょうこう)と通称される。付近の住民からは「清正公さま」と呼ばれ、勝負祈願の寺として信仰を集めている。旧本山は大本山誕生寺。潮師法縁。
この地はかつて肥後熊本藩主細川家の中屋敷であった。

もっとみる
徳川四天王の1人・榊原康政公の眠る寺 群馬県館林市 浄土宗終南山見松院善道寺 私の百寺巡礼302

徳川四天王の1人・榊原康政公の眠る寺 群馬県館林市 浄土宗終南山見松院善道寺 私の百寺巡礼302

善導寺(ぜんどうじ)は、群馬県館林市楠町にある浄土宗の寺院である。徳川四天王の一人であり、館林城主でもあった榊原康政の墓がある。

寺伝によれば、元明天皇和銅元年(708) 、行基菩薩東国遊化の砌、上州館林に錫を止め、旧土橋村と加法師村の間の林中に一庵を結ばれたのが創まりといわれています。
後鳥羽天皇建久四年(1193)3月、頓阿見性法師、行基菩薩の旧跡を偲び、草庵を修建し、菩薩の化益された羅刹魁

もっとみる
文福茶釜伝承の古刹 群馬県館林市 曹洞宗青龍山茂林寺 私の百寺巡礼301

文福茶釜伝承の古刹 群馬県館林市 曹洞宗青龍山茂林寺 私の百寺巡礼301

茂林寺は、室町時代中期の1426年(応永33年)に美濃国の大林正通禅師により開山。1468年(応仁2年)に青柳城主赤井正光(照光)が帰依し寺領8万坪を寄進し伽藍を建立した。

参道には、タヌキの置物が並ぶ土産屋さんが並ぶ。

外からは、旧い巨木が観える。ラカンマキ、オオサワラなど、もりんじでは有名な古木が多い。

銀杏の陰に隠れているのは馬頭観音堂になる。

山門に入るまでに迎えてくれるはタヌキた

もっとみる
富士信仰の浅間神社別当 山梨県富士吉田市 臨済宗妙心寺派水上山月江寺 私の百寺巡礼300

富士信仰の浅間神社別当 山梨県富士吉田市 臨済宗妙心寺派水上山月江寺 私の百寺巡礼300

富士急行線の駅名にもなっているのが月江寺だ。
駅前にある。

月江寺(げっこうじ)は、山梨県富士吉田市下吉田に所在する寺院。臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は水上山。本尊は地蔵菩薩。

所在する富士吉田市下吉田は山梨県南部に位置し、市域を流れる宮川の北西岸に立地する。富士吉田市域では時宗寺院の西念寺と並び、御朱印地を有した有力寺院。『甲斐国志』によれば、かつては下宮浅間神社(現在の冨士山下宮小室浅間神

もっとみる
岩とお堂の素晴らしさ 秩父市 曹洞宗融興山瑞岩寺 私の百寺巡礼299

岩とお堂の素晴らしさ 秩父市 曹洞宗融興山瑞岩寺 私の百寺巡礼299

融興山瑞岩寺は、享禄元年(一五二八年)端山守的を勧請、開山として創立した曹洞宗の寺である。
歴史的には、鉢形城主上杉越後守顯実の家老長尾四郎左衛門昭国が開基となっている。以来、長く栄えていたが、昭和三十三年の火災によって全堂宇灰燼に帰し、現在の本堂は、昭和三十八年に竣工されたものである。
本尊は、十一面観音で、除病、滅罪、求福の菩薩像である。なお、境内仏として岩山の中腹に不動堂があり、毎年四月には

もっとみる
紅に染まった葉に赤いお堂 秩父札所1番 曹洞宗誦経(ずきょう)山四萬部寺 私の百寺巡礼298

紅に染まった葉に赤いお堂 秩父札所1番 曹洞宗誦経(ずきょう)山四萬部寺 私の百寺巡礼298

四萬部寺の名は、性空上人の弟子幻通が四万部の仏典を読経して経塚を築いた、と伝えられる事に由来する。

秩父札所は34番まである。私もそうだが、西武秩父駅から一番近い便利な13番からという人が多いようだ。
だが、中にはきちんと1番から廻る方もおられるかと思う。
私の場合、やっと1番に来られたの感が強い。
何しろ、1週間前に横瀬駅から歩いて5番から1番まで行くつもりが3番で帰ってしまったのだ。

この

もっとみる
行くことに意味があり! 秩父札所2番 曹洞宗大棚山真福寺 私の百寺巡礼297

行くことに意味があり! 秩父札所2番 曹洞宗大棚山真福寺 私の百寺巡礼297

大棚山(おおたなさん) 真福寺は、9世紀頃、大棚(たいほう)禅師によって開基されたと伝えられています。そのため、真福寺周辺には、大棚禅師の名前を冠した「大棚山」や「大棚川」といった地名の名残があります。

伝説によると、大棚禅師は、嫉妬の悪念にかられて鬼になってしまったことを苦しみ懺悔する老婆をあわれみ、供養のためにお堂を建て、聖観世音菩薩を安置しました。このことがこの真福寺のはじまりとされていま

もっとみる