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落語の大好きなお寺 群馬県沼田市 天台宗海王山善福寺金剛院 私の百寺巡礼235
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天台宗金剛院は、海王山、善福寺と号す。かつては赤城山金剛院といい、現在の昭和村三室にあり、赤城山の別当職をしていた。明徳・応永年間に三浦沼田氏の沼田五郎景次が上洛して出家し、上沼須町に寺院を建立したのが開基といわれる。この沼田景次は、沼田太郎上野介景繁の三男であり、京都においては愛宕山威徳院の別当となっていた。その後、一時、寺運は衰微してしまったが、寛正年間の頃、中興一世の宏栄法印の時代になって沼田氏から愛宕地蔵尊像、寺領、供養料を賜り隆盛した。また、沼田氏が滅んだ後、真田氏の時代になってから、元和元年(1615年)に伊豆守信幸から百間四面の地を賜り、現在の地に移っている。ここは江戸時代沼田町の中心道で、沼田街道として前橋に通じ、参勤交代の際の通り道であった。しかし、金剛院はこの後、数度の火災に悩まされているが、そのつど、再建立されているのは歴代の住職及び檀越の尽力の賜物といえる。 現在の本堂は天明7年(1787年)に、二十世の覚便法印によって建立された。明治維新前は、上野東叡山寛永寺の末寺であったが、維新の時に寛永寺が焼失したので、それより比叡山延暦寺の直末となった。そして、明治14年(1881年)、二十八世の亮海法印の時に成田山新勝寺より不動明王を勧請している。以降、信者団体である成田講(現・沼田成田山金剛講)が結成されて現在に到っている。
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成田山不動院とあるし、弘法大師様をお祀りしてあるので、てっきり真言宗のお寺だと思っていたら、天台宗であった。
北関東三十六不動尊の二番霊場である金剛院は、天台宗の寺院であるが、明治十四(一八八一年、成田山新勝寺から不動明王を迎え、「成田五大尊講」(現沼田成田山金剛講)で大いににぎわったという。現在でも厄よけで知られ、節分には市内、郡内ばかりか前橋・高崎方面からもたくさんの人が参拝、ご祈祷、年男、年女の豆まきが行われる。
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そして、このひきうけ地蔵さま。なんと!なんと!
林家木久扇師匠作がデザインしたものなのだ。
色々な発見があり、なんで成田山よー、などと独り言を言っていたら本堂から声をかけられてしまった。
檀家の男性で、今は住職は用事があって出かけているのだが、これから落語の寄席を本堂でするので準備をしているのだとのことであった。
かなり昔の住職が成田山新勝寺に行った時に不動明王を迎えたのだ、ここはあまり他の宗派とか批判しないし、拘らないのだ、とのことであった。
そういう所が、多分、田舎の良さなんだろうな。隣にある須賀神社とは明治維新の時に別当の役割を切られても良い関係だし。
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本堂に案内してもらった。写真撮影もOKとの事で。
ここのお寺は、落語家を呼んで寄席を頻繁にしているとのこと。
林家木久扇師匠もいらしたし。
テレビで見かける方の名前が沢山あった。
ついでに、中尾彬さんもよく来られるのだとか。
写真では、ねじりネクタイをしていなかった。
明るい木久扇師匠のデザインした、ひきうけ地蔵さまに、手術して入院している大好きな友の脚の痛みを代わりに引き受けてくださるように。と恢復を祈願するのであった。
天台宗海王山善福寺金剛院
群馬県沼田市坊新田町1108
JR上越線「沼田駅」より徒歩30分
「沼田駅」より「片品・老神温泉方面」バス「中町」下車、徒歩2分