茨木のり子の詩は、読んでしばらくした後で、じんわりと心に響いてくる。
それは数分後かもしれないし、何十年も経ってからかもしれない。
年を経て何かを経験した時に、「ああ、これが茨木のりこの詩に描かれていた意味なのだな」とハッとすることがある。そんな熟成した、けれど新鮮な香りを人生に与えてくれる。
わたしが好きな茨木のり子の詩はいくつもあるが、中でも次の詩。
『おんなのことば』の冒頭で、心にズンとくるくらい好きな詩だ。
時に夜があまりに暗く、照らす光がなくても
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい自分で守れ
ばかものよ
----茨木のり子「自分の感受性くらい」
茨木のり子の詩より抜粋
彼女の意思の強さが表れている。「ドッジボールのように」鋭い重量感のある言葉。
与謝野晶子に通じる精神。ストレートで力に溢れている。この時代にこんなことが言える勇気。素晴らしい。
同じくこの時代に「お嫁になんか行かないから」と言ってしまえる潔さと強さ。それは彼女の表情にも表れている。
他と一線を画し、自分の思いを込めた作品を次々と発表していった茨木のり子。
空襲の恐怖や空腹の苦痛しかなかった戦争中に、いちばん華やかであるはずの年頃の娘だった。「わたしが一番綺麗だったとき」はそんな戦時中の思いを、茨木がずっと後になって綴ったものだ。
わたしが一番きれいだったとき
茨木のり子は年頃の娘時代を戦争の中で過ごした。
戦争に勝つためには身も心も捧げなければならない。そんな空気に国中が染まっていた。そんな時代と自分の姿を、30代になってから詠った詩だ。
茨木のり子の「母の家」も美しい作品。
晩年の詩
晩年の詩にはまるーい作品が増える。
この詩「笑う能力」もそんな作品。
気取らない日常的な視線と、心地よいユーモア、爽やかな言葉のリズムが調和している。
おかしいから「笑う」じゃなくて、笑う能力があるから「笑える」。
笑う能力
気がつけば、いつのまにか
我が膝までが笑うようになっていた、という一文に茨木の詩人としての才能が光っている。
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以下の4冊を先月出版。
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