篠原新治

俳句結社「ランブル」同人、俳人協会会員、ひろしま口笛クラブメンバー。      俳句経験は数年です。 「経験がそんなに長くない」ことを逆手にとって、俳句"脱"初心者のヒントになりそうなことを、経験をもとに記していけたらと思います!

篠原新治

俳句結社「ランブル」同人、俳人協会会員、ひろしま口笛クラブメンバー。      俳句経験は数年です。 「経験がそんなに長くない」ことを逆手にとって、俳句"脱"初心者のヒントになりそうなことを、経験をもとに記していけたらと思います!

最近の記事

過去の私の俳句を斬る⑭

昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 泥の湯に夏草の浮く我の浮く  新治(平成27年)季語は、夏草。 別府を訪ねたときに詠んだ句です。5月の連休だったと思います。 旅吟というものの楽しみを知り始めた頃でしょうか。旅に詠む、旅に出た「からには」詠む。俳句を始めたことで、カメラに収めること以上に、旅先の光景をしっかりと見るようになったように思います。また、一句を手掛かりに、旅の思い出がありありと蘇ってくるということも、しばしば経験します。俳句を始めてよかったことの一つですね。

    • 過去の私の俳句を斬る⑬

      昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 梅雨空の上にあるらし忘れごと  新治(平成27年)季語は、梅雨空。 忘れてはいけなかったことがあったような気がするけれど、思い出せない。いっそのこと、あの分厚く重たい梅雨空の向こうに行ってしまったのだと思って忘れてしまおうか。 という感じでしょうか。 全体的に抽象的なことが述べられており、目に見えるモノが少ないですね。 心象俳句が悪いとは言いませんが、どうしても独りよがりな内容になりがちで、「そうですか…」で終わってしまうことが多い。

      • 過去の私の俳句を斬る⑫

        昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 遠き日の祖母は小鬼百合を愛でし  新治(平成27年)季語は、小鬼百合(コオニユリ)。やや毒々しいオレンジ色が輝く百合の一種です。 祖父母宅の庭にはこの花が植えられていて、毎年、不気味に美しく咲いていました。花の名前は、祖母から教わったことを思い出します。 この句の問題点は、すべてが過去形になっていること。 句を詠むワタシは現在にいて、句に登場するモノはすべて過ぎ去ったものとして読まれており、目の前にありません。 俳句は、いま・ここ・

        • 句会を「見せる」という試み

          コロナに負けず練習や活動を続けている公民館グループや市民活動団体が無観客で成果発表や活動中継をインターネット(YouTube)でライブ配信! 市内の複数の会場から、遠く離れた皆さまへ熱いエールをお届けします。 こんな触れ込みで、広島市内の公民館が企画した「リモート公民館ひろしまLIVE2021」 おそらくですが、主催者側が想定していたのは、音楽演奏サークルや、演劇、ダンス等、「画面映え」する活動だったのではないかと思います。 そんななか、私の所属する俳句の会は、文芸系と

          過去の私の俳句を斬る⑪

          昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 古寺や牡丹は我を見つめをり  新治(平成27年) 季語は、牡丹。 実際に見た景色ではなく、幼い頃、祖父母に連れて行ってもらった、薬王寺(香川県三豊市)の牡丹を回想して詠んだものです。 一応、回想の中のものとしてではなく、ちゃんとタイムスリップして眼前に季語を置いているので、そこは問題なしか。 こどもの背丈ほどの高さに、こどもの顔ほどの大きな花が咲いているという臨場感は伝えられているかと思います。 ただ、「や」の強い切れがあるにも

          過去の私の俳句を斬る⑪

          過去の私の俳句を斬る⑩

          昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 其処此処に黒き代田や星数多  新治(平成27年)季語は、代田。 耕して水を引いた田は黒々として、農村の景色を一変させます。 水と泥の匂いが満ちてきて、空気も入れ替わるような気がします。 最後に星が出てきますので、時間帯は夜。 中七に明確な切れを持ってきたところには、当時の私の勉強の跡(?)が見えます。 黒々とした色を想像させるために、漢字を多用しているのでしょうが、さすがにちょっと重たくなりすぎているきらいがあります。 また、

          過去の私の俳句を斬る⑩

          過去の私の俳句を斬る⑨

          昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 一つあれば二つ三つあり蕨摘み  新治(平成27年) 季語は、蕨摘み。 幼い頃、よく祖父母に山菜採りに連れて行ってもらっていました。蕨は、背丈の低い若芽を摘むのですが、周りの草々に紛れて最初のうちは見つけづらいのです。ただ、しばらくすると目が慣れてきて、次々に採れるようになってきます。そんな感じをそのまま書いた句ですね。 一点だけ、「蕨摘み」は名詞ですから、送り仮名は不要なので、「蕨摘」とすべきところ。 その他は、特に悪くないとは思

          過去の私の俳句を斬る⑨

          過去の私の俳句を斬る⑧

          昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 つばくらめ居を構へては微笑みぬ  新治(平成27年)季語は、つばくらめ。燕のことですね。 巣作りを済ませて、軒下に憩っている燕の番いを見て、微笑んでいるようだと受け取ったのでしょうが・・・ さすがに幼稚な捉え方ただなと思います。燕は微笑んだりしません。 安易な擬人化は、失敗のもとなので、慎みたいところです。 また、居を構へ、というのは大げさな表現です。普通の言葉を用いたいところです。 原句を活かして整えるのは、なかなか難しいです

          過去の私の俳句を斬る⑧

          過去の私の俳句を斬る⑦

          昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 この土手と憶へてをりし土筆かな  新治(平成27年) 季語は、土筆。 去年と同じような場所に、今年もまた生えてきた、ということでしょう。土筆が摘めるスポットは、私自身も記憶していたけれど、土筆の側も忘れずに出てきてくれた、と。 まず問題なのは仮名遣いの誤り。 「憶える」は、文語では「憶ゆ(おぼゆ)」。ヤ行下二段活用の動詞ですから、「へ」という表記はありえません。「憶え・憶え・憶ゆ・憶ゆる・憶ゆれ・憶えよ」と活用します。 「え」を

          過去の私の俳句を斬る⑦

          過去の私の俳句を斬る⑥

          昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 俳句が少しわかるようになってくると、他人の句の表現が気になって、「こうしたらもっといいのに・・・」とウズウズしてくる、という経験をされた方は、私のほかにもいるんじゃないでしょうか。 そんなとき、自分の句なら、容赦なく手を入れられて、誰も傷つけないので、やりたい放題です。おススメ。 行く春や大あくびして恥もなし  新治(平成27年)季語は、行く春。 眠たい眠たい春の間に、さんざん人前であくびをし続けて慣れてしまって、春が終わるころには

          過去の私の俳句を斬る⑥

          過去の私の俳句を斬る⑤

          昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 すりガラス越えて新樹の姿あり  新治(平成27年) 季語は、新樹。俳句を始めるまで、こんな言葉があることを知りませんでした。瑞々しい緑色を想像させる、気持ちのよい季語です。 実は、この句には、参考にした句があります。プレバト!で取り上げられていた、市川猿之助さんの  満月に相輪の影ひとつあり というものでした。末尾の「あり」が力強く感じられて、とても魅力的に思われたのです。 また、直接見るのではなくて、濁ったすりガラスを通して見

          過去の私の俳句を斬る⑤

          過去の私の俳句を斬る④

          昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 朧夜に足音まるく長く伸び  新治(平成27年)初めて句会に出した4句のうちの一句です。季語は、朧夜。 春の夜は満月でもぼんやりとしていて、影も足音も、やわらかく感じられる、という句意でしょう。「音が丸い」という把握は、そこそこ詩的ではあります。 ただ、句の中に切れがなく、下五も連用形で終わっていて、中途半端な感じがします。べたーっとしているのが、句の表す光景とも相まって持ち味なのかもしれませんが、どこかすっきりしないような、気持ち悪さ

          過去の私の俳句を斬る④

          過去の私の俳句を斬る③

          昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 書をめくりあたたかな風おこりけり  新治(平成27年) 初めて句会に出した4句のうちの一句です。季語は、あたたか。 本のページをめくると、軽やかな風が生じて、あたたかく感じられたという句ですが、動詞2つ入って、ちょっと煩いようです。 また、「めくる」は他動詞なので、書をめくったのは私自身ですが、「おこる」は自動詞なので、風が勝手に生まれたという意味になります。動詞の主語がそれぞれ異なるので、何となく捻じれているような印象も受けます。

          過去の私の俳句を斬る③

          過去の私の俳句を斬る②

          昔の自分と、俳句を通じて対峙する。 なかなか面白い時間です。俳句を続けておられる方、記録を残しておられる方は、ぜひやってみてください。 麗日や川のあちらを母の行く  新治(平成27年)初めて句会に出した4句のうちの一句です。季語は麗日(れいじつ)。 上五を「や」で切って、中七下五を一続きにしてくっつけるという、俳句の基本形はできていたようです。しかし、季語のせいもあって、全体的にぼんやりとした景です。それが持ち味なのかもしれませんが。突き刺さる魅力があるわけでもなく、句

          過去の私の俳句を斬る②

          過去の私の俳句を斬る①

          句会に参加して定期的に俳句を作るようになって数年が経過しました。 過去の句会の結果等はファイルに綴じて保管しています。 普段はなかなか開いて見返すことはありませんが、このたび、書類を整理する中で、過去の句に触れる機会がありましたので、眺めていると、  陳腐な表現・・・ 文法誤り・・・ 映像が見えない・・・ といったアラがたくさん見えてきました。 俳句を初めて数年たって、改めて過去の自分の俳句と向き合うことで、今度、自分が初心者にアドバイスするときに、初心者が気づかず

          過去の私の俳句を斬る①

          【俳句】雨粒に火の色封ず曼殊沙華

          なかなか旅行に出かけられない日が続いています。 しばらくは、皆で集まっての吟行も難しそうなので、WEB上の画像から、一句を得るのもありかもしれません。 私のおススメは、尾道市生口島にある「耕三寺」さんのツイート。 煌びやかな堂塔や季節の花々等の写真が頻繁に投稿されています。 他にも何かいい感じのツイートがあれば、俳句を寄せてみようかな。 良いスポットが広まっていくきっかけになれば。

          【俳句】雨粒に火の色封ず曼殊沙華