過去の私の俳句を斬る⑪
昔の自分と、俳句を通じて対峙する。
古寺や牡丹は我を見つめをり 新治(平成27年)
季語は、牡丹。
実際に見た景色ではなく、幼い頃、祖父母に連れて行ってもらった、薬王寺(香川県三豊市)の牡丹を回想して詠んだものです。
一応、回想の中のものとしてではなく、ちゃんとタイムスリップして眼前に季語を置いているので、そこは問題なしか。
こどもの背丈ほどの高さに、こどもの顔ほどの大きな花が咲いているという臨場感は伝えられているかと思います。
ただ、「や」の強い切れがあるにも関わらず、末尾にも「をり」と終止形が来るので、切れすぎている印象があるような気がします。
また、古寺や~ という書き出しは、「俳句っぽいでしょ上手でしょ」と言わんばかりの雰囲気もあり、嫌味っぽい感じ。
自分が花を見ているのではなく、花の方が自分を見ているのだ、という把握も、ちょっとわざとらしい感じ。「我を」がダメ押しになっています。
寺と牡丹の他に、もう少しだけ、情報が欲しいところ。せめて時間情報を入れましょうか。
顔ほどの牡丹に逢ひぬ寺の昼 新治(令和3年)
「顔」と書くことによって、花と対峙している様子を想像させる効果を狙ってみました。また、昼間の日差しを軽く添えてみました。