過去の私の俳句を斬る⑭
昔の自分と、俳句を通じて対峙する。
泥の湯に夏草の浮く我の浮く 新治(平成27年)
季語は、夏草。
別府を訪ねたときに詠んだ句です。5月の連休だったと思います。
旅吟というものの楽しみを知り始めた頃でしょうか。旅に詠む、旅に出た「からには」詠む。俳句を始めたことで、カメラに収めること以上に、旅先の光景をしっかりと見るようになったように思います。また、一句を手掛かりに、旅の思い出がありありと蘇ってくるということも、しばしば経験します。俳句を始めてよかったことの一つですね。
紺屋地獄で白濁の湯に浸かっているときに、千切れたのか、抜けたのか、草が浮いて流れてきて、葉っぱの緑が鮮烈に感じられたのでした。
足の裏の、ぬるぬるの泥の感触と相まって、全身の実感をもって得られた句だったと記憶しています。
対句表現の句が好みで、自分でも作ってみたくて、わざと「浮く」「浮く」と重ねてみました。
まずまずの内容かなとは思うのですが、さて、季語の「夏草」は季語の本意どおりに使われているでしょうか。
夏草は、しぶとく生えてくる、いわゆる雑草のことですね。
この「生えて」いることが大事で、抜いている、あるいは千切れて落ちている、というのは、季語の夏草として働かない可能性もあるのではないでしょうか。
もし使うなら、植物としての種類は変わってしまいますが、「夏落葉」のほうが相応しいかもしれません。
落葉ですので、瑞々しい緑色ではなくなってしまいますが・・・