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御教え

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金光大神(こんこうだいじん、金光教の教祖)の御教えを,毎日頂きます。
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2020年7月の記事一覧

月々のつごもり(晦日)には

月々のつごもり(晦日)には

正月一日にはごく早朝に参詣して、一年中の万事万端残らず金乃大神様へお願いせよ。

また、月々のつごもり(晦日)には、三十日のつごもり祓(ばらい)に拝参して、月のご無礼お払い取りを願えよ。

また、七月十三日は禊祓というなり。

また、十二月三十一日は大祓というぞ。大つごもりには一年中の御礼せよ。これまでのご無礼お払い取り願えよ

 金光教教典
 309頁
 斎藤宗次郎
 21

おはようございます

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〇〇歳と、いろいろの身を祝う時には

三十三歳、四十二歳、六十一歳、八十八歳と、いろいろの身を祝う時には、正月のおかがみの便に、数のもち、いるだけ別にしておき、

それを正月一日のごく早朝に、金乃大神様へ、お神酒、おかがみもち、また、数のもち、また、品々お供えして祝う日が、元日から三日まで、

これを三日棚(さんがだな)というなり。

 金光教教典
 309頁
 斎藤宗次郎
 20

おはようございます。

昨日頂いた御教えにあるよう

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極貧な者は厄負けしどおしなり

極貧な者は厄負けしどおしなり

いずれにも、三十三歳、四十二歳、また六十一歳、または八十八とかいうて、年祝いとかまた誕生祝いとかいうて、

正月飾り後か、また改めて二月一日かに祝いをするから、娘も来い、おじさんも来てくだされとか言い、いとこ、はとこ、また、隣家隣村の者まで呼び寄せて、

みんなに厄を持ってもらうとか、いろいろに言い尽くしてにぎやかにして、不相応な入用しておごり、それを祝いというけれど、

にぎやかにして厄ばねがで

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大厄は小厄に 小厄はお払い取りを>

大厄は小厄に 小厄はお払い取りを>

金乃大神様へご信心いたすなれば、大厄は小厄におまつりかえ、また、小厄はお払い取りを御願いあげよ。

 金光教教典
 308頁
 斎藤宗次郎
 18

おはようございます。

このことを教祖様は、次のように御教え下さっています。

*

物にたとえれば、たらいにいっぱいためた水を屋根棟からぞろぞろとうつしてみよ。これが小厄の引別(ひきべつ 例え)ぞ。

それをどうとうつせば、大厄の引別なり。

ご信

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信心は家内に不和のなきがもとなり

信心は家内に不和のなきがもとなり

それは、信心するがよい。信心は家内に不和のなきがもとなりということがある。

なんでも、もうけをすると思うて、物事をこらえるが第一。言わんがもと。

家内中心得て信心すれば、万事おかげくださる。

 金光教教典
 307頁
 斎藤宗次郎
 17

おはようございます。

戦国武将の伊達政宗は、出される食事がまずくても、おいしいと言ってお礼を言った、となにかで読んだことがあります。

手元足下で心が

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打ち向かう者には負けて、時節に任せよ

打ち向かう者には負けて、時節に任せよ

それは、境がいるから抜いたのじゃ。

負けてやれ。先を楽しめよ。打ち向かう者には負けて、時節に任せよ。心で憎んで口で愛すな。

神の教えも真の道(まことのみち)も知らぬ人の哀れさ。

 金光教教典
 306頁
 斎藤宗次郎
 15

おはようございます。

明治八年亥の一月に隣の人が屋敷の境ぐいを夜の間に抜いたので、その事を斎藤先生が金光様へ御願いされました。

上のお言葉がその時の御教えです。

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人の悪きはわが悪き

人の悪きはわが悪き

何事も心得てよし。負けて勝つということがある。人の悪きはわが悪きと思えよ。

 金光教教典
 306頁
 斎藤宗次郎
 15

おはようございます。

このことについての教祖様のお話は、ユーモアに満ちています。

*

この辺りに、まことに丁寧な者あり。その人は、理解を聞くとすぐにいんで(帰って)、隣に割木を門に重ねてあるのを、その人が、まるで(すっかり)かたいで(かついで)もどりたら、すぐに隣

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物事に先に出な。後から行くがよし

物事に先に出な。後から行くがよし

物事に、出るくいは打たれると。物にたとえて、よそへ行くとも、先に行けば障子をあけねばならず、おえ(畳の間)にあがれば、祝儀不祝儀とも先に言わねばならず。後から行けば何事も骨が折れぬ。

何事も、負けて勝つということがある。物事に先に出な。後から行くがよし。

 金光教教典
 306頁
 斎藤宗次郎
 14

おはようございます。

現代は競争社会、一番が評価され、勝者が評価される時代です。
今日の

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負けてやれ。時節に任せ

負けてやれ。時節に任せ

昔より歌がある。ご代にゃめでたの若松様は枝が栄えりゃ葉も茂るということがある。大木でも、根から切って逆さまにつりておいてみよ。それで枝葉が栄えるか。

負けてやれ。時節に任せ、神様へ気を入れて、万事おくり合わせを願え。

 金光教教典
 305頁
 斎藤宗次郎
 13

おはようございます。

斎藤宗次郎先生が、分家より本家を義絶したことについてお伺いした時の御教えです。

「負けて勝て」との御

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曇りない身は晴れる

曇りない身は晴れる

わが頭の上に抜き身を振りあげてきても、知らん顔をしておれよ。(略)真一心をもって神にすがりてゆけば、曇りない身は晴れる。

 金光教教典
 304頁
 斎藤宗次郎
 12

おはようございます。

この御教えは、「人から覚えのない罪を言いかけられて」しまった時の心得を斎藤先生がお伺いした時のものです。

略したところには、教祖様御体験が語られております。それを以下に写します。

*

金光大神は

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おかげ作りの綿がいかいふいた

おかげ作りの綿がいかいふいた

百姓をしていた時、綿の作り立て、綿に肥をせずに作り。色は雨でれで、木は小出来な綿ができ。また、子供らが「うちの綿はふうが悪いから、肥をせい」と言うてまぜる(あれこれ言う)から。「そんなら、半分肥をせい。半分はおかげで作りてみい」と申した。

そしたら後には、肥をした分はまことに色のよい、腰きり(腰の高さ)の綿ができた。半分は、雨でれな、こまい木ができた。まことにこざかしい(小さく形の整った)ふき(

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頼めばおかげくださる。逃げれば毒にもなる

頼めばおかげくださる。逃げれば毒にもなる

氏子が、えんたい(厭対日)に種物をまけば種が絶えるというけれど、種を絶やす神様なら、どうぞ、あなた(神)のご地内に、生えつき、出来立ちをと願えば、見事な作をくださるなり。

氏子でも、がりを引く(無理をいう)者は頼めば役に立つ。嫌えば、毒虫のようにもなる。

あの人はのうのう様(お人よし)じゃという人は、毒にもならず薬にもならず。

神様も、頼めばおかげくださる。逃げれば毒にもなる。氏子も一つこと

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だれも一つことじゃ

だれも一つことじゃ

金光大神が唐臼(とううす)をひく時は、ただ一人ひくのに、まことに目に見えぬように唐臼が回るなり。

今たばこせいと教えあれば、唐臼はちんとやみ、しばらくたばこすると、今ひけえと言えば、また回るなり。それでも息もはずまず。

はじめからしまいまで、いかい(多く)ひく唐臼なり。まことに万事御くり合わせいただき。

それも一つことじゃから、信心して金光大神のまねをする人は、みな、おかげを受けた受けたと言

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万事、金乃大神様にお願いせよ

万事、金乃大神様にお願いせよ

百姓していた時は、取りかかる折りに、何をする時にも金乃大神様に御願いあげ、これから牛を使わしてくだされと御願いあげ。また、いろいろの仕事をする時にも、一々御願いあげ。

また、農業にかかると、まことに体を目に見えぬごとくにお使いくだされる。今たばこ(休憩)せいと教えくださる。それが、みな金光大神の口で言われるなり。

また仕事にかかりて、早く急げ急げと言われて、体をお使いくださる。今やめて帰れと教

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