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極貧な者は厄負けしどおしなり

いずれにも、三十三歳、四十二歳、また六十一歳、または八十八とかいうて、年祝いとかまた誕生祝いとかいうて、

正月飾り後か、また改めて二月一日かに祝いをするから、娘も来い、おじさんも来てくだされとか言い、いとこ、はとこ、また、隣家隣村の者まで呼び寄せて、

みんなに厄を持ってもらうとか、いろいろに言い尽くしてにぎやかにして、不相応な入用しておごり、それを祝いというけれど、

にぎやかにして厄ばねができるものなら、身代のある金持ち、または長者は、厄負けする者はない。

また、極貧な者は厄負けしどおしなり。

 金光教教典
 308頁
 斎藤宗次郎
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おはようございます。

これを読ませていただくと、教祖様は合理的な考え方をする方であったことが分かります。

その根底には、そういったことも神様のおかげを頂いてのこと、という信心があります。

身分不相応で生活にも響くような、そんな飲んだり食べたりをしなくてもよいと言われて、ほっとした人も多かったのではないでしょうか。

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誕生日には、ここまで生かしてくださった神様と霊様にお礼を申し上げ、お世話になった周りの人にもお礼を伝えます。

厄年と言われる年には、やはりそこまでの命の働きにお礼を申し上げ、「厄年とは役に立つ年」と教祖様がおっしゃるように、一層役に立つことを神様にお願いします。

どんな人もつながりの中で生きています。ですから、神様・霊様に御礼を申し上げると共に、周りの人にもお礼を伝えることが大切だと思っています。

誕生日や厄年は、つながりある人とのつながりがさらに豊かで楽しいものになるように、お礼を言ったりお祝いを言ったり、時にプレゼントをしたり食事をしたりします。

そんなことをとてもありがたく感じます。
先日は誕生日のお祝いということで、子どもがウナギを食べさせてくれました。

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