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適応障害休職からの復職⑪休職から2ヶ月、復職しませんでした。

休職から2ヶ月、最初に診断書をかいてもらった
2月の休養を要する
が、終わりました。

私は、復職しませんでした。
体力も落ちていて、働ける状態じゃないし、
この管理職、同学年では、また潰れると思ったからです。
休職前、教育実習生の指導教官をしました。
その時に、
「何で、学年主任の私じゃなく、あんたが実習生を持つの?一回も実習生持ったことないのに!バカにするな!」
と、怒鳴られ(誰が指導するかは校長判断なので、私が怒鳴られる必要はありません)

本来、学年、学校全体で、実習生の受け入れをするはずなのに、実習生本人も無視し、授業の協議会のときには、実習生へのダメ出し、人格否定で、潰しにかかっていました。
実習生からも、
「あの先生から、査定授業前に内緒で個人的に指導案をみてあげると言われましたが、とても怖いです。助けてください。」
と、相談され、体調があまりよくなさそうだったので、査定授業に備えて定時で帰したことにしました。(内緒だったので、知らないことにしていました。)
でも、本人は「素晴らしいことをしてあげている」「みんなからたよりにされている」という認識でした。
主治医や、後に復職プログラムでお世話になる教育委員会と提携している総合病院の精神科医のお医者さんも、エピソードを話すと、学校主任や校長に人格的な問題があるとおっしゃっていました。

校長は、女性校長会の会長兼教科の研究委員会の委員長をしていました。高血圧の薬を服用していて、ロングヘアの巻き髪に、常に二連か三連のネックレスとイヤリングをしている方でした。
私は、休職するまでは彼女のお気に入りで、校務分掌の主任や、校長が新しくやりたいことを形にする役割で、校長室に呼ばれることが多く、その事が学年主任はおもしろくなかったみたいで、校長室から戻ると、
「ゴマすり女!」と、言われていました。
今なら、
「ゴマすり女!凄いネーミングセンスですね(笑)◯◯先生、聴いてください!学年主任から、ゴマすり女と言われちゃいました(笑)」
と、返せますが、当時は、真っ直ぐに受け止め、
自分が悪い。もっと学年主任と仲良くならなければ。と、考えていました。

私は、前年度も同じ学年だったので、地域の方との学年行事の打ち合わせの時も顔見知りで和やかに話をしていたのが、プライドが高い彼女にとっては、
「学年主任の私を皆でバカにして!」
という発想になりました。そして、地域の方を無視したり、睨んだりするので、地域の方がたは、
「あの先生、苦手なんですが、、、」と、なり、溝が深まり、悪循環でした。
また、若い男性の先生とはにこやかに話そうとしますが、日ごろの彼女の言動を見てるので、距離を置かれてました。
誰からも相手されないイライラを、同学年の私にぶつけて来る。という毎日でした。

その校長の下では、私の前に、1人うつ病に。
後に1人退職、私の代わりに来た講師も1人途中で辞めています。講師の方は、ある日、号泣して、翌日から来なくなったと聞きました。

そこには戻りたくない。戻ったら、今度こそ完全に壊れてしまう。そう思いました。

担任持たなくていいのよ。
むりしなくていいのよ。
来て、帰るだけでいいのよ。
きつかったら、その都度や休んでいいのよ。
校長は、とても優しい声で、どうにか復職させようとしました。それがかえって怖かったです。
以前、うつ病で休んでいる同僚を、面倒だと言っていた場面が頭を過ぎりました。

何度も電話が来ました。

とにかく、学校に「来なさい!」

「来なさい」
の言葉を聞いた時に、
「行っちゃいけない!」と、思いました。
主治医にも報告したら、
「来なさい、、、、、、ですか、、、」
とおっしゃって、
「診断書を書きます。」
と、休養延長の診断書を書いていただきました。
「郵送で送ってくださいね。直接やり取りしないでください。」

主治医からそう言われましたが、
校長からは、あれほど約束したのに、夫ではなく、あいかわらず私に電話がかかってきていました。


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