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「いま」限定の自分を写す

「だめだ分かんない」……母が愛情込めて育てている多肉植物を撮ろうとして、音を上げる。上から撮っても下から撮っても、引きで撮っても寄りで撮っても、なにかがしっくりこない。

私の思う多肉植物のイメージとは、鉢の真ん中でちょこんとお利口さんにしている姿だったが、母のコレは陽の光に向かって鉢植えからいびつなほどに飛び出していた。

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ちなみに母は私に多肉植物を撮って欲しいなんて一言も頼んでいない。それなのに「いや本当わかんないや」と笑いながら何枚もシャッターを切る。そんな私は今日、誕生日を迎えた。

人よりも花を撮ってきたと思う。母が年中絶えず庭に花を植えていたので、常に“被写体”が身近にあったこともあるかもしれない。写真フォルダを見返すと2014年の誕生日に撮った写真が出てきた。

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“黒”の中で白く映える薔薇を、なんとか写真に残そうとした。暗闇の中でどう写すか心が折れそうになった記憶があるが、いま見ると嫌いじゃない。あの頃、とにかく写真を撮りたくて仕方がなかったのに仕事から帰るのはいつも真夜中で、なにか撮れないかと夜でも撮影できそうなものを探していた。「明日明るくなってから撮ればいいのに」という母をさておき、庭先にしゃがみこんで何枚もシャッターを切った。

仕事を辞め、育児をしながらカメラを構えるいまの私には、もう撮れないだろう。らしくなく“いびつ”に成長した多肉植物を誰に頼まれたわけでもないのに美しく写そうと庭に寝そべるのが、どういうわけか今の私だ。


今しか撮れないものを写そう。
それから、母へ。私を生んでくれてありがとう。

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2020/03/25 こさいたろ


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