名前が知られていたら忘れられる瞬間もなく、いま世界のどこかで誰かが思い出していて、つまりそれは生きているってことだ。 それにしても、少なくとも1人の生きている人間はingで死んでる人間のこと覚えてられなくて、忘れないといけないのが世界のルールだからわたしはそれを悲しんでいるというわけ。 「あそぼ」とか「お茶しよ」とかの約束とそれを守れなかったわたし、それから彼女の作り出した彼女の欠片ばかりが取り残されて、彼女は遠いところへびゅーんといってしまった。 薄情だと言うんでしょ
たまにはおじいちゃんの話をしたい。 わたしのおじいちゃんはわたしが高校生の時に亡くなった。定年後、畑仕事をしながら病気で寝たきりのおばあちゃんの介護をしつつ2人で暮らしていた。 耳が遠くて、雑談みたいな話をほとんどしなかった。おじいちゃんちから帰るとき、おじいちゃんはいつも力強い握手をした。わたしは『この人は100歳まで生きるんだろう』となんとなく思っていた。 高校生の頃、わたしは平和活動なんて得意げな顔をして、見知らぬ被爆者の体験を聴いたり残したりしていた。18歳で被
健康のためにサラダを買った。 コンビニのサラダは特においしくもまずくもない、もっと言えば食べたいわけでもない。空っぽの冷蔵庫を携えたままで健康でいるためには、(たとえコンビニでも)サラダを買わなければならない日がある。 起きたら食べようと思って買ったのに起き抜け、八百屋さんに買い物に行くことに成功してしまった。サラダから目を背けて鍋を煮た。 買い物に行けてないので肉はない。野菜だけの鍋だ。健康のためのサラダが、冷蔵庫の中からわたしを睨んでいる。 また、わたしは健康のた
「乗る?」と聞かれて「えっ」と言い淀んでしまった。言い淀んでしまった後にその空白が微妙な沈黙になってゆく様を眺めることしかできず、冴えない返事をしてしまったのが恥ずかしかった。 わたしのかわいがっている犬は運転ができるのでえらい。 よくドライブするんだよね、などという世間話を聞いて思わず「いいなあ〜!」と口をついて出た。 わたしは車の助手席に乗るのが好き。 つい先程友人と「異性の車に乗るのは勇気がいるよね」などという話をしたばかりだった。そんな話をえらそうにしたくせに
声が会場にふわっと広がった途端、ぽろぽろと涙がでてきて、あわててかばんを探ってティッシュを取り出した。 歌うようなMCに、さっきまで興奮してにこにこしていたわたしはすっかり泣き笑いの顔になっていて、ああ1人でよかったななんて頭の片隅で思う。 ずっとこの人に会いたかった。 ずっとこの人の歌を聴きたかったのだ。 中村佳穂という人を知ったのはずいぶん前で、それも知り合いが最近この曲聴いてんだよね、とこぼした程度のきっかけだった。 YouTubeにはいくつかのライブ映像があっ
するべきことが何ひとつ終わらない休日だった。 眠りにつく前からどうしても本屋に行きたくてうずうずしていたわたしは、早めにかけたアラームと二度寝と戦いながら眠い目を擦って、ぐうぐう鳴るおなかを無視して家を飛び出した。 あたたかい光を灯す本屋をうきうきしながら物色する。今日は買うぞ!と思った日に限ってほしい本が見つからなかったりするのだけれど、この本屋はいつもわたしの心ど真ん中な陳列をしている。 冬が好きだった。 空気が澄んでいて夜が長い。星も綺麗に見えるしキンと冷えた空気
母から荷物が届いた。 新米のお裾分けと、その隙間を埋めるための様々な食品たちである。事前に連絡をもらっていたのでついに届いて嬉しい。 しかしわたしの家にはお米が大量にあって、新米も早く食べたいし、ありがたい悩み。 「なにがほしい?」と聞かれて珈琲と答えるあたりわたしは高校生くらいから変わっていない。 わたしの家族はみな珈琲や紅茶を愛していて、日課のように飲んでいる。実家に帰省した時はわたしがいつも家族に珈琲を淹れる。 「でも、面倒だったらいいよ」と言ったのは珈琲なんて
自分の爪にマニキュアを塗り直すとき、わたしは小学生の夏休みを思い出す。 母は昔からよくマニキュアを塗っている人で、手を綺麗に見せてくれるような地味な色合いのものを爪の保護も兼ねて塗っている。 それが羨ましくて、夏休みの間はよく母にねだって塗ってもらっていた。母は手先が器用なのでそつなく綺麗に塗ってくれる。 あんたら不器用じゃね、なんて母はよく笑って言う。わたしと姉は、姉妹揃って不器用だったから。 それでもマニキュアだけは何度も自分で塗って、すこし上手に塗れるようになっ
友人が「部屋の模様替えをするとわりと気分が変わるよ」と言った直後「おれが言うと大袈裟に聞こえるかもしれないけど、電気を変えるとかそういうのでじゅうぶん」と訂正してくれた。 ギターの弦が張り替えられない。 ギターを弾き始めたのは15歳の時で、つまりもうわたしは10年くらいギターを弾いているのに、いまだに弦が張り替えられない。 正確に言えば張り替える必要性が差し迫ってない。わたしはあまり手汗をかかないので弦が錆びることは滅多にないし、切れるほどの力で弾くこともない。 たまに
母の作るグラタンが好きだった。 部屋中に広がるバターの香り、玉ねぎを炒めるいい匂い、抱きつくと母のエプロンはいつもおいしいご飯の匂いがする。 「コーンクリーム、入れといたけえね」 と、母から連絡が来たのは休暇明けのことだった。届いた荷物の中にはグラタンの素とコーンクリームが一緒に入っていて、これを入れたらおいしいからと。 母はわりと大雑把な人で、ホワイトソースから作る日もあればこういう簡単に作れるものを使ったりもする。 高校生の時、母が病気になって万が一にはダメかもしれ
広島では手が届かないことを「たわん」と言う。「あれ届かないから取ってくれない?」を、「あれたわんけえ取ってくれん?」と言う。 手が届く。何気ない言葉だけど、手が届くということは当たり前かつこの上ない幸福だとも思う。わたしの世界は、わたしの手が届く範囲のすべて。 * * * 初めて千駄木駅に降りたった。商店街は昭和にタイムスリップしたような雰囲気で、Googleマップと睨めっこしながらお花屋さんを目掛けて歩く。 店頭には薔薇とチューリップが並んでいて、3本のチューリップ
よいしょ、というひとりごとが友人の口癖だった。人の口癖というのは気になるもので「あ、また言ったな」と心の中で思う。 友人の「よいしょ」はまるみを帯びている。投げやりでも嫌々でもなく、そっと置くような響きで「よいしょ」と言う。 友人はたいへん優しくて面倒くさがり屋で、しかし料理が得意なので度々料理を振る舞ってくれる。わたしたちは趣味が合い、たまに一緒に家でご飯を食べたりじっと漫画を読んだりして過ごす。 深夜に煙草吸いに行こ、と公園に呼び出しても嫌な顔ひとつせずすぐに来てく
12時間の睡眠から目が覚めて、覚醒するよりはやく近場の銭湯をGoogleで検索する。目が覚めて突然、大きなお風呂に入らねば!という使命感に駆られたのだ。 わたしはひとりで銭湯に行ったことがない。 家族で温泉に行こうとか旅先で友人と、など機会があったら行く程度で、というか多分温泉と銭湯はお風呂好きに言わせれば違うんだろうけどそれはさておき。 そんなわたしがなぜかはわからない。 わからないけれどこれだ!と強く思った。 使命感というとやや大袈裟かもしれないけど、神さまの啓示受
この数ヶ月、犬に懐かれている気がしていたが、実は懐いていたのはわたしだったのだと思う。犬はいつも暖かくてかわいい、時に憎たらしいが3秒でまあいいかと思える快活さがある。 わたしは犬の頭に手を潜らせるのが好きだ。男の子のことを犬と呼ぶのは失礼かもしれないが、彼はわたしが犬と思っていることを「悪くないや」と言うので、わたしたちの関係は不健全だがこれでいい。 犬はとにかくかわいい。目を合わせると自分からそらせなくて怒りだすのも、調子に乗りやすいところも、お酒をぐいぐいと飲むとこ
愛とか恋とか一生考えている。 ポルノグラフィティが「僕らが生まれてくるずっとずっと前から変わらない愛の形を探している」と歌っていた気持ちが今ならわかる。 愛はそこかしこにあって、どこにも見えない。古いビルの階段で煙草をふかすくたびれた早朝にだって、わたしは愛を探している。くたびれたワンピースを着て、何をしているんだとも思うけど、そういう朝だってあるとここで言っておきたい。 毎日目まぐるしく色んな人に会って消費されていると定期的に電池が切れる、と思う。にこやかに愛想をばら撒