夏の思い出
たまにはおじいちゃんの話をしたい。
わたしのおじいちゃんはわたしが高校生の時に亡くなった。定年後、畑仕事をしながら病気で寝たきりのおばあちゃんの介護をしつつ2人で暮らしていた。
耳が遠くて、雑談みたいな話をほとんどしなかった。おじいちゃんちから帰るとき、おじいちゃんはいつも力強い握手をした。わたしは『この人は100歳まで生きるんだろう』となんとなく思っていた。
高校生の頃、わたしは平和活動なんて得意げな顔をして、見知らぬ被爆者の体験を聴いたり残したりしていた。18歳で被爆した祖父の話は、本人から直接聴いたことなんてなかった。
聴くのが怖かった。
テレビに取材された時、おじいちゃんにその番組を見せた。直接話を聴いてこないくせに、えらそうに「被爆者から直接話を聴ける最後の世代」なんて自らを宣って、ああなんて恥ずかしい。今思い出しても恥ずかしい。寡黙だった祖父はわたしをどんな風に見ていたのだろう、と思う。
夏、わたしの誕生日には必ずカルピスを贈ってくれていた。もう長くないとわかって、お酒好きなおじいちゃんとノンアルコールのビールで乾杯した。あの時も夏だった。
行きつけの近所のレストラン、毎週末のようにランチを食べに行っていた。庭でバーベキューをしていた夜のこと、泊まった夜の虫の音、思い出はいつも断片的に浮かぶ。
夏はわたしにとって、生と死の匂いが色濃く映る季節。
おじいちゃんは被爆者だったので、手記を読んだことがある。たまたま建物の影にいて助かったという話もままから聞いたことがある。
それでも直接話を聴くのが怖くて、怖くてたまらないと思って聴けなかったこと、夏になると思い出す。
わたしはそれをもうずっと、悔やんでいる。
これから先もきっと。
祖父母は父方も母方もどちらももういない。
わたしが高校を卒業する頃には全員いなかった。わたしは人見知りで、たくさんの話ができなかった。
7つ上の姉は当然だけどわたしより7年長く祖父や祖母と関わっていて、だから少しだけ、距離を感じていたと思う。
しんだ人たちのこと、たまにふと思い出す。
お葬式の悲しい空気、お線香の匂い、人を焼いた後の熱くて白い骨。
わたしはお葬式で悲しむのが苦手、実感がいつまでも追いつかない。それでもたまに会いたくなる。どうしようもなく行きたくなる。
野良犬が歩くあの町、さつまいもととうもろこしの植る畑、玄関でくすぐってくる祖母、トランプの切り方を教えてくれた祖父、和式のトイレ、力強い握手、寝たきりの祖母とルールなんかすっ飛ばして一人勝ちしたオセロ、たまらなく恋しくなる。
そういう記憶を思い出す。わたしの8月6日。
大人になった今、もっと話したかった。
仲良くなりたかった。
でもきっと、今のわたしも気恥ずかしくてうまく話せない。生きてる時間が有限なこと、わたしは頭ではわかっているのにいつもうまく向き合えない。
繋がれた命がこんなにも尊いこと、わかっていても実感を持って関わることがまだ難しい。
8月6日が来るたびに、熱く焼け野原になった広島の町で立ち尽くす祖父を想像する。
生き延びて繋がれた命、生と死が色濃くひかる夏。
どうか安らかに。