おいしいグラタン
母の作るグラタンが好きだった。
部屋中に広がるバターの香り、玉ねぎを炒めるいい匂い、抱きつくと母のエプロンはいつもおいしいご飯の匂いがする。
「コーンクリーム、入れといたけえね」
と、母から連絡が来たのは休暇明けのことだった。届いた荷物の中にはグラタンの素とコーンクリームが一緒に入っていて、これを入れたらおいしいからと。
母はわりと大雑把な人で、ホワイトソースから作る日もあればこういう簡単に作れるものを使ったりもする。
高校生の時、母が病気になって万が一にはダメかもしれないとなって、母がいなくなることを初めて意識した。いつものご飯だけではなくたまに焼いてくれるパンやクッキー、わたしが作っても同じようにはならないおいしいものたち。
もう食べられないかもしれない、と怖くなりレシピを書き起こすよう母に頼んだ。ノートに書き始めた母は「一応書くけど毎回味が違うけえね」とわりと深刻に困っていて、そう、母から教わった料理も分量なんて計ることなく毎回「え〜適当」と言われてしまうのだった。
大人になった今ならわかる、普段の生活の料理なんて(わたしは)計量しない。ありあわせでその時々で、適当なのだ。
母のいいところは、ホワイトソースも作りんさいとか言わないどころかグラタンの素を送ってきてくれるところだと思う。
ふつふつと煮たつ鍋を見ながら、よく母の隣で「一口ちょうだい!」とスプーンですくったホワイトソースを舐めていたことを思い出す。
グラタン皿に盛った後の鍋にこびりついたのまでいつもスプーンですくっていた。あんたはほんまに好きじゃねえと呆れつつも、母はいたずらそうな顔をして一緒にスプーンを舐めていた。
母の作るご飯で好きなもの、餃子、グラタン、ハンバーグ、ミートソースのスパゲッティ、カレー、たくさんあるけれど、毎日人のぶんまでご飯を作ること、子どもの世話をすること、本当に大変なことだと思う。
母の日にわたしはわたしのためにグラタンを作る。母は「おいしいのを作って食べんさいね」と言う。おいしいものを作ってあげること、おいしいものを食べてほしいと願うこと、それらはすべて大きな愛だ。
今度実家に帰った時は、ホワイトソースの作り方を教えてもらいつつ一緒にグラタンを作ろうと思う。