うつくしい夜
声が会場にふわっと広がった途端、ぽろぽろと涙がでてきて、あわててかばんを探ってティッシュを取り出した。
歌うようなMCに、さっきまで興奮してにこにこしていたわたしはすっかり泣き笑いの顔になっていて、ああ1人でよかったななんて頭の片隅で思う。
ずっとこの人に会いたかった。
ずっとこの人の歌を聴きたかったのだ。
中村佳穂という人を知ったのはずいぶん前で、それも知り合いが最近この曲聴いてんだよね、とこぼした程度のきっかけだった。
YouTubeにはいくつかのライブ映像があって、わたしはそれを見て泣いた。「手は生き物、声は祈り」という文言をプロフィールに携えたその人の歌声はあまりにも音楽そのもので、ああわたしはこんなふうに歌いたかったんだと思った。
彼女の歌声を聴いたら誰しもがそう思う。音楽をやっている人は思わずやめたくなるくらいに。でも、まあ辞められないからやっているんだけど。
ほんとうに素晴らしい夜だった。
ブルーノートは憧れの場所で、憧れた通りに上品で美しい会場だった。小ぶりな会場に音がふんわりと漂ったかと思えば思わずにやりとしてしまうようなリズム。生きている冥利に尽きるというものである。
1番新しい今という瞬間を、この人と共有できているんだと思うとほんとうに嬉しくて、帰り道に作ったという曲を聴きながらまた泣いた。
音楽で泣けるなんて、嘘みたいだと思うでしょう。
ロックバンドに心を躍らせていたあの興奮、楽しい音楽に体が揺れるあの瞬間、そして琴線に触れた時あふれる涙。
年々ばかみたいに泣いている。
感受性は死んでいくものだと思っていたけどそれは違うよ、と10代のわたしに教えてあげたい。
生きていてよかった。
この人のそばにいられたらどんなに素敵なことだろう。でも幸いにもわたしたちは今を生きているから、またきっと聴きに行くことができる。
生きているということ
すべての美しいものに出会うということ
そういう夜があるから、殺伐とした世界でもわたしたちは生きていける。