大きな愛、素直
母から荷物が届いた。
新米のお裾分けと、その隙間を埋めるための様々な食品たちである。事前に連絡をもらっていたのでついに届いて嬉しい。
しかしわたしの家にはお米が大量にあって、新米も早く食べたいし、ありがたい悩み。
「なにがほしい?」と聞かれて珈琲と答えるあたりわたしは高校生くらいから変わっていない。
わたしの家族はみな珈琲や紅茶を愛していて、日課のように飲んでいる。実家に帰省した時はわたしがいつも家族に珈琲を淹れる。
「でも、面倒だったらいいよ」と言ったのは珈琲なんて自分でも買えるからだった。足の悪い母にわざわざ買いに行かせるようなものでもない。
けれど即レスで「面倒じゃない」と来てハッとする。またやってしまったと思った。
いつからかわからないけれど、人に頼ることが苦手だ。何かをお願いされるのは得意だけど、お願いするのは苦手。
いらぬ遠慮をしたあとに気づいては後悔する。
ほしいものを聞かれたら素直にほしいと言うのが親孝行だと頭ではわかっているのに。
段ボールの中にはお菓子と野菜とその他たくさんの食品が入っていて、たくさん食べて健康でいてね、と母は言う。
おいしいご飯を食べてほしいと思うこと、健康でいてほしいと思うことは大きな愛だと思う。
いつまでも素直になれなくて、かえって子どものような気がする。母にすら遠慮をしてしまったことがいつまでも喉に刺さった棘みたい、なんで言っちゃったんだろう。
わたしは母に似ているところがある。
我慢強く弱音を吐かない母をずっとそばで見てきた。この人の助けでありたいと小さい頃からずっと思っていた。
友人との長電話が好きで、楽しいことや嬉しいこと、怒ったことは共有するのに悲しいことは言わない。人から頼られて、自分のことは自分でこなしてしまう。
そういう母をわたしは愛しているけれど、やっぱり正解ではないと思う。母が素直にわがままを言える人はいたんだろうか。
いいよあたしのことは、といつも自分のことを後回しにしていた母、人に何かをしてあげることが好きで、頼られてばかりの母。母の弱音は、盗み見た手帳の日記しか知らない。
母に似たわたしが、まわりの人にこんな感情にさせないようでありたいと思う。脆い優しさは近くの人間を寂しくする。
大きな愛と、素直さを持って生きていきたいな。