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流記屋
2024年3月30日 10:00
『亜細亜の共感』は1950年、戦犯指定解除後に、立て続けに出版した本の中の一冊です。発行者(出版社)は佐藤勝郎氏。辻氏の、士官学校時代に教え子だった方です。今回は、辻氏が東亜連盟の一員となった経緯を探っていきたいと思います。辻氏の回想によれば、初陣前、陸軍歩兵少尉を任じられたばかりの当初は、「中国」を外国として敵視していたそうです。それは当時の日本の風潮であり、メディ
2024年3月26日 10:00
辻氏が理想として唱えた「中立論」。奇しくも、「中立」の文字が題にある著書が地元の図書館に所蔵されていました。この『自衛中立』を典拠に、彼がどういう理想を掲げていたのかを読み解いていきます。今回は、結論と思われる第六章を引用して、彼の世界観を読み解いていこうと思います。『自衛中立』第六章 獨立日本の進路 一、自ら中立を守れ辻氏自身の目に映る日本も、この中國人同志と同じ見解を
2024年3月25日 10:00
今回は辻氏が提唱した「中立論」について、1950年頃に出版された『自衛中立』を典拠にその論旨を読解していこうと思います。地元の図書館に所蔵されていた『自衛中立』は、昭和27(1952)年4月5日に蔵書用に購入されたもののようです。最初の六頁は当時の時勢を表した写真が載せられていて一頁目から順に紹介すると、上記の写真たちは、憂国の思いを人々に訴えるような内容だと感じます。こ
2024年3月23日 10:00
この記事で辻氏の中国への(意地のような)信頼が危ういと感じたのには、それ以前に読んでいた本の内容が記憶に残っていたからです。📕 『新装版 運命を創る (安岡正篤人間学講話)』私が若い時に心酔した師が、こう言っていたんです。この本は、私が2019年9月12日に読んでいたものです。この時の記憶から、日本の“純朴な”兄弟観で、海千山千の中国を見るのは危うい…と感じたんだと思います。
2024年3月19日 14:36
書きたいことを書き切るのに時間を要したため、開白に間に合わないかもしれませんが、これまでの辻政信氏の調査考察の続きをやっていきたいと思います。辻政信氏は敗戦後、日本の「後図を策する」ために「釜中に坐して心魂を鍛える」ような三千里の道を潜行してきました。GHQの表立った追及から逃げ切ったあとに表舞台に飛び出したのはひとえに「日本という国の行末を、 世界で起こっている戦から
2024年3月17日 10:00
2024年5月3日、和歌山県の三石不動尊にて「辻政信氏と七人の僧 ならびに第二次大戦A級戦犯の方々」の慰霊祭が執り行われます。三石不動尊では毎年恒例で、5月3日に不動瀧を拝する慰霊祭をされているようなのですが、奇しくもこの日は、辻政信氏のお父上のご命日でもあったようです。今年(2024年)の1月14日に「辻政信」氏についての調査考察を頼まれて以降、彼についての書籍や、彼自身
2024年3月15日 10:00
2024年2月21日の夜から、同年3月13日の朝までのちょうど三週間を、和歌山県の山寺に住まわせていただきました。体調を崩すことが重なり、仕事に集中できる状態ではなくなってしまったため今は故郷の実家に戻っております。招き入れられた経緯信じていたものの反転からはじまった神域での生活もう3年も前になるのですが、当時働いていた職場で人の醜いエゴを見、その鏡に映る己のエゴに気づいた
2024年3月8日 10:00
前回、潜行ルートをなぞってみると宣言しておきながら、今回はちょっと脱線して辻さんが当時考えていたことを読み解いてみようと思います。なるべく、彼の言葉を拾いながら。2019年に改めて刊行された【完全版】の『潜行三千里』には、「我等は何故敗けたか」という文書が収録されています。これは、辻さんが潜伏中にGHQの監視を上手くかわしながら親日派の中国人に頼んで、密かに日本の留守宅へ届けても
2024年3月6日 10:00
2024年3月3日(日)にヤマト運輸さんから受け取った荷物をもとに寝床を温かくする工夫を実践したのが、翌日の4日です。日曜大工ならぬ月曜大工になりましたが晴れと曇りが交互にきて、心地の良い着工日和となりました。5日間お借りしていた母屋の談話室を掃除機がけして残りの半日はスタッフルームになる庫裡で過ごし、夜は個室に移りました。辻政信さんのことは、あれから少し足踏みしています
2024年2月29日 14:00
辻さんはなぜ潜ったのか戦後、辻さんとも交流のあった軍上層部の方達が戦犯として処刑されていく中辻さんは「潜行」を選びました。そのことについて、当時からすでに「死ぬのが怖くて逃げ回っている」と言われご家族が迫害の憂き目を見ていたようです。『潜行三千里』には、潜行中、奥様から手紙が届いたエピソードへのご本人の言及があります。辻さんについてなんの先入観もなかった頃に後年の評を聞
2024年2月26日 10:00
当面の私の仕事になっている、辻さんの追悼法会に向けての調査。辻さんのことを調べなくてはと思いながら、目先の庶務を優先して彼の著書を読む時間を先延ばしにしていたことについてお詫びせねばならぬ時が来てしまいました。今日、ついついお寺のことに意識が向いて辻さんの著書に手をつけられないまま1日が過ぎようとしていたとき不思議なできごとがありました。お寺の談話室で4人が集まり、話をし
2024年2月25日 10:00
辻政信さんのことや、自分のこれからの生活についてたくさんのメッセージがあった1日だったと思います。これは1日の終わりに寝袋の中で書く、備忘録になります。加賀市の鶴ヶ滝不動明王と辻さん21日に訪ねた辻政信さんの故郷で妙縁を感じた鶴ヶ滝不動明王。辻さんをどのように弔うのが良いのかを探るという課題に何か通じると感じた。辻さんのご実家は炭焼きを生業としていたようだが、浄土真宗の道場で
2024年2月23日 10:00
2024年2月21日の大移動の日、7時半過ぎに加賀温泉駅に着き山中温泉バスターミナルから歩いて辻政信さんの生地を訪ねてみました。山中温泉は、辻さんが高等学校に通う道中にあったそうです。通学路だったかは定かではありませんが、Googleマップに従って白鷺橋を渡り、四十九院トンネルを抜けてあとは平地をひたすら歩くコースを行きました。
2024年2月21日 10:00
今日は早朝5時に自分の故郷を発ち、辻政信さんの故郷を写真におさめて和歌山のお寺に向かいます。アパート退去後、実家の方に身を寄せさせてもらっていました。この投稿を公開する頃には、わたしは大移動の途中にいるでしょう。辻政信さんの故郷を写真におさめにいく大きなつづらと小さなつづらを思い出します。いっぱい入れば入るだけ良いと、深く考えずAmazonセールに乗って買った7泊用スーツケー