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【書評】『ブッチャーズ・クロッシング』 都会育ちの青年は荒野で大自然の脅威に晒され大人になる

ロッシーです。

前回、ジョン・ウィリアムズの『ストーナー』について書評を書きましたが、今回は同じ著者の『ブッチャーズ・クロッシング』の書評です。

正直いって、最高です!

「これって、『ストーナー』超えの名作じゃないの?」

と思いました。それくらい魅力にあふれた作品です。

以下、簡単にあらすじを記載します。


※ネタバレがあるのでご注意ください。


物語の主人公は、ウィリアム・アンドリューズという青年です。彼は、ハーバード大学を中退し、自分の人生の意味を見出すために故郷のボストンを離れ、西部の小さな町ブッチャーズ・クロッシングにやってきます。本書のタイトルは、この町名だったわけですね。

彼は、ボストンから遠く離れた西部の大自然に惹かれ、自らの存在を証明する機会を求めていました。若い人にありがちな「自分探し」というやつですね。アンドリューズは、理想的でありつつも、青臭さの抜けない世間知らずな人間として描かれています。

アンドリューズは、そこで出会った狩猟者ミラーから、手つかずのバッファローの大群がいる場所があり、そこで毛皮を大量に手に入れることができる、という儲け話を持ちかけられます。アンドリューズは、叔父の遺産として得た資金をそのプロジェクトに提供し、西部コロラドの奥地へとバッファロー狩りに向かうことになります。

アンドリューズ、ミラー、ベテラン皮剥ぎ職人のシュナイダー、ガイド兼道具持ちのチャーリーは、数か月にわたる旅を開始します。四人は厳しい荒野を越え、過酷な日差しの中を進み、時には飲み水が尽きてしまうなどのトラブルを乗り越えつつ、とうとうバッファローの群れを発見します。

興奮に駆られたミラーは、ライフルで大量の狩猟を決行します。しかし、それは徐々に暴力的な執念に変わり、ミラーはバッファロー群の完全な絶滅を求めて止まらなくなります。これにより、他のメンバーも彼の狩猟熱に巻き込まれ、限界を超えた皮剥ぎ作業に身を投じます。

しかし、彼らの計画は予想外の厳冬によって暗転します。極寒の中で閉じ込められ、狩猟場に取り残された彼らは、大量のバッファーローの毛皮を得たにもかかわらず、絶え間ない吹雪の中、脱出することができなくなり、半年以上そこでとどまらざるを得ない状況に陥ります。

ようやく春が訪れ雪解けになり、一行はブッチャーズ・クロッシングへ帰還することができるようになります。しかしそれでめでたしめでたしか、というと、そうではありませんでした。

メンバーの死、バッファーローの毛皮の喪失、帰還したブッチャーズ・クロッシングの変貌など、さんざん苦労したあげく、結末は無情なものでした。

この旅を経て、アンドリューズはある種の成長を果たします。青年から大人になったといえばいいのかもしれません。バッファローの毛皮を刈りまくって、自分も一皮むけたんでしょうね(笑)。

そして、彼は人間の欲望のむなしさや、自然と対峙する中での人間の無力さに目覚めます。彼は自分の中に生じた虚無感を抱えながらも、再び自分の生きる意味を問い直す決意をするのです(多分)。


あらすじは上記のとおりですが、あらすじを知っていても、本書の魅力は全く失われることはありません。

過酷な自然、暴力的なバッファローの殺戮、そしてアンドリューズの心的風景などの淡々とした描写は、読みごたえがあり、自分が実際にその場にいるかのような臨場感があります。

『ストーナー』で、著者のジョン・ウィリアムズの文体に魅力を感じた人は、『ブッチャーズ・クロッシング』も気に入ると思います。


よく、「自然はいいよね~」「たまには自然に触れあわないと」というような言説がありますが、それはあくまでも飼いならされた自然のことです。

本物の自然は、そんななれ合いをすることは不可能です。私たち日本人にとっては、自然というのはある種の「やさしさ」を持つ存在だったのでしょうが、西洋的価値観では「自然は征服すべき存在」です。それだけ彼らの接してきた自然が厳しいものだったのでしょう。だからこそ、日本という国土ではぐくまれた私たちの自然観とは異なるのも当然なのでしょうね。

ただ、本物の自然は征服すら不可能です。本物の自然がどんなものなのか、それを実体験することができればそれに越したことはありません。しかし、本書を読むことで仮想現実に没入すれば、同じような体験をすることは可能だと思います。ぜひ、本書を読んでみてください。おススメです!

アンドリューズは、旅の前にこう言います

「ここに来たのは、できるだけたくさん自然を見るためです。」

そんな青臭いポエムなセリフを聞かされ、バッファローの毛皮の売買業者であるマクドナルドはこう言います。

「若い連中はな、自分をどう扱えばいいか、わかってないんだ。」

若い連中には、当然アンドリューズも含まれます。マクドナルドは、アンドリューズという学のある青年と一緒にビジネスをしようと考えていたのですが、アンドリューズはそれを丁重に断り、マクドナルドの「やめろ」という警告も聞かず、ミラー達との狩猟の旅に出かけるのです。

いつの時代も若者というのはそういうものなのかもしれません。そして、手痛い経験をして大人の階段を上っていくのでしょう。

それが良いとも悪いとも私は思いません。単に、若者と言うのはそういうものだからです。マクドナルドのように、そんなことをするなといっても聞くわけはないのです。

ただ、自分を探しても結局は見つからないでしょう。

そもそもそんなものはないのですから。

この本もそう言っていますしね(笑)↓↓↓


最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!





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