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【書評】サマセット・モーム『月と六ペンス』を読む。私はストリックランドにはなれない。

ロッシーです。

モームの代表作である『月と六ペンス』を読みました。

30代の頃に読んで、「めちゃくちゃ面白い!」と思った記憶があります。

40代になって、なぜかまた読みたくなったのですが、以前よりもさらに面白く読むことができました。

良い小説はいつ読んでも面白いものです。

以下、読んで思ったことを書いていきます。この記事を読んでいる方が、本書の内容を知っている前提で書いていますのでご了承ください。

まだ読んでいない人はぜひ読んでみてください。とっつきにくい小説ではないのでスラスラ楽しく読めると思います。


ストリックランドというキャラ

この小説の最大の発明は、ストリックランドという魅力的なキャラを設定したことでしょう。

退屈で冴えない証券マンが、ある日突然絵を描くために安定した生活も家族も財産も何もかも捨ててしまう。そして、人からどう思われるかなんてちっとも気にせず、一般的なモラルや道徳心とも無縁な存在になってしまう。

クラシックからパンクに切り替わるような生き方です。

そんな人物が主人公なのですから面白くないわけがないです。

ストリックランドになれない私達

「こんな風に、周囲のことなんか気にせず、自分のやりたいこと一筋に生きることができたらいいな。」

と思う人は多いでしょう。

でも、そう思うということは、裏を返せばそんな風に生きることができないということでもあります。

この小説を読むと、そんな自分自身について否応なく気づかされるわけです。

そこまで人生をかけてやりたいこともないし、周囲のことを気にせずに振舞うことなんてできない臆病で平凡な自分に気がつくのです。

「嫌われる勇気が大事なんだ」と思っても、本当にみんなから嫌われても大丈夫な人なんてほとんどいません。

「人から認められる必要なんかない」と思っても、まったく認められなくても大丈夫な人なんてほとんどいません。

作者のモームは、そういう人間の心根についてよくわかっていたのでしょう。

モーム ≒ ストリックランド

この本を読むと、

「あなた方は、結局ストリックランドみたいになれないでしょう? 平凡な暮らしを捨てることなんてできないでしょう? 本を読んで自分がストリックランドになった気分を味わって、それで終わりなんでしょう?」

とモームがニヤリと冷笑しながらこちらを見つめているような気がするのです。

モームは同性愛者でした。当時は同性愛というのは違法でしたから、今のような「LGBTの時代だ!」みたいな状況では全くなかったわけです。

そんな状況で同性愛者だったモームは、それだけみても、平凡な生き方からは無縁だったでしょう。つまり、モームは否応なく平凡な生活からはじきだされてしまったわけです。ストリックランドが否応なく絵を描くことに憑りつかれたように。

その意味では、作者自身がストリックランド的な生き方をしてきたのだといえるのかもしれません。

ストリックランドになれなくていい

今、40代になってあらためて『月と六ペンス』を読んで思ったのは、

「私はストリックランドにはなれないし、別にそれでいい。」

というものです。

30代の頃よりは、「良くも悪くも」落ち着いてストリックランドの生き方について見ることができているのかもしれません。

人生をかけてでもやりたいことが見つかったら、それはそれで素晴らしいことだと思いますが、見つからなかったからといって、その人生が失敗だとも思いません。

波乱万丈の人生を送りたいか?と聞かれたら、別にそうでもありません。平凡で普通の人生でもいいと思います。

遠い手の届かない月=理想 を目指すのではなく、六ペンス=現実 をしっかり生きる。それはそれでひとつの人生です。

だから、今は素直にこう思うのです。

「私はストリックランドみたいにはなれない。それでいい。」

と。

でも、たまになぜかストリックランド的なものに触れたくなるときもあります。

そんな時にはまたこの小説を手に取ることでしょう。

Thank you for reading !


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