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⚔️自分いじめな他人いじめと他人いじめな自分いじめ👼


👽人間はなぜいじめるのか?🤖

善悪コレクションが満期になる最後の最後の現象化にいたるまで。
各種多様なシチュエーションにおいてレギュラー出演を果たしてきたいじめる人間いじめられる人間という分離化状態。

ぷりずん地球やランドリー地球で、現象化する多種多様ないじめの正体・・・・・・をやっとワンネスの視点からながめる。
そして、唐突に気がついたのだけれど。
『いじめ』は分離化している意識の状態をあらわしている『リトマス試験紙
』であって、さらに・ワンネスの視点に立てているかどうか?の最終・最終・最終試験の課題でもあった。

つまり、「分離しているぷりずん地球人の思考では解消にいたらない分離」ということ。
さらに、どう見えて・どう解釈しているのか?が肝だった。

ちなみに、いじめの問題が起こる「ぷりずん地球」が一番ヘビーです。
自分的には地獄でしたね。
ぷりずん地球がMAX辛くて死にたくなります。
ただ、ここでも注意しておいていただきたいのですが、魂にも流転回数に差があって、そんなにぐるぐる回っていない若い魂とめちゃめちゃぐるぐる回っている酸いも甘いもストックしている魂とではおのずと解脱までの距離感も変わってきます。

夜明け前が一番暗いのと同じで、解脱前が一番しんどいので勘違いして自殺をしたくなったり、希死念慮にさいなまれるかもしれませんが。

なんの解決にもならないかもしれませんが、死ぬ前に読んでいただいて自殺トラップを回避していただけたらと願います。

『太陽と地球の間で』のスペースをぷりずん地球で自力で脱出を試みている人の邪魔をしないロープ的な文章にして残しておこうと書いているのですが。
いじめの問題が、結局のところ「戦争」や『世界平和』に直結していないようで・直結している課題だから、一筋縄ではいかなかったのです。

以下は参考文献として残すので、使える部分があれば使ってください。
もちろん、人生は千差万別・十人十色。
加害者なのか?被害者なのか?という立場の違いでも、背負ったカルマや課題に違いが出るので、効く人もいれば効かない人もいるだろうし、ちょっと自己流にアレンジをしたら効いたり、ヒントとして使うことでもっと使えるよりよいインスピレーションをひろえる可能性が湧いたりと。

自力の探索に、意味も価値もありますので、自己責任・・・・で考察の足しにしていただければと思います。

ぷりずん地球人やランドリー地球人のときには、細分化した人間の、ひとりひとりの心が大切ないじめなどの社会問題の答えが、『万能薬』一つで解決するわけないよな。と外の世界に効く薬を探しまくるのですが。

万人が、自分の内の一人分の心をみつめて、自分と他人の境界線が消えた時に『万能薬すらいらないこと』をみつけるかもしれません。

🐍ヤマタノオロチのパラドックス🗡️

※ヤマタノオロチを知らない人は自分で検索して調べてみてください🔎

以下・独自の解釈を取り入れます。

神の化身のヤマタノオロチ・化け物、怪物として神の子である村人に恐れられる = いじめる人
食べられちゃうことを恐れている神の子である村の娘 = いじめられる人
勇者スサノオさん・神様 = 対立構造構築の立役者
全員神様・・・・であることに気がついておいてほしい。

神的エネルギーが、そもそも。
この二元化地球を構築した目的は。
宇宙の神的エネルギーが愛そのものであるがために理解しがたい愛を体得するため前提だと仮定したら。

ヤマタノオロチはおおもとの無限の神様だったのではないだろうか?
無限のままだといつまでたってもワンネスだから、やはり、便宜上切り離される必要があったのではないだろうか?
神様の姿ワンネスでは、いつまでたっても切られたりされないことを計算に入れて。
自分自分分け御霊を食べるのであれば、本質と同化するだけのことだから、本質的に問題はないだろう。という計算もして。
地上の神の娘である自分の分け御霊と大元の神が統合しているだけのようには、まったく見えないように、配慮されつくしたストーリーを作ることで、切られる大義名分を作った可能性はないのだろうか?

『ヤマタノオロチはなんで神の娘を食べたのか?』から抜粋

☝『日本書紀』や『古事記』にでてくるヤマタノオロチの神話を考察した抜粋部分を眺めてみてください。

ちなみに、大義名分にも愛がある大義名分と愛がない大義名分とあります。

ぷりずん地球人の時には、言い訳として都合よく愛がない大義名分を持ち出すのですが、ぷりずん地球から脱出したくなった時には
『「愛がない大義名分を持ち出して言い逃れや言い訳ばかりしているからぷりずん地球から出れないんだ。」ということに気がつきもしない。』
ということに気がついてください。

次に社会で体験したいじめをながめて気がついたことですが。

①いじめる人間といじめられる人間がなんとなく分かれる。
②いじめのターゲットになるといろんなやり方で、いじめる側の人間にいろんな理由と手段でいじめられる。
③大人も平気でいじめる。そして、大人の場合は自分を正当化しながらそれとなくやるのでハイクオリティ。子供時代からの磨きあげられたいじめテクが遺憾なく発揮されている可能性。
④いじめる側の人間はいじめた事を忘れる。気にかけない。気にしない。なんなら、良い事をしていると理解していじめている自分が正義だと信じてる可能性。
⑤規模がでかいものは戦争と呼ばれる。

☝☝☝現代社会のいじめは完全に分離していることの現れです。

この世は、大元の愛であるワンネスが分離することで喜怒哀楽を体験する場となったわけですが。
時代がながれ、親じたいも近代文明化するにしたがって、大元の愛や神の意識も薄れていった。
そんな根源的な自然の摂理を説明できない親から生まれた子供は、人口増加と比例して生存競争の渦に容易にのまれることでしょう。

ただ。薄れていっただけで、消えたわけではないので、それをとりもどそうともがいているのが人間です。

ところが、その失ったなんだかとてつもなく素晴らしいものを、エゴが主導になって探すことによってこの世を貪りつくすことになります。(貪りつくした果てに、飽きて、帰ろうとしはじめる関係上)

その・幸せ探しの途中で自分の分離化状態と相手の分離化状態の波長が不協和音を奏でるとそこに争いごとが勃発します。

つまり、ぷりずん地球にいるうちは『いじめ』という社会問題の渦に飲み込まれ、分離意識が維持されることで『いじめ』という現象化が継続します。

ランドリー地球人の波長と周波数になると、目の前にいる人間がすべて自分がつくっている道理どうり体得過程たいとくかていに入るので加害者意識と被害者意識の「みそぎ」や「お掃除」をどんどん進めていくだけになります。

🔍いじめられてる自分を堪能した🎁

自分で気がついた、分離意識の解消につながった意識状態を残しておきます。

家庭内でいじめられ続けて憎しみが募りすぎ、兄を殺したくなった。
結局らなかった。
衝動?瞬発力?がピークの時で。
「無」のあとおしがないと。
思考が邪魔をするようだ。

殺意というのは炎のようなもので。
つねに苦しみをキープしておかないと弱くなる。
けっこうな体力と気力が必要だ。
弱すぎる自分が嫌になる。

いじめてくる兄を殺せないなら。
と、自殺企画する方向に傾倒していった。

人が死を選ぶ時に考えていることは千差万別。
「私なんか死んだ方がいいんだ」と信じて周囲の人間関係を自分勝手に気遣ってる場合もあれば
「死んで一生怨み続けてやろう」とやんわり攻撃を目論んでる場合もある。

同時期に学校でもいじめのターゲットになったことで。
生きていかない理由ができて救われたような気がした。

自分の心が最大限にネガティブになったのと同時に「これで終わらせる!」とすがすがしくなった。
「いじめてくれてありがとう」くらいの喜びで。
いじめっ子達をむかえ入れようとした瞬間。
リーダー格の女の子が
「なんかコワイからやめよう…。」と言い出した。
蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。

地球でネガティブな現象化がどうやって消えていくのか?
そんな法則を知らなかったので誤算が生じた。
その場にポツンと残されて拍子抜け。

どうして学校でのいじめは消えたのか?

ぷりずん地球あるある

今思えば。
家庭内で兄から虐待されている時は、恐怖で萎縮しているし、怯えて身構えている。
虐待されている状況を堪能することなんて、まったく考えられず、する意味もわからないし余裕もなかった。

今思えば。
リアルに虐待されてる私に「堪能してごらん。」と言う人間がいたら秒で死にたくなったことだろう。

今思えば。
じゃあ、なんで学校でのいじめは消えたのか?ということだ。

(人生これで終わり!おなかいっぱい。ごちそうさま。いじめられることを、楽しみにしておりました。よろしくお願いいたします。)☜堪能状態?

違いがあるとすれば。
兄からの虐待は恐怖にフォーカスしていた。☜波動的には増長。
学校でのいじめは喜びにフォーカスしていた。☜波動的には打消し。
だから、学校でのいじめだけ消えたと仮定した。

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