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気づけば日課になっていた「くすり」との生活。


もう当たり前のことになりすぎて。
なんの違和感もなく、
日常生活に組み込まれている、
『内服💊』

たびたび、
色々な人に色々なタイミングで
「お薬とか飲んでるの」と聞かれると、
当たり前じゃん。と思うと共に
この歳にして
「内服中の薬がある生活」ということに
少し、ハッとした。

「くすり」が日課の日々はいつからだっけ…

ナインボーダーまであと少しの私。
思い返せば、小学校6年生(12歳)の時には
「毎日飲む薬」というものがあった。
親から渡されるがままに飲んでいたけれど、
朝、夜、寝る前、が多かったかな。
その時から、精神科系、つまり向精神薬の分類のクスリを飲んでいたらしい。

中学高校時代、
起立性調節障害に加えて、不登校に摂食障害、パニック発作(過呼吸)
などがあり、
当たり前だけど、「くすり💊」と共に生きてきた。

「くすり」で嫌だったこと。今でも鮮明に覚えていること。

修学旅行など宿泊行事の時には、
常備薬、定時薬の届け出を出す。
先生が薬をのんだか、部屋に確認しにきたりして。
くすりを飲んでいるのを友達に見られるのも嫌だったし、
先生が確認に来るなんて、
友達に知られないわけがなくて、嫌だった。
風邪でもないのに
「なにか病気なの?」ってきかれたりした時は
返事に困って何も言えなかったのを今でも鮮明に覚えている。

その後、大学時代、社会人になった当初は比較的安定していて、
2年ほどは、通院と「くすり」が消えた生活を送っていた。かな。

社会人になってから、再開した「くすり」との生活

そこから一変。
通院した時には、
もうすでに、がっつり「重度のうつ病」と
言われ、
また「くすり💊」が日常生活に組み込まれた。

でも、特に違和感はなかった。
だって小学生の時からの日課だったから。

でも、その種類や量、強さは、
おそらく、桁違いに増えていったと思う。

そして、自殺企図。失敗。
入退院を繰り返し、一度復職するも、
再度休職となり、2年が経過。

通院を再開してから、約4年半…くらいは経過したかな。
まさか、こんな自分になるなんて
想像もしていなくて。

その間、あれこれ色々、本当に色々、
たくさんのことがあって。
その間、「くすり」は増える一方。
何かあるたび、医療関係者が見ると
『あからさまに驚いて、その後必ず私の顔を見る』
という程に多いらしい。
それ程まで、大量に強いくすりを飲むことが日課になっている。

いま、思い悩むこと。「くすり」との生活と、自分の人生。

このくらいの年齢になると
どうしても考えること。
それは、こんごの自分の家族、家族計画。
つまり、子どもを持つことを希望するか。
自分は、「なりたい自分」に強く書いたように
「母親になること」が、夢 だった

ナインボーダーで、
この「くすり」が欠かせない、
それでもまともな日常生活すら送れない自分。
精神状態がぐちゃぐちゃな自分。

子どもを持つことを望むには、
「減薬・断薬」そして、
「病気、症状の改善、寛解」
が、大大大前提。

そんな時はいつ頃だろう、
と考えていたら、
自分の夢 なんて
叶うわけがなくて、
なぜなら、年齢には抗えない
「タイムリミット」があるから。

そして、そんなことを遥かに通り越して
高齢になって最期を迎えるまで、
もしくは、
限界を迎えて
最後を迎えるまで、
「くすり💊」との生活は
終わらない、
自分の生活には「くすり💊」が一生必要不可欠なのかな。
なんて
思った。





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