いまはなんの時間なんだろう
どうしようもない、なにもせずに過ぎた一日
きょうは、ふと気づいて時計を見た時、すでに午後でした。
いつもは朝起きたらとりあえずリビングに顔出すなりするけど。
きょうもおそらくいつもと同じくらいの時間には目覚めていたはず。
だけど、頭も体もフリーズ、していたのかな。
どうにもこうにも。
ならず。午後になってのそのそと動き始めました。
やっぱりきょうは「読書」は無理でした。
無理なことを無理矢理やり続けると自分を壊すので、
やめました。
一応過去の自分の経験から学んだつもりです。こんなに自分に甘くて良いのか、と自分を責める気持ちも同時に現れますが、どうにか折り合いをつけます。
そして、自室にこもり、ベッドでゴロゴロしながら
音楽でも聴いてみようかな。と、
いつもはスマホから音を流すのですが、今日は久々
ワイヤレス「イヤホン」につないで聴きました。
スゴイ!!!☺️🎧やはり音の良さが全然違う、まるで違う曲を聴いているようで大感動でした。
でもそれも、数曲でおしまいにして。
知らない間に夕方、そして夜になりました。
そんな自分は今、「休職中」の身です。
いまは何の(ための)時間なのだろう
いまのじぶんが置かれている立場
前述の通り、休職中。
正式には「病気休職」中です。
治療に専念し、健康回復に努め、復職するために
与えられた期間、時間です。
いまの職場は自分にとって
果たしていまの自分は健康回復に努めているのだろうか。
そして復帰を望んでいるのだろうか。
もちろん、職場復帰、したいです。当然です。
なぜなら、じぶんにとっては第一志望で、
でも、そんなところ受かるわけがないと、相談した誰もが言っていた、
自分でもそう思いダメもとで受けました。
何度か試験を重ね、
まさかまさかの最終「合格」。
自分にとってはキセキの職場。
色々な自分なりの理由で「ダントツの譲れない第一志望」だったこと、そして誰も(自分も)が望みゼロ、と判断していたが故に、内定の喜びも大きかったです。
挫折や苦しみの期間を多く体験してきたじぶんにはより一層。
人生で初めて、自分の『本当の、一番の希望』が叶った経験でもあります。
まさか、受かるだなんて思ってもいなくて、合格の連絡をもらった時は大号泣でした。誰もが、「は?え?」と、きょとんとするくらい、
奇跡的に偶然に入れた職場。
休職前の自分は仕事に対してどう思っていたのだろう。
そして、そこでの自分の専門職としての仕事は、
もちろん専門職なので、教科書と実践が同じわけもなく、
大変99、嬉しい1、くらいの割合だったかもしれません。
でも、その「1」を得られた時の嬉しさで「99」なんて吹っ飛んだんです。
誰かの役に少しだけでも立てたかな、
「ありがとう」と言われたとき、
関わっていた人が少しずつ前を向き始める様子が見えた時、
子どもさんの成長をそばで一緒に見守らせてもらえた時、など。
あげ始めたらキリがないけれど、嬉しいこと、達成感を感じられること、
楽しいこと、勉強になること。たくさんあって、
『大好き』でした。
まだまだあまちゃんだけど、もしかすると
自分の「ほこり」とも言えるものだったかもしれません。
(驕り高ぶり、生意気ごめんなさい🙇)
これから、もっともっと多くを学んで、
正解はないけれど、だからこそ奥が深い、
よりよい仕事ができるようになりたい、
一人でも多くの方の生活を、そして自分が大好きなこの地域をより良くしたい、希望ある街にしたい。
もしもステップアップできたら、この国をもっとより良くするためには…
なんて偉大なる、偉大すぎることを…
ペーペーが何を…と思いますが、(本当に未熟者が生意気ごめんなさい。)
当時は本当にそう思い、さらなる夢?なんて思っていました。
今でも、時々思います。元気で働けていたら、どのくらい、どんな経験を積めているかな、どんなことができるようになっているかな、など。
(想像すると悲しくなって涙溢れることもありますが。)
やはり、本当は、あの職場で働いていたかった、
そして、復職したい、と思っています。
一方で、自分から決して離れない、あの思い
復職したい。ということはつまり、
「生きている」ことが前提です。(当たり前やろ🧸)
そして、仕事ができるくらいまで心身ともに回復していることが
職場からは求められます。
「生きる」の遥か上のレベルに到達して、やっと
職場復帰が現実的になってくるのです。
しかし、いまの自分は常々何を思っているか。「思ってしまうか。」
「もう生きるの疲れた、むり」
「早く楽になりたい」「もう目覚めたくない」
「消えてしまいたい」などなど。
つまり『希死念慮』です。
これと。日々、永遠に一緒にいて、闘い続けているのです。
つらいものです。
これは、約4年前に初めて未遂に終わったあの時から、波はありつつも、
かたときも自分から離れることはありません。
冷静に考えてみると、職場復帰なんて遥か遠く
「生きるか死ぬか」の最初の段階で永遠につまずいているのです。
相反している。
のが現実です。
自分でもどうしたいのか、どうなりたいのか
わからなくなります。
そして、正直「わかりません」。
今日も安楽死は…と考えてぽちぽち検索したり。
規則正しい生活、外出、健康管理、そんなことすら
まだまだ、まだまだ、はるか彼方。
あと一年でそこまで到達するのは、それこそ
誰がどう考えても無理でしょう。
職場復帰するために、健康を取り戻すために
いただいた「病気休職」というお休みの時間。
通院や内服はもちろん基本的に指示通りにしています。
以前は、
あとどのくらいで職場に戻れますか、何ができるようになればいいですか、何をしたらいいですか、など、
仕事関連のことで、主治医を毎回質問攻めにしていたような記憶もあります。
しかし、いつからか、そんなことまで頭が及ばなくなりました。
頭の片隅にはありつつも、
主治医の先生は「とにかくいまは休息と栄養を」と常におっしゃっています。
じゃあ結局いまは何の時間なの
復帰はもはや「夢」。本当に本当の「叶わぬ夢」。
こんなはずじゃなかったのに。どこでどうしていればよかったの。
自分は何を間違えたの。
どうしてこんな、いまのどうしようもない自分になってしまったのか。
でももう過去の記憶も朧げだったり。何でこうなったかなんて今更考えても仕方ないし。
どう思考を修正しようとも、常々主張が強いのは「希死念慮」。
そして、それに引きずられ、色々なことを調べ上げて詳しくなってしまったり。
だけど、本当はできれば避けた方がいいと思っているから、
そして、やっぱり「怖い」というのも正直な気持ちです。
それらによって、実際に行動に移すことは最近はなくなったものの、
その思い自体が消えたわけではありません。
そして、もう一生消えることはないだろう、と諦めつつある最近です。
達成することでしか、解決しないだろうな。と。
非常にネガティブでお叱りを受けるような気持ちで申し訳ないですが、
これがいまの正直な気持ち、です。
この気持ちにも波があるので、ほどほどで落ち着いている時もあれば、
今すぐにでも、とどうしようもなく追い詰められる時があります。
そんな苦しみにどうしようもなく追い詰められて、
我を失い、正常な判断ができなくなり、
自分がもしも、希望を叶えるために実行し無事に叶えば終了。
その時が来るまでの、時間つぶし、と言ったらとても失礼ですが、
「その時待ち」
『その時が来るまでの苦しみと、忍耐の時間』
なのかな。と思っています。
何とひどいことを、と思います。悲しい自分です。
もう職場の上司は異動しているでしょう。どこの誰かも知りません。
職場の状況を微塵も知らないため、こちらから連絡するのもどうしようか悩みつつ、職場からも一切連絡がない、という現状です。
(また、休職更新の手続きも、ある事情により、自分が書いていると時に「トラウマ反応」のような状態になり、書類をぐしゃぐしゃにしてしまったことがあったので、自分の目に触れないように親が処理をしています。)
ただ、公務災害の申請を出しており、結果が出るのに1〜2年かかる、とのことで、(残り一年なのですが)退職、というわけにもいかず、という
何ともややこしい状態です。
(※この件はのちに記事にしようかと思います。)
できることなら、早くこの苦しみの時間から抜け出せたらいいな、
と思っています。
じぶんがいつ行動に出るか。自分もわかりません。し、できればそんなことしたくないと思いつつ、
いつ苦しみから抜け出すかは、我を失った自分にかかっているのかな、と思う、いまのつむです。
ごめんなさい。