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どうして誰も気づいてくれなかったの

最近、部屋の片付けをそれなりに本気でやりました。
何せ、せまい部屋なので、取捨選択し、不要なものは捨てました。
そんな片付けをしている中で、様々な自分が生きてきた痕跡、
つまりは自分が書いたものなどを目にし、捨てるものも全て一度目を通しました。記憶に残しておきたいものは写真やスキャンでデータにしました。
そこで強く抱いた感情が今日のテーマです。


わたしが出していたSOS、どうして誰も気づいてくれなかったの。

自分はもう社会人、というよりは成人です。
基本的には自立して生きていくこと、
特別な事情がない限りは、「児童」のように
社会が守ってくれるということはありません。

わたしの「ふつう」とはちょっと違った人生の遍歴

そして、自分はプロプィールなどあちこちに書いていますが、
小学6年生の登校しぶり、中学受験後は完全なる不登校で小学校を卒業、
中学で不登校、保健室登校を経て、何とか高校へ進学したものの、
摂食障害(拒食症)、それに伴う「完全不登校」まではいかずとも、
出席日数、単位、成績をスレスレで卒業しました。
高校生の時にはパニック障害を併発し、
登校中の過呼吸、授業中の過呼吸も度々でした。

ちょい事件「通知表ぐしゃぐしゃに丸めました」

これは「ちょい」の程度なのか。
もはや感覚がバグっています。
高三の時には、通知表に納得がいかず、帰宅後ぐしゃぐしゃに丸めました。
テストの点数悪いし、再試受けないし、単位ギリギリなの、この成績当たり前やん、単位落としてないだけありがたいやん、と思いますが、当時の私が言ったこと、それは

自分の努力を他人に評価されてたまるか、自分はこんなものは納得できない、受け入れない

みなさん、どう思いますか。。。
いま自分で思い返してもひっくり返りそうです。
自分のこと、殴ってやりたいとすら思います。(酷すぎて話にならない。)
そして、その通知表は、始業式に保護者印を押して提出せねばならず、
母が謝罪文を書いておりました。(´・_・`)

色々やらかした中でも、ダントツNo.1🎖️(本当にごめんなさい)

色々やらかした中でも、私の最大のやらかし。(だと思います。他にもあるかもしれないけれど。)
(わざとではないんです、ごめんなさい。)

さらに、私は一度だけ。大きな事をしでかしました。
朝、いつも通り学校へ行くと家を出て、
駅では涙が止まらず、知らぬ間に逆方面の電車に乗って、
かなり遠くまで行ってしまった(らしい)事がありました。
自分では、記憶が定かでなく、おそらく正気ではなかったのだと思います。
(言い訳するつもりは毛頭ございません)

ふと気づいた時に自分がいたのは、
「とある海岸」
でした。
不思議に思った誰かがどこかに連絡をしてくださったのか、警察官を経由し、当たり前ですが、自宅に帰り、
両親からは大激怒されました。(当然です。)
でも、怒られるだけで、理由などは一切きいてもらえず、口を挟むことすら許されかったのは…。まぁこればかりは仕方ない、自分が悪いです。

学校では、保健室にいる事が多かった自分なので、
朝礼時から教室にいないことに誰も疑問を持たず、
学校内で事態が発覚したのは、お昼過ぎだったそう。
校長先生を巻き込むおおごとです。
もちろん両親や警察にも届出が出ており、
それとほぼ同時に私の存在が発覚したようです。
意外なことに?「以後気をつけましょう」と、一言でことなきを得ました。
なんてこともやらかした私です。

今回一番伝えたいこと『私が書いた作文は誰も読んでくれなかったの』

これが今回一番伝えたかった内容です。
自分でも見つけて読んだ時に驚きました。
そして、まるで「誰か気づいて」という叫びにすら感じられて
涙が止まりませんでした。
おそらく国語か現代文かで書かされた作文。
テーマは『人権』
自分は『児童虐待』というテーマで作文を書いていました。

「みなさんは親に叩かれたことがありますか。怒鳴られ、家を出されたことがありますか。わたしはもちろんあります。みなさんも…」
という書き出しでした。

児童虐待に関連する法律や国民の通告義務、当時の年次推移や地域特有の課題等、自分で言うのも何ですが、
大学のレポートにできそうな内容でした。
そして、「心理的虐待」の件数の増加の段落では、
子どもの前での激しい喧嘩、いわゆる「面前DV」についてまでも当時の自分は調べ上げており、

「わたしは、小さい時から両親の喧嘩が怖くてたまりません。でも、泣きながらその仲裁をするのがわたしの役割なのです。」
と書いていました。

そして、
「子どもは自ら大人に声をかけることは難しいし、話しづらい内容でもある。だから、大人が、特に子どもの一番そばにいる先生たちが、気づいてあげてほしい。虐待を受け、つらい思いをする子供が減る世の中になる事を願います。」
と締めくくられていました。

そして私は気づけば保健師として母子保健に携わり、只今休職中です。
(見事にポンコツ、アホか、と突っ込みたくなります。)


その他、以前の記事でも書いた通り、
将来の夢を語る合宿の感想は、
死ぬまで苦しい人生、生きたくない」というような内容でした。
(ほんの少しですが、ご興味がある方は参考にご覧いただけたら嬉しいです。)

わたしが出していたSOSはどこへ

自分が保健師という職業をしていた影響かもしれません。
しかし、昨今子どもたちに「SOSを出そう」と教育をする機会が増えているように思います。
実際保健師の仕事として、依頼があれば学校に出向き
「SOSの出し方研修」というものを小中高生、あるいは大学生にも行っていました。

時代が違うのでしょうか。
小学生から思春期外来→精神科→心療内科と通院続き、
そして、これだけ数々の、(あえて自分の行動を悪い言い方をすると)
『問題行動』、そして、SOSとも取れる提出物の数々。

作文は、最後に「よく書けています。」と、一言だけ。
将来の夢の感想文については、そのページだけキレイにとばされてコメントなし。

傷とあざは

わたしは、夏でも制服の上に必ずセーターを着ていました。
理由は、傷やアザを見られるのが怖かったから。
いま思うと不思議です。本当は気づいてほしいと思いながら、
その証拠を無意識のうちに隠していました。
時には、風邪も引いてないのに「マスク」をしていたこともありました。
コロナなんて知らなかった当時は、友人たちは「風邪?」などと声をかけてくれたものの、担任を含む教員、先生たちから
セーターやマスクについて問われたことはありません。
運が良かったのか悪かったのか、摂食障害で体育は許可が出なかったため、
体育着になることはなく、わたしの傷あざも、誰にも見つかることなく過ぎてゆきました。

成人した自分はもう誰も守ってくれない

当たり前です。成人です。
基本的には、特別な理由がない限りは、児童相談所
そして、不思議なのがDVシェルター。
パートナーや配偶者からの暴力等は扱ってくれるけど、
今のような世人同士の親子については、門前払いです。
つくづく、誰も助けてくれないんだ。と悲しくなりました。
そんな事を考えていたら、
ふと、
あの時、どうして誰も気づいてくれなかったの。
と思ってしまったのです。
これはわたしのわがままなのか。
保健師の立場からすると、何か家庭に問題はないだろうか、
という視点も持ちつつ関わるだろうと思うのと同時に、
幸か不幸かあらゆる専門書を読むたびに、
あれもこれも、あらゆることが「SOS」だった、と知ることになるのです。

最近、ネットの記事で「虐待サバイバー」という見出しを見つけて
流し読みました。
わたしは、専門用語として正式に用いられない
いわゆる「俗語」をブームのようにして用いる風潮が好きではないので
深くは読みませんでしたが、
要は、虐待に気づかれることなく、保護や治療等に結びつかずに生きてきて成人して精神疾患を発症する人の話のようです。
精神疾患を発症し、治療がうまく進まない、または重度の精神疾患が長引く場合には、育った家庭に何かしらの問題を抱えていることが多い、というのは、医療職であれば多くが知っていることです。
機能不全家族、や、家庭基盤の脆弱、などと表現します。
「虐待サバイバー」。個人的に。あくまで個人的にですが、どうも好きになれない、遊ばれているような気分になってしまう自分がいます。

話は大きく脱線してしまいましたが、
自分が今回伝えたかったのは、

当時の大人たち、主に先生たち、
どうして気づいてくれなかったの。
自分は「SOS」たくさん、いろんな形で出してたんだよ。
それだけです。
今更どうにもならないけど。

今、児童虐待に向けられる目は厳しくなっています。
ここ数年で大きく取り上げられた死亡例がいくつかあり、それらもきっかけとなっていると思います。
一方で、現場を知ってる身としては、現場のつらさも、悲惨さも見聞きしているので少しは知っています。
業務量の多さ、つまりは人手不足というのでしょうか、
そして、気持ちの良い関係を築ける仕事内容ではないことが多いのはみなさんお分かりかと思います。
精神疾患による休職退職、突然の退職等、職員もギリギリの状態です。
自分も休職中の身であり、
まだまだ経験もないので、何をどうすれば、などという解決策は分かりません。

最後につたえたいこと

だけど。
どんなことがあっても、子どもは守られるべき存在であり、
いかなる理由があっても、理不尽に傷つけられることがあってはならない。
ましてや虐待など、絶対に起きてはいけない。

すべての子どもたちに楽しい毎日、明るい未来が待っていることを願っています。

そのために。保護者を理由もなく、悪者にするのはやめてほしいと、私は思います。保護者も、支援が必要な人たちであること、困っている、ということを忘れないでください。

話が右葉曲折、
結局何が言いたいのかさっぱりわからない長文になりました。
申し訳ございません。
文章の書き方講座でも習おうかな。泣
『みんながしあわせに毎日を過ごせたらいいね』
以上で終わりにします。
題名と違うじゃん!!
ご容赦ください。🙇
これからも頑張るので、どうかよろしくお願いいたします。




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