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大江健三郎文学の世界:主要作品とその魅力

 大江健三郎は、日本を代表する作家の一人に必ずあがります。
 川端康成に続き、1994年ノーベル文学賞を受賞。
 大江は、日本でたったふたりしか輩出されていないノーベル賞作家です。

 彼の作品は、戦後日本の社会や文化を背景に、抑圧された人間の欲望や深層心理などを鋭く描き出し、国内外で高い評価を得ています。また、多数の海外作家や思想家を日本に広めた功績も大きく、初期は得意であった仏文学のサルトルやカミュらを、中期ではラ米文学のG・ガルシア・マルケスやオクタビオ・パスらを紹介しました。レイト・ワークと称する後期の活動は、東日本大震災や沖縄基地問題に関する政治的な主張のほうが目立っていたように思います。

 この記事では、大江健三郎の主要作品を、あらすじ、テーマ、特徴、執筆背景、作風、文学的影響、批評・評価などを交えながら紹介します。


主な作品

大江健三郎の作品は多岐に渡りますが、ここでは特に重要な作品をいくつか取り上げます。

初期作品

  • 『飼育』(1958年)

 戦時中、山村に墜落した黒人兵士を村人たちが地下倉庫で「飼育」し、交流させ、虐殺してしまう物語。戦争の不条理さと人間の残酷さを、少年の視点から描きます。

 この作品は、外部から来た異質な存在である黒人兵と、閉鎖的な村社会の少年たちとの関係を通して、人間の残酷さや人種差別意識、そして言語を越えた異文化理解の難しさが浮き彫りにしています。

 主人公は、まるで黒人兵を檻の中の獣を見るかのように蔑みながらも、立派な体格や動物のような体臭や太く長いペニスに羨望と憧憬を抱いています。

 第39回芥川賞受賞作であり、23歳の若さで文壇のスターとなった大江の出世作でしょう。

  • 『芽むしり仔撃ち』(1958年)

 閉鎖的な感化院と断絶された村社会を舞台に、自由の王国を作りあげる非行少年らの物語。疫病の蔓延による夥しい死や、露悪的なまでに性が描かれています。
 狭い共同体の中で偽悪に満ちた自由を謳歌しながら、少女との性交渉を夢想し、覚えたての自慰行為に耽溺する主人公。しかし、大人の介入により追放されてしまいます。

 主題はエロスとタナトスなのでしょうが、近代的な価値観と伝統的な価値観の対立も描かれており、読み応えのある大江初の長編小説です。

  • 『セヴンティーン』(1961年)

 浅沼暗殺事件の犯人がモデルとなった主人公の右翼少年のテロ事件を描いています。
 作品の特徴は、主人公のマスターベーションの高揚感と、独善的な右翼思想の熱狂感を重ね合わせているところ。
 大江は右翼思想を男根に喩え、天皇陛下で射精してしまう主人公を、どこまでもグロテスクに描いています。

 過剰な性に溺れながら、過剰な政治思想に傾倒していく一七歳の少年の姿を通して、戦後日本の退廃的な政治状況や若者の心理、そして思想の持つ危険性を鋭く啓発した小説です。

  • 『個人的な体験』(1964年)

 脳に障害を持つ子供を授かった主人公バードの苦悩を描いた小説。アル中で喧嘩を繰り返すバードは、精神的に未熟な人間です。
 健常者であっても子供は要らないと考えていたバードは、障碍者の子供を持つことに抵抗を感じて、火見子のもとに逃げてしまいます。
 火見子はバードにレイプで処女を奪われて以来、セックスの達人になり、バードの心を癒すセックスフレンドになります。

 結末はバードが逃避先となった火見子を捨てて、父親になる決心を固め、子供に向き合うというものです。
 大江自身の体験を基にした作品であり、障害を持つ子供との向き合い方、そして人間の弱さと強さを描く、感動的な物語です。

中期作品

  • 『万延元年のフットボール』(1967年)

 作品空間と学生運動を対比させ、歴史と政治、個人の運命を壮大なスケールで描きます。物語は、英語講師の蜜三郎とその妻菜採子、そして蜜三郎の弟鷹四を中心に描かれます。蜜三郎と菜採子の間に生まれた子供は障害を持ち、施設で育てられています。夫婦仲は冷え切り、菜採子は酒に溺れ、蜜三郎は孤独を抱えています。弟の鷹四は1960年の学生運動に参加後アメリカに渡ります。帰国後、鷹四は故郷の倉屋敷を買いたいという朝鮮人実業家と出会い、蜜三郎たちに故郷への帰郷を提案します。曽祖父が建てた倉屋敷には、一揆の指導者だった曽祖父の弟にまつわる歴史があり、兄弟は彼の運命について意見が対立しています。

 帰郷した村では、スーパー・マーケットが影響力を持ち、村人たちの生活は苦しい状況です。鷹四は村の青年たちを率い、フットボール・チームを結成しますが、次第に妻菜採子と不倫関係になり、さらに暴力的な行動を見せるようになります。ついには村の娘を殺害し、信頼を失った鷹四は自殺します。物語の終盤、倉屋敷の地下から曽祖父の弟が隠れ住み、自由民権運動を指導していた事実が明らかになります。最後に蜜三郎と菜採子は和解し、施設から子供を引き取り、新たな生活を始める決意を固めます。

 この作品では、人間の暴力性や性に対する欲動、政治の欺瞞、そして個人と組織の対立に翻弄されてしまう人間の運命が暴かれています。

  • 『洪水はわが魂に及び』(1973年)

 核シェルターに立てこもった家族を通して、文明社会の崩壊と人間の狂気を描きます。

 主人公、大木勇魚は、知的障害を持つ幼い息子ジンとともに、東京郊外の核避難所跡に隠れ住み、自然と交感しながら孤独に暮らしていました。彼は「樹木の魂」や「鯨の魂」と繋がりを感じながら瞑想の日々を送っています。ある日、勇魚は「自由航海団」という、社会に馴染めない若者たちの集団と出会います。「自由航海団」は、未来のカタストロフィに備えて訓練を行う夢想家少年たちのグループです。その中の少女、伊奈子とジンは心を通わせ、勇魚も次第に団員たちと打ち解けていきます。勇魚はかつて、妻の父である保守系政治家「怪(け)」の秘書時代に犯した罪を告白し、それをきっかけに団員たちから信頼を得ます。以降、勇魚は「言葉の専門家」として、少年たちに『カラマーゾフの兄弟』を教え、彼らの教育に携わるようになります。

 しかし「自由航海団」が自分たちの情報をマスメディアに売ったカメラマンを殺害してしまったことで、核避難所は機動隊に包囲され、事態は銃撃戦へと発展します。勇魚はジン、伊奈子、喬木(団のリーダー)、そして医師であるドクターを避難所から脱出させる一方、自らは仲間の多麻吉とともに最後まで避難所に残ります。篭城の最中、勇魚は自分が「樹木」や「鯨」の代理人を名乗ることは思い上がりであり、実際にはそれらを脅かす存在と同じ側の人間であることを悟ります。そして、機動隊の放水によって水に満たされた避難所の中で、「樹木の魂」と「鯨の魂」に別れを告げ、「すべてよし!」と受け入れながら最期を迎えます。

 閉鎖された空間の中で、人間のエゴや狂気が露わになり、文明社会の脆さ、そして人間の持つ暴力性や破壊衝動が描かれています。

  • 『同時代ゲーム』(1979年)

 大江の出身地である愛媛県の架空村落を舞台に、神主の息子で歴史学者を自称する主人公の露己が、双子の妹である露巳に差し出した六通の長大な手紙という形式で綴られる壮大な神話です。内容は主人公の病的な推論であり、精液と糞尿に塗れた土地の記憶を、実験的な文体で綴っています。作中では時空間も歪んでおり「村=国家=小宇宙」「輝くバターの色の丸い臀部」「壊す人」という意味不明な定型文が繰り返され、読者を混乱の奈落に叩きこむような作品です。

「古代から現代にいたる神話と歴史を、ひとつの夢の環にとじこめるように描く。場所は大きい森のなかの村だが、そこは国家でもあり、それを超えて小宇宙でもある。創造者であり破壊者である巨人が、あらゆる局面に立ちあっている。語り手がそれを妹に書く手紙の、語りの情熱のみをリアリティーの保証とする。僕はそうした方法的な意図からはじめたが、しかしもっとも懐かしい小説となったと思う。著者」

 らしいのですが、私にはよくわかりませんでした……。

後期作品

  • 『燃えあがる緑の木』(1993年-1995年)

 四国の山村を舞台に、新興宗教集団の興亡を通して、人間の信仰と救済を描きます。宗教的な狂信と、人間の弱さ、そして救済の可能性について、深く考察した作品です。

  • 『取り替え子』(2000年)

 記憶と現実、自己と他者の境界を曖昧に描きながら、人間のアイデンティティを問う作品です。

 記憶の不確かさ、そして自己とは何か、アイデンティティの揺らぎを通して、人間の存在の不安定さを描いています。

  • 『水死』(2009年)

 過去の記憶と向き合う老作家の姿を描きます。過去の記憶、そして死と向き合うことを通して、老い、そして人生の意味を問いかける作品です。

執筆背景と時代的状況

 大江健三郎は、1935年に愛媛県で生まれました。

 彼の幼少期は、戦争の影に覆われていました。敗戦後、彼は新しい時代の中で青春を過ごし、高度経済成長期の日本社会に批判的な視点を持ち続けていました。

 特に、彼は経済成長を優先するあまり、伝統的な文化や自然が破壊されていくことに強い危機感を抱いていました。

 彼の作品には、戦争体験、核の脅威、学生運動、障害者問題など、当時の社会状況を反映したテーマが数多く見られます。

 また、大江は1964年に広島を訪れ、被爆者たちの証言を聞き取り『ヒロシマ・ノート』を執筆しました。

 この体験は、彼の作品に大きな影響を与え、核の脅威や平和への希求といったテーマが、彼の作品に繰り返し登場することになります。

大江健三郎の作風と文学的影響

 大江健三郎の作風は、日本では安部公房、東大仏文学科出身ということもあり、特にサルトルやカミュなどの実存主義、フォークナーなどのアメリカ文学から強い影響を受けています。作品に一貫する露悪的な性のイメージはノーマン・メイラーからの影響でしょう。また、日本の古典文学、特に『万葉集』や井原西鶴の作品などからも影響を受けているとも言われています。

 彼の作風の特徴としては、以下のような点が挙げられます。

  • 知的な文体

 哲学的な思索や社会的な問題意識を反映した、難解で重厚な文体。

 例えば『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』では、政治や哲学に関する深い考察が、登場人物たちのダイアローグやモノローグを通して展開されています。

  • 心理描写の深さ

  登場人物の内面を丁寧に描き出すことで、人間の複雑な心理を浮き彫りにする。例えば『セヴンティーン』ではオルガスムスと右翼思想の高揚感を馴致させ、『個人的な体験』では障害を持つ子供を授かった父親の心理が繊細な筆致で描かれています。

  • 神話や寓話の活用

 古典文学や神話をモチーフに、現代社会を象徴的に描く。

 例えば『燃えあがる緑の木』では、ギリシャ神話やキリスト教の神話が、物語の中に取り込まれ、現代社会における信仰や救済の問題を象徴的に表現しています。

  • グロテスクな表現

  暴力や性を赤裸々に描くことで、人間の闇の部分を露呈させます。
 例えば『飼育』では、少年たちが黒人兵士に対して行う残酷な行為が、生々しく描かれています。また『死者の奢り』では、少女の死体のクリトリスを見て勃起する主人公の鬱屈した精神が丁寧に描かれています。

 また、大江の義父である映画監督の伊丹万作の影響も無視できません。丹は、戦前の日本映画界を代表する監督であり、大江は伊丹から映画的な表現手法や物語の構成など、多くのことを学んだと言われています。

批評と論争

 大江健三郎の作品は、その難解さやテーマの複雑さから、多くの批評家や読者から様々な評価を受けてきました。

 彼の作品は、人間の深層心理や社会の矛盾を鋭く描き出しており、多くの批評家から高い評価を得ています。

 特に『万延元年のフットボール』や『個人的な体験』は、彼の代表作として広く知られており、国内外で翻訳されています。

 しかし、一方で、彼の作品は難解で読みにくいという批判もあります。また、グロテスクな描写や性的な描写に対して、不快感を示す読者もいます。

 さらに、政治的なテーマを扱った作品では、右翼団体から批判を受けることもありました。

読者へのメッセージ

 大江健三郎の作品は、簡単にすらすら読めるとは私は思いません。

 しかし、彼の作品世界に深く入り込むことで、人間存在の本質や社会の複雑な構造について、新たな視点を得ることができるでしょう。

 彼の作品は、現代社会を生きる私たちに、多くの問いを投げかけています。

結論:大江健三郎の残した功績

 大江健三郎は、戦後日本文学を代表する作家の一人として、数多くの重要な作品を残しました。

 彼の作品は、常に社会や人間の本質を見つめ、深い思索と鋭い洞察力によって、私たちに多くの問いを投げかけてきました。

 彼の作品の特徴としては、知的な文体、心理描写の深さ、神話や寓話の活用、グロテスクな表現などが挙げられます。

 これらの特徴は、西洋文学や日本の古典文学からの影響、そして彼自身の戦争体験や障害を持つ子供との生活など、様々な要因によって形成されたものです。

 大江の作品は、国内外で高い評価を得ており、多くの読者に愛読されています。しかし、一方で、その難解さやテーマの複雑さから、批判や論争を呼ぶこともありました。

 大江健三郎は、2023年3月3日に88歳で亡くなりました。しかし、彼の作品は、これからも多くの読者に読み継がれ、私たちに深い感動を与え続けてくれるでしょう。

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