わたしの定規は短い。 望みがない人間なのだ。 物欲は無いし生で見たい景色もそんなに無い。旅行は貧乏旅が好きだし、ブランド物は興味が無い。スポーツカーに魅力を感じはするが、所持するよりもプロの運転の横に乗ってサーキットを走ってくれたら一生の思い出になるな…と思う。質の高い機材で音楽を聴こうだとか、いい酒とシガーを嗜むだとか、そんな望みもない。 本当に平凡でつまらないと言われればそれまでなのだが、わたしはベランダの隅のプランターで育てた小さな皮の硬いプチトマトを太陽のめぐみだと言
誰だって幸せになりたいのにね。 わたしは物を作る人間として生まれてしまった。 家系がそうだ。祖父母も父母もそういう性質を持っている。わたしがそうならないわけがなかった。 この吐き溜めと私の活動を結びつけることはしないので何をしているか具体的な明言は避けるが、わたしはどうにも、創作活動をする上で不幸でいなければいけないらしい。 幸せであるときや上手くいっている時は決まって、作るものは輝かず平凡で酷くつまらない。 わたしが孤独で不幸であるほどに、わたしの心は創作へ依存して傾倒し
一生向き合わねばならぬであろう病を抱えている。 2023年はもう半年以上が終わっているというのに、わたしは今社会に全く交わっていない。 人と接すると異常なまでに疲れてしまうので自分を守るために人を遠ざけて暮らしている。 そこで私が始めたのが釣りだった。もう5.6年ぶりだろうか。 元々釣りは父と1年に1.2回行っていたが、釣り糸の結び方も分からず、青イソメはキモくて嫌いだし、フナムシも寄ってきて欲しくなかった。 それがどうしたことか、久々に実家に帰ってきてすぐに釣竿を持ち青イソ
死ぬまでそれなりとしか言いようがないよね。 そんなことより、わたしの病が鬱でないことが精神病歴10年ほどにしてようやくわかった。 双極性障害だったらしい。うーんまいったね。人生で1番ショックかもしれない。 確かにずっと学生の時から鬱っぽい時が多かったけど、治ってきちんと働いたり、健康で過ごした時期も沢山あった。思えばただの躁状態の時に上手く行き、そのまま暫く軽躁とフラットを繰り返すようにして寛解に近づき、負荷がかかった時に大きく転落の繰り返しだった。期間もそれなりに当てはま
傲慢のすぎるタイトル。 そのワケを聞いていってくれ。 わたしは米津さんより2つ下のはずだ。 彼がボカロPなどで活動していた時からずっと知っている。凄い同世代だとずっとずっと思っていた。 彼がdioramaを出した日、わたしはまだ専門学生で、多感で子供で大人になる途中で、世間は輝いて見えていたし、いっちょ前の孤独を持っていた。 ブロキャスでリクエストされるとひねくれて歌ってはくれないのに、ほぼ毎回歌ってくれるカントリーロードを聴くのが本当に好きだった。 サンタマリアが出たあ
わたしの、2023年の季節が飛び飛びになってしまっている。 うつ病が再発してから、とにかく閉じこもって眠ることが多く、わたしはひたすら内側にこもるやり方で自身を癒していた。 わたしはうつ病の時でさえも孤独を愛しているようで、誰かに甲斐甲斐しく世話を焼かれて病人をするよりは繭を作って中で治して羽化するように外に出るようなイメージで療養を続けていた。 わたしの心と体に異変を感じ始めたのは年が明けてすぐのことだった。 既に2023年も4月の半ば。夏日を記録するような日も現れ、日増し
わたしはもういい歳である。 母親がわたしのきょうだいを産んだ年齢に並んだ。わたしは独り身で、誰とも恋も愛も育む気もなく、自分の性格や持っている病、遺伝的に難病の因子を抱えていることを知って子供を持つことを諦めたのもこの歳だった。 わたしは元より軽薄で浅慮で無鉄砲な性格で、人生設計というものを考えたことがない。 今この時この一瞬と目先に立てた予定を無事にこなせれば、それでもう十分だなあという気持ちで毎日を生きている。 父はわたしに「日本はこれから二極化が進む」と言い続けてわ
うつ病が再発してしまった。 ここ数ヶ月、どうにもならない状態を我慢し続けていた。 暗闇の中を今にも折れそうな割り箸みたいな杖をついて、手元しか見えないランプで、ふらふら遠くにぼんやり見える小さな小さな光に向かって歩いてる気持ちで生きていた。 その光は近づいた分だけ遠ざかり、つい先日フワッと消えてしまった。 あてどなく、共連れも先達もおらず、四方八方には誰もいない。方向を見失って孤独だった。 ひとえに、わたしがしている仕事がまずかった。 どうにも上手くいかないのだが、自分自身
夢をぱたりと見なくなった。 多分、深い深い眠りについているのだと思う。 それは健康で何よりなのだが、本当になんの夢も見なくなったことに驚いている。 その代わりなのか、現実に対して真実である自信がない毎日を過ごしている。 2年前の今頃、私は臥せっていた。死なないでと家族に泣かれる病だった。結果的に寛解したのだが、あまり家族に話していない後遺症がある。 病にかかる前の、感情に対する記憶がほとんどなくなってしまった。 わたしが何を感じてどう思ったのか、思い出そうとしても頭にぼやあ
愛。 それは人類の永遠の命題かもしれない。 世間と繋がっていると、常に人々は愛について語り、疑問を持ち、説き、悩み、泣いて、笑っているなと感じる。 それはそれぞれ形や質の違うもので、一括りに愛と呼ぶにはあまりにも広義だ。 家族愛、というものは分かる。 私には父と母ときょうだいとペットがいて、わたしは人並みに彼らのことを愛していると思う。 大事だし笑顔でいて欲しい。健やかで幸せであって欲しいなと心から願っている。そのための努力は惜しまないし、そこに嘘偽りは無い。 わたしが
雪の降る音を聞いたことがあるだろうか。 わたしはあの音がこの世でいちばん好きかもしれない。 わたしの生まれは雪国で、赤と白のしましまのスノーポールが道路脇に突き刺さってるようなところだった。 まだ真っ暗な朝方、静寂を突き破ってわたしの浅い眠りを妨げるのは、決まって除雪機の大きなタイヤに巻かれたチェーンの音だった。 今でこそ大した積雪にならなくなってしまったが、小学生の時はスキーウェアで通学し、雪を水分補給代わりに食べ、雪遊びをしながら帰宅するような子どもだった。 豪雪の田
わたしは大変に怠惰な人間だ。 実家も清潔な方ではなかった。 母は週に一度は掃除機を掛けてくれていたのだが、二階にあるよく分からない荷物にはうっすらとホコリが積もっていたし、引っ越して二桁の年数が経っても、納戸には引越し当時のダンボールが積まれていたりして、混沌とした家だった。 誰しもがそれなりに忙しくしていた家で、人並みに清潔で人並みに不潔で、ごくごく普通の家だった。 わたしは子どもの頃から片付けとの向き合い方がとてつもなく不器用で、下手っぴだった。 鶴の一声でも動かないの
違国日記。 漫画をあまり嗜むことのなくなったわたしが、唯一発売日に買って読んでいる漫画本だ。 ※作中のセリフに言及するためネタバレには注意してお読みください この本を読む度に2ccは涙を流しているだろうと思う。1リットルだと見栄を張りたいところだが、大袈裟でなく本当に涙を流しているので現実的な数字にしておく。 涙の意味は巻数ごと話数ごとに異なるが、毎話のように泣いているように思う。 この本は至る所に自分がいる本だと思う。 きっと読んだ人のそれぞれの孤独に寄り添っているか
母という呪縛 娘という牢獄、という本がある。 齊藤彩氏による、実際の事件のルポタージュだ。 わたしはこの事件を知っていた。当時のニュースと、裁判が特に話題になったからだ。 9年に渡る浪人生活の末の殺害。「同情の余地あり」として大幅な減刑…。聞いたことも無い事件だった。そしてこの本が2022年の12月に発行され、再び世間の目が集まるようになった。 わたしはまだこの本を読んでいない。旅行の予定があるので、その道中で読むために買おうと思っているところだ。 読んでいなくとも、母と
近年、冬が暖かくなって雪もそんなに降らない。そんな土地に住んでいるわたし。 それでも年に何度か寒い日はあり、しんしんと雪が降り積る夜があり、数センチの積雪が春まで道路脇や木陰に残る根雪くらいにはなる。 道路は凍り、自転車を乗るのを恐れながらも朝の忙しさから急いで跨り、年に数回はひやひやする……という感じで、あまり感心しない冬との付き合い方をしている。 私が思春期だった頃は、もう少し雪は早い時期に降ったり積もったりしていた記憶がある。クリスマスに雪が降ればロマンチックだと色め
何者でもないわたしの書き散らした文章です。 コラム二ストの真似事とかして遊びます。 全てはフィクションかもしれない。そう思って読んでくれれば幸いです。