ズボラとコロナと猫
わたしは大変に怠惰な人間だ。
実家も清潔な方ではなかった。
母は週に一度は掃除機を掛けてくれていたのだが、二階にあるよく分からない荷物にはうっすらとホコリが積もっていたし、引っ越して二桁の年数が経っても、納戸には引越し当時のダンボールが積まれていたりして、混沌とした家だった。
誰しもがそれなりに忙しくしていた家で、人並みに清潔で人並みに不潔で、ごくごく普通の家だった。
わたしは子どもの頃から片付けとの向き合い方がとてつもなく不器用で、下手っぴだった。
鶴の一声でも動かないのに、突然真夜中にひっそりと部屋の掃除と模様替えをしだし、朝起こしに来た親をぴかぴかの部屋で出迎えて驚かせるような人間だった。
さてそんなわたしだが、コロナ禍で引越しを経験した。コロナで様々なものを失ったり変わったりした後の、再建と再出発のためのルームシェアだった。
ファミリータイプの部屋を借り、友人と当番で掃除をして暮らしていたが、順調だったのはたったの二ヶ月だけだった。
友人は自身を取り巻くありとあらゆる自立のプレッシャーに耐えかねて、音を上げ早々に実家へと逃げ帰ってしまった。
ひとりで住むにはあまりにも広い部屋で、ぽつんと取り残されたわたし。
それまで数日に一度は掃除機をかけて、床にものなどひとつも置くことなく、誰を迎えても恥ずかしくない美しい部屋を保っていた。
憧れていたコンクリート打ちっぱなし風の模様の壁紙を貼り、クッションフロアの床にフローリング材を敷きつめた。
モダンでカッコイイ部屋に間接照明も置いてやろうと画策していたし、家具の色も統一して理想の部屋を作り上げた。
その部屋を綺麗に保つことが楽しくてたまらなかった。毎日丹念にクイックルハンディで棚を甲斐甲斐しく撫でていた。
友人とのトラブルでルームシェア解消の後、がらんと広くなった部屋はわたしに「まあいいか」という思考を強く強く植え付けてしまった。
友人、もういないし。
別の友人を頻繁に呼ぶこともないし。
ひとりだし。
自分しかいないなら、まあいいか。
まあいいよ。
部屋はみるみる荒れた。
三部屋という広々した空間にはそれぞれ荷物を散りばめ、贅沢に汚した。
忙しさと生活費の出費を抑えるために浴槽に湯を溜めることをやめた。掃除の頻度が目に見えて落ちた。
トイレの電球が切れて、来客全てに言い訳をしてから利用させる……。
わたしの生来の性格も災いした。
わたしはとにかく出不精で、家にいすぎることで、不潔に対しての感覚が鈍くなっていた。
部屋を出入りすることがないから、部屋の様相がおかしい事に気づきにくい。
見るも無惨な汚れが溜まった頃に、一念発起して強力な洗剤を使って一気に綺麗にする、また汚れるまで放置する。友人が家に来る前に五時間かけて掃除しては、それなりの部屋を演出する……いう生活が一年半ほど続いた。
そんな荒れた生活の中で、いつも身を綺麗にしていたのは一緒に暮らしている猫だけだった。
いつも何時間とかけてて丁寧に毛繕いをして、毛並みはツヤツヤで光を蓄え、撫でるとビロードのようにとろける手触りの、わたしの愛娘。
そんな猫が年明け早々に猫喘息にかかってしまった。
突然咳をし、ケロッと治る。寝起きに突然それは始まり、背中をトントンしたりしていたのだが、いよいよ辛そうな咳の音に耐えかねて、正月休みが開けた瞬間に涙目で動物病院へ駆け込んだ。
重篤なものでは無いことを確かめ、薬物療法を開始した。
幸いにもたった一週間の気管支拡張薬とステロイドの投与でケロリと治ってしまい、その後発作は起きなくなったのだが、わたしはその頃度重なる心労で精神が摩耗して、気が気ではなかった。
医師には「何らかのアレルギーで咳が出ていると思われます」と言われた。
……いや、絶対部屋のせいだろ。
わたしはもういても立っても居られなくなった。
部屋という部屋を綺麗にした。不要物をメルカリに押し込んで、全国に二束三文で売りさばいてばらまいた。引き取ってくれるならもうなんでもいいと思って、いらないものをひたすら売った。
風呂とトイレに跋扈しているカビとヌメリを悪鬼のごとく殲滅し、使う部屋を一部屋に絞り、とにかくものを減らした。
引っ越してきて初めて、古紙やダンボールをゴミ捨て場に持っていった。
そして徹底したマイルールを設けた。
日曜日は掃除の日。
床にものを置かない。
カビを放置しない。
基準は誰がいつ来ても困らない部屋。
そして、家に人を呼ぶこと。
ルームシェア時代に誇示するかのように保った清潔は見栄のためだった。それを思い出しては部屋を片付けている。
猫のために、そして少しだけわたしのために。
猫のアレルゲンが何か特定できない以上、可能性の芽を全て摘み殺すという気持ちだった。
現在では部屋はそれなりまともになった。猫もわたしも健康だ。空室があるのは妙な気分だが、これでいい。
引越しの費用が工面出来たら、いずれここを発つだろう。それまではこのルールを守り、清潔な部屋を保とうと思う。
次は身の丈に合う部屋。築浅で洋室、日当たりのよい部屋で、ダニの可能性も滅したい。
それまではこの部屋、見栄と意地の部屋で、楽しく健康に暮らそう。
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