暖かな静寂

雪の降る音を聞いたことがあるだろうか。
わたしはあの音がこの世でいちばん好きかもしれない。

わたしの生まれは雪国で、赤と白のしましまのスノーポールが道路脇に突き刺さってるようなところだった。
まだ真っ暗な朝方、静寂を突き破ってわたしの浅い眠りを妨げるのは、決まって除雪機の大きなタイヤに巻かれたチェーンの音だった。
今でこそ大した積雪にならなくなってしまったが、小学生の時はスキーウェアで通学し、雪を水分補給代わりに食べ、雪遊びをしながら帰宅するような子どもだった。

豪雪の田舎から引越して真っ先に驚いたのは、救急車の多さだった。数日に一度はサイレンを聞くような頻度で、当時は「そんなに事故に遭ったり病にかかる人がいるのか」と恐れ慄いたものである。

家の前は十トントラックが行き交い、家もガタガタと揺れるようで、私はこの騒がしさがとても苦手だった。
騒がしさにも次第に慣れ、様々な雑音や喧騒が身の回りに転がるのが当たり前になったある年に、珍しく大雪が降った。
家族は早朝の雪かきはもううんざりだという理由で、暖かな海風の当たる土地を探し選んで越したので、雪なんて久しぶりだねと口々に話した。

その日の深夜、私は珍しく夜更かしをしていた。
毛布にくるまりながらベッド横の出窓を開け、冬の匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。
冷たさで鼻がツンとして、喉の奥が冷たさで灼けるのを感じて、少し咳き込む。それを何度か繰り返しながら大雪が積もっていくのを見ていた。
深夜で大雪ともなると、外に出る人間は極端に減る。その日は風もなく本当に静かな夜だった。

わたしは何年ぶりかに雪が降る音を聞いた。

正確には雪が積もる音なのだが、本当に微かで、本当に聴こえているのか怪しいほど小さな音。
しんしんと降る、という表現は誰が言い出したのか。わたしはその人を天才と讃えよう。
言葉に表すことすらも難しい雪の小さな囁きは、真冬の夜の寒さをも忘れさせるような静けさと暖かさを持っている。
雪と雲が音を吸い込むのか、世界はとにかく静かで、世界に誰もいないような錯覚をつれてくる。
上を見ればほんのりと赤い光を孕んだ雲がベッタリと空を塗りつぶしていて、夜なのにほんの少しだけ明るい。
雪が積もる音を聴いていると、途端に心地の良い微睡みが忍び寄ってくる。いくら毛布にくるまれていても、窓を開けていては寒くて眠れない。わたしは惜しい気持ちを抑え、窓を閉めて床に就いた。

次の日の朝、わたしは聞き覚えのある目覚ましで起こされた。トラックのタイヤに巻かれたチェーンの音だった。

あの夜から月日が経ち、わたしはさらなる都会で一人で暮らしている。
緊急車両を見かける頻度は実家よりも増えたし、家の周りには様々な言語が飛び交う騒がしさもある。マンション住まいなので上下左右の事情もある。最近ではすぐ隣で新しいアパートが建設されており、音が止まない日は無い。
動画配信サイトのニュースを通じて大雪のニュースを知り、予定を決める。わたしはとにかく家から出ないぞ。  

ただ、今夜だけはベランダに出る。
暖かい上着を着て、少し熱いくらいに温めた甘い牛乳をマグカップになみなみ注いで。

そしてわたしはもう大人なので、明日の朝起きた時に積もった雪を見てため息を吐くのだ。
こんなに積もりやがって、と。

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