よく笑う理由と、ギランバレーの話。
学生時代、顔面麻痺を患ったことがある。
そもそも実家が大学から遠く(片道2時間程度)、それでも最初は気合いで通学をしていたのだが、属していた専修のせいもあって、やれレポートだの授業だのバイトだの部活動だの(最後については趣味だ。必ずしも必要がない)に精を出していた私は、ついに倒れてしまったわけだ。
(第一文学部は、必ずしも暇ではない。専修にもよるだろうし、今となっては分からないが。)
真白い病院の問診室で、医者から「ギランバレー症候群ではないか」と言われた。同時に「もう治らないかもしれない」とも告げられた。
その時の私には、医者が一体何を言っているのか、よくわからなかった。
しかし、自分が置かれている状況が飲み込めないままに何某かの承諾書を書かされたと思えば、そのまま私はたくさんの血液製剤の点滴を受けることになった。
血液製剤は医師が針を刺さなければいけないということらしく、看護師と違って不慣れな医師に何度も血管をぐりぐりと弄られながら、なんとか静脈に繋がった管の伸びる先には、無数の透明な瓶が連なっていた。
私はそれを心から純粋に、「美しい」と思った。
まるで水族館の水槽に揺蕩うクラゲのように、それらはキラキラと輝いていた。
そんな「美しい」光景を遠目に眺めながら、そして、それを心から「美しい」と思いながら。
それでも私は心の底で「ずっとこれが治らないなら、もう死ぬしかないな」とぼんやりと考えていた。
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その日から私は「障碍者」になってしまった。
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高校時代、車椅子の友達がいた。
その子はとても明るく、そして優しく、今は市役所で障害のある人たちの力になるために尽力しているという。
彼女や彼女の両親が企画した「障害者のための美術展」などは、アールブリュットをベースとしていて、デュビュッフェが好きな人間にはたまらない展示であっただろう。
そして、友達と一緒に彼女の車椅子を一生懸命押しながら、長崎のとても長い坂を登った修学旅行は、今思い出しても、とても楽しいものだったのだ。
しかしである。あらためて思うに、彼女が生まれながらに背負った苦しみと絶望は如何ばかりだったろうか。そして、それでもいつも笑っていた彼女の強さは、如何ばかりだっただろうか。
それを私は少しでも、我が身として想像したことがあっただろうか。
私といえば喘息だのアレルギーだの、体の弱さで苦しんだことは何度もあった。それでも「なんとか普通の人の面の皮を被って」生きてこれてはいた。
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そんなことを考えながら、病院の食堂で頼んだスパゲッティを、私はうまく啜る事ができなかった。
無論それは顔面麻痺の弊害であるが、私はもう、自分自身が恥ずかしくて仕方がなかった。
所詮私は、「何もわかっていなかった」のだ。
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顔面麻痺の弊害は、たくさんある。
まず目が閉じきらないので、洗顔などはできない。
「パピプペポ」などの撥音便は発声できない。(唇が動かないからだ)
どんなに楽しくても、こんな状態の自分に対するゼミの同期の心遣いが嬉しくても、笑顔すら作れない。
ずっと季節外れのマスクの裏に感情を隠して、ただ人の目には見えない感謝をする。
「ありがとう。ごめんなさい。本当に心から感謝してる。(それは全くうまく伝えられないけれど)」
そんな状態の自分がどんなに悲しくても、辛くても、まともに泣くことすらできない。
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顔が動かない。
感情も言葉も、誰にも何も伝えることができない。
それがどれだけ辛いことか、私はこの時に思い知った。
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命拾いをしたのだろうか、私の顔はしばらくして少しづつ動くようになった。
今でも決して感情豊かとは言えないけれど、それでも面白い時は笑い、悲しい時に泣けるようになった。
別にそんなことは、人間にとって当たり前のことなのだろう。
それでも、その当たり前ができた時、私はこの上ない感慨を覚えた。
笑える自分が、とても価値のあるもののように思えた。
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だから私は、人と相対するときに、よく笑う。
「なんでも笑うよね。」と、言われることがままある。
そもそも自分は元来、決して感情豊かなタイプではない。母親からは、よく「ブスッとしてるんじゃない」と怒られた。まして、なんでも許してしまいそうになるような器用で愛嬌のあるような人間でもないので、社会に出てからも苦労は絶えない。しかも真顔でいると不機嫌そうに見えるのだろう、かつてのマネージャーからは「やる気がないなら帰れ!」と怒鳴られたこともある。
だから、別に当たり前に笑顔でいる訳ではないのだ。
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「明日笑えなくなるかもしれない。」
それならば、今この瞬間に相対した興味関心や優しさに笑顔を見せずして、いったい何に笑顔を見せることができようか?
人間、どんなに清廉潔白に生きていたとしても、運の悪い出来事は唐突に訪れる。自分自身がそのまま明日も「自分のまま」でいられるなんて思い込みは、ただの驕りだ。
だから「今日は」楽しいと少しでも思うから、笑っているのだ。