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詩の編み目ほどき

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読むほどに、こころの窪みに清涼のしずくを滴らせる詩を取りあげ、詩人の着想を読み解きます。
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詩の編み目ほどき⑰ 三好達治「菊」

詩の編み目ほどき⑰ 三好達治「菊」

三好達治の第一詩集『測量船』所収の「菊」を今回取り上げる。
「北川冬彦君に」と副題にあるから、この詩は、詩友、北川冬彦に対して、告げたい思いを述べた詩であるが、北川冬彦には言わんとしていることが、具体的事情をもって浮かんで来るはずだから、友人相互の関係においてのみ理解できるように書いた性格の作品と考えるのは間違いだろう。
一説には北川冬彦の詩「絶望の歌」( 難解な詩なのでここでの解釈はしない )

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詩の編み目ほどき① 三好達治「乳母車」

詩の編み目ほどき① 三好達治「乳母車」

三好達治―私の愛する詩人。
昭和の大詩人となった三好達治にも、詩人としての出発期には大きなとまどいと不安があったと私には感じられる。
最も初期の詩「乳母車」に、私は詩で世に立とうとする達治の志を読む。「乳母車」は母恋いの詩と言われているが、若く熱い思いが、彼にその詩を書かせたと信じている。私なりに「乳母車」を翻案して詩を書いてみた。先ず元の詩はつぎのとおりである。

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詩の編み目ほどき② 三好達治「Enfance finie」

詩の編み目ほどき② 三好達治「Enfance finie」

三好達治の詩の「編み目ほどき」第2回目。
最も初期の詩「Enfance finie」に、私は青年達治の漂泊願望の思いを読む。アレゴリーに満ちた表現の詩であるが、異郷を夢想する詩人の魂を感じ取れば、一見屈折して見えるこの詩もまた、司馬遼太郎が近代日本の人々の心情を表現した『坂の上の雲』のあとがきのことば
「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつ

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詩の編み目ほどき③ 三好達治「少年」

詩の編み目ほどき③ 三好達治「少年」

三好達治「少年」は、処女詩集『測量船』にある。先ずは詩の全文を下に示す。そのあとで「少年」私感を、詩句から解釈する。旧かなづかいのため、原詩どおり詰まる音 (「っ」) は、小文字の表記にしない。

❖ 少年                   三好達治

夕ぐれ
とある精舎の門から
美しい少年が帰つてくる

暮れやすい一日に
てまりをなげ
空高くてまりをなげ
なほも遊びながら帰つてくる

閑静な街

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詩の編み目ほどき④ 新川和江「Negative」

詩の編み目ほどき④ 新川和江「Negative」

詩の門戸を日常から続く道に面して開き、誰でもがその中庭に憩い、吹き抜けてゆく風を楽しむベンチを、ただ一人で守り続けている現役の詩人、新川和江さん。
「現代詩は滅ぶかもしれないわね」という新川和江の言葉がある。( 2015年11月30日の産経新聞のインタビュー )
その言葉の後に、私は《新川和江を失えば、のちにほどなく》と付け加えたい。「最近注目されている若い詩人の現代詩は、何を言おうとしているのか

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詩の編み目ほどき⑤ 三好達治「昼の月」

詩の編み目ほどき⑤ 三好達治「昼の月」

今回は、三好達治34歳の詩集、昭和9年7月刊行『閒花集』より、次の詩1934(昭和9)年4月「世紀 創刊号」初出の「晝 ( ひる ) の月」を取り上げる。旧漢字体、旧かな使い表記。

 晝 ( ひる ) の月     三好達治

 ―― この書物を閉ぢて 私はそれを膝に置く
 人生 既に半ばを讀み了( おわ ) つたこの書物に就て ……私は指を組む
 枯木立の間 蕭條と風の吹くところ 行手に浮んだ

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詩の編み目ほどき⑥ 新川和江「水切り」

詩の編み目ほどき⑥ 新川和江「水切り」

水切り                  新川和江
男がくれた石で
女は城を築こうとする
が それは
ただに ひとつの石でしかない

美しく 尊く
女はときにその一個の石で
荘厳な大伽藍さえ建てられると
過信するのだが

熱いその石の上で
干魚のように焙られても悔いないと念じ
じじつ 女は
ひじょうにしばしば 身をやいてしまうのだが

男は無邪気にそれを投げたに過ぎないのだ
川っぷちであそぶ子供が

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詩の編み目ほどき⑦ 新川和江「野を往く」

詩の編み目ほどき⑦ 新川和江「野を往く」

🧵 詩の解釈上掲の詩を書いた新川和江の脳裏を漂っていたであろう一首を思う。与謝野晶子の次の歌だ。

明治45年5月5日与謝野晶子は出国し、シベリア鉄道を経由して、19日にパリに到着する。パリには夫、与謝野鉄幹がいた。晶子は、5月のフランスの野原に咲き満ちていた雛罌粟ーヒナゲシの花の輝きに、夫に会う胸中の思いを重ねた。名歌である。

新川和江の「野を往く」は、晶子の歌の対蹠と言える境地だが、詩の場

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詩の編み目ほどき⑧ 三好達治「昼」

詩の編み目ほどき⑧ 三好達治「昼」

三好達治の詩を読み解く連作、今回は昭和4年3月『詩と詩論』に初出で、詩集『測量船』に収まる「昼」を取り上げる。先ずは全文を掲げる。 

💠 明治39年の夏、達治6歳の出来事三好達治は、虚構から詩を構成する詩人ではなかった。処女詩集『測量船』は、「村」や「鴉」など小説的描写の趣を持つ詩もあって、フランスの象徴派詩人たちの表現方法に刺激されているのは確かだが、詩の主題の展開においては、自分の実体験か

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詩の編み目ほどき⑨ 三好達治「草の上」

詩の編み目ほどき⑨ 三好達治「草の上」

三好達治の詩を読み解く連作、今回は、昭和5年12月刊の詩集『測量船』より「草の上」を取り上げる。
ただし単行詩集の『測量船』中には、「草の上」という詩が二編ある。そもそも二編は発表時期が違い、「鵞鳥は小径を走る」以下の連は『詩と詩論』での初出タイトルも、「草の上」ではなく、「PETITES CHOSE」( ※仏語で小さな事の意味 ) だった。
三好達治生存中、たとえば1953年3月刊行の自選詩集『

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詩の編み目ほどき⑩ 宮沢賢治「火薬と紙幣」イメージ画像でたどりながら‥‥

詩の編み目ほどき⑩ 宮沢賢治「火薬と紙幣」イメージ画像でたどりながら‥‥

🧵 詩の解釈何度読んでも映像が広がるばかりで、さまざまな解釈を許するむつかしい詩である。先ずは、詩の冒頭部分の印象的な語句を画像によるイメージで示して、賢治の頭に浮かんでいたものを大づかみにしてみたい。

「四面体聚形」というのは賢治の造語かと思いきや、明治時代の鉱物教本のなかに、テトラヘッドライト / Tetrahedrite、という鉱物の性状を示すのに使われている表現だった。

「ラツグ」が

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詩の編み目ほどき⑪ 「雲はぎらぎら光り」宮沢賢治の詩の言葉を考える

詩の編み目ほどき⑪ 「雲はぎらぎら光り」宮沢賢治の詩の言葉を考える

宮沢賢治の詩集「春と修羅」所収の「第四梯形」という詩は長い。
詩句の説明は、学者先生たちが詳細に語られており、私にはそれに並ぶ学識教養もないので、詩行ごとの解釈をするものではない。この稿では、目に止まる表現を拾ってゆき、そこから賢治の詩の特徴を探りたい。

「第四梯形」      宮沢賢治🧵 明るい雨の中のみたされない唇が「青い抱擁衝動や / 明るい雨の中のみたされない唇が / きれいにそらに溶

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詩の編み目ほどき⑫ 宮沢賢治「永訣の朝」

詩の編み目ほどき⑫ 宮沢賢治「永訣の朝」

今回は、宮沢賢治の名を不朽にしている名作の詩を読み解きたい。

            永訣の朝              宮沢賢治 

🧵① 詩に挿入した言葉は妹とし子の言葉だけこの詩の中では、賢治は語り部の役割を貫いていて、実際の場面で交わしたであろう自分の言葉は挿入しなかった。それは賢治の直感だ。自分の言葉は夾雑物でしかないと感じて、兄妹の会話体とすることでとし子の言葉を濁らせたくなかった

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詩の編み目ほどき⑬ 宮沢賢治「津軽海峡」イメージ画像でたどりながら‥‥

詩の編み目ほどき⑬ 宮沢賢治「津軽海峡」イメージ画像でたどりながら‥‥

🧩 1924年5月19日、船上から眺めた初夏の海峡風景である。さまざまな色の形容が目につく詩だ。その色を画像でイメージしてみる。

🔓 錫病 ( の色 ) とは?

錫病とは、低温下の金属すずが灰白色のぽろぽろした粉状に変化する様子を、病気に喩えて言った表現。賢治は、上に掲出した短歌で、曇り空を喩える表現にその「錫病」を使っている。
また、どんより沈んだ曇り空を、病んだ空と表現している歌もあり

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