ぺこみい

坐禅についてさがしていたら、noteにたどりつきました。 坐り続ける記録をつけます。

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最近の記事

やさしい瞑想法の本

    • 本 十牛図入門(つづき10)

      十牛図入門 横山紘一著  たまたまなのかもしれませんが、私が手に取った、十牛図に関する本は、どちらも、過去に人生に追い詰められた人が書いた本でした。 人生につまずいたら、人生が深くなる、なんておもっていたころの私、なにもわかってなかったのだと今、思います。 そう、つまづいたら、たとえば、ものすごく深い悩みとか、どうにもならない病気とか、たぶん私は乗り越えられるなんて思っているうちは、たぶん自分はまだ、元気だったのだと思います。 でも、こんな状況になっても、生きていかな

      • 本 十牛図(続き9)

        第9章 本源に還る(返本還源) 美しい自然が描かれた、9図。 自分の心の本源は花鳥風月のように美しいということ。 清らかで真っ白のこころ「自性 清浄心」というのだそうです。 じぶんへの執着、ものへの執着ををなくしてあるがままにみる。 * むずかしいです。 * 自然にふれる機会を多く持つと心があらわれるそうです。 それなら、できるかも。

        • 本 十牛図入門 (続き8)

          牧人は、ダイヤモンドに比せられる強力な禅定力で、最後の最後まで残った微細な煩悩、エゴ心の残滓を、焼き切りました。 そして、「空一円相」の世界に一瞬の内に飛び込んだのだそうです。 第8章 真っ白な空(人牛俱忘) いよいよクライマックスでしょうか。 ここになんと書いてあるのか。興味しんしんでした。 ここの絵はそう、〇。 空っぽです。怖いような、惹かれるような章です。 * ああ、そういえば、坐禅会で知り合った方が、坐禅のあとは仏様からすごく パワーをもらえる、とい

        やさしい瞑想法の本

          本 十牛図入門 (続き7)

          「もう、余命いくばくもありませんよ」といわれても、聞き流し、うたたねの世界にもどるその心境。 第7章 ひとり牧人はまどろむ(忘牛存人) 以下は引用です。 このような牧人の静けさまではいかないにしても、私たちも、坐を組み、吐く息、吸う息になりきり、なりきって、しばしの黙然とした静けさを味わってみようではありませんか。 そのような静けさをくり返しくり返し深層の阿頼耶識に薫じ続ければ、必ず来る”死”に臨んでも、あの牧人のように、平然とうたた寝をすることができるようになるのだ

          本 十牛図入門 (続き7)

          本 十牛図入門 (続き6)

          いちばん身近なこの「自分」がなんと不思議な存在か、その感動は喜びとなり、自分探しへの情熱を強める。 第6章 牛にのって家に帰る(騎牛帰家) 牧人は牛にまたがり、楽し気に笛をふきながら家路についています。 堂々とした暖かい牛の背は真の自己、そして直に触れるということはそれを拠りどころとすることをたとえているそうです。 * みんな何かをよりどころとしていきていますが、牛の背に乗って歩むということは、「普遍的ないのち」を拠りどころとするということなのだそうです。 *

          本 十牛図入門 (続き6)

          本 十牛図入門 (続き5)

          憎む、貪る、嫉妬する、傲る、だます、などの無数の煩悩の種子が阿頼耶識の中に潜んでいる。牛が暴れているのはこのたとえである。 第5章 牛を飼いならす(牧牛) 六識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)に加えて末那識、阿頼耶識の八つの識。 末那識阿頼耶識は深層心で、この阿頼耶識に煩悩の種があり、これは「縁」によって芽を吹いてしまう。 どうしたら、深層から浄化できるか。 * これだ。 この章がいちばん知りたいことがかかれていると私は思います。 * その方法は、心の

          本 十牛図入門 (続き5)

          本 十牛図入門 (続き4)

          精進ということばは、サンスクリット語のヴァールヤ(努力) を訳したもの。 心身の汚れを除き、目的に向かってすすむこと。 第4章 牛を捕まえる(得牛) とうとう牛を捕まえました。 でも、やすやすと捕まえたわけではありません。 綱で捕らえましたが、牛はまた逃げようとするので、牧人は渾身の力を込めて引寄せ、格闘するのです。 綱は念と解説されています。 念によって集中された意識をつかって日々の生活を送る。 そうすると心が深層から改革され、新しい自分を発見する。 *

          本 十牛図入門 (続き4)

          本 十牛図入門 (続き3)

          探していた牛を目でも心でもなく「ただ、なりきって」見る。 第3章 牛をみつける (見牛) 禅でよくいわれる、「いま」「ここ」「なりきる」 これがこの章のキーワードのようです。 よくきくけれど、実感としてどのようなものなのでしょうか。 * 仏教術語に、表面=世俗諦、裏面=勝義諦とあるそうです。 前者は言葉が通用する世界、後者はそうでない世界。 よくある禅の逸話で、質問に老師がなにもこたえなかったというのは、 この勝義諦の立場だそうです。 難しいです。何も答え

          本 十牛図入門 (続き3)

          本 十牛図入門 (続き2)

          みつけた牛の足跡は、つまり釈尊による「おしえ」です。 第二章 牛の足跡を見つける(見跡) もう見つからないと座り込んで、ふと足元をみたら、牛の足跡があった。 ありがちです。こういうこと。 そして、教えをことばに説くことについてふれています。 教えは言葉にはよらないけれど、間違えてしまったその元が言葉によるな ら、修正も言葉でしましょうということです。 正しい言葉を、正しい師匠から聞くのがいいけれど、 それができないときは経典をよむことであってもよいのだそうです

          本 十牛図入門 (続き2)

          本 十牛図入門 (続き1)

          十牛図入門 続きを書きます。 第一章 牛を尋ね探す(尋牛)について書かれています。 一人一宇宙であることを理解して、 そしてこのいのちとは一体なにかを考えること。 禅とは「静かに考えるこころ」 ヨーガとは、物事を静かにみる観察方法。 禅は瑜伽(ゆがと音写)の一種。 十牛図、は禅の修行によって高まりゆく心境を比喩的に示したもの。 * この辺までは、わたしでも理解可能。 でも、禅のこころで自分は存在しないと気づくと怒ることもなくなり、 新しい自分になり、新

          本 十牛図入門 (続き1)

          本 十牛図入門 横山紘一

          今、よんでいる最中。 今年は牛年ということもあって、 禅の世界では十牛図です。 わたしとしては、 読んでいた精神療法の本に十牛図が 心を救うようなことがかいてあったので、 気になっていました。 まだ、途中ですが、 毎日かくために読み進めたところまで書くことにします。 1図 尋牛(じんぎゅう) 飼っていた牛がにげて、牧人がさがしはじめます。 2図 見跡 みつからないとあきらめていたら、牛の足跡をみつけます。 3図 見牛 牛を発見。そっと近ずく。 4

          本 十牛図入門 横山紘一

          本 ただ坐る ネルケ無方

          なんとかかんとか毎日坐っています。 いまは自由な時間もたっぷりあるし。 でも、noteになにか残しながら、 坐るのがいいみたい。 なにか書いてるときのほうがいいよ、と家族にいわれました。 なので、禅のことをかくなんておこがましいと考えず、 とにかく書いてみようと思います。 今は十牛図の本をよんでいるのですが、 今日はとりあえず手元において大事にしている本を。 この本、わかりやすいです。 私たち日本人のすでにある共通の認識みたいなののも、 丁寧に客観的に述

          本 ただ坐る ネルケ無方

          掃除好きにないりたい1

          掃除は苦手です。というより嫌いなんだと思います。 で、掃除好きになるための考察。 * 考察するには、 原因・結果・対処などの要素から、 洗い出したり、見つけ出したりすればよいのかと思います。 * まず、思い当たる原因は。 ・ほこりと同居していても、気にならない。 ・掃除をする時間を惜しんでしまう。 ・掃除しやすい部屋ではない(物が多い) が、まず思いあたります。 * これらの原因について 調べたり、 それによってどんな害があるのか などを書き出

          掃除好きにないりたい1

          弧坐日記 14

          ひとりで座り始めて約1か月。 きのうは、坐禅のおかげかなと思うことがあった。 いやな思いがわいてきたのだけれど、 気持ちを切り替えがさっとできた。 体調がわるかったり、いま厳しい状況におかれていると、 なかなかきもちの切り替えができなくなる。 そんな状況でも、 さっとその思いを手放せたのは本当に何か月振りだ。 なにかがすこしづつ変わってきたと信じたい。

          弧坐日記 14

          本 Zen Mind,Beginner's MindInformal talks on Zen meditation and practice

          坐禅を始めた頃、一読した本。 初心者むけと訳してよいのでしょうか。 堂々と読んでいいんだ、という本です。 世界中で読まれているとの紹介もあります。 再度読んだら、最初の感想と違う感想になるのでしょうか。 * こどもが手術をしていて、眠れない時 坐禅をすると親の気持ちを救ってくれるというようなことが書いてあったのがずっと記憶に残っています。 これは分かりやすいなとその時感じました。 どうしようもなくつらいとき この言葉を思い出していました。 救われたことも

          本 Zen Mind,Beginner's MindInformal talks on Zen meditation and practice