本 十牛図入門 (続き5)
憎む、貪る、嫉妬する、傲る、だます、などの無数の煩悩の種子が阿頼耶識の中に潜んでいる。牛が暴れているのはこのたとえである。
第5章 牛を飼いならす(牧牛)
六識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)に加えて末那識、阿頼耶識の八つの識。
末那識阿頼耶識は深層心で、この阿頼耶識に煩悩の種があり、これは「縁」によって芽を吹いてしまう。
どうしたら、深層から浄化できるか。
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これだ。
この章がいちばん知りたいことがかかれていると私は思います。
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その方法は、心のなかに「三輪清浄の無分別智」の火を燃やし、なりきっていきていくこと。
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ひとことで約すると、
「自と他を区別せず、いつもなりきって生きること。」
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理解したいけど、むずかしいです。
なりきることのたとえとして次の話が紹介されています。
「もし、憎い人がいたら、その人に憎い、憎い、憎いとなん百回も叫んでみる。そうするとその人が憎くなくなる。」
そして、良寛さんの歌、
「災難に会う時節には、災難にあうがよく候 死ぬ時節には、死ぬがよく候」
とこの章は締めくくられています。
さっそく、私は、どうしても頭から離れない憎い人に対して、イメージの
中で言い続けるという実験をしたところ、眠れなくなってしまいました。
これは、本人にむかって実際になん百回もいうということなのか、
それとも私の回数が足りなかったのか、知りたいです。
深層からの浄化、はるかかなたのようです。
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