コーヒー日記⑮;しがない理学療法士のなんちゃってリハビリ哲学part②
前回のおさらい
前回、國分功一郎著 『中動態の世界』に記された、哲学者スピノザに関する一節から、なんちゃって哲学を試みた。
前回の内容を一言で述べれば、以下の一節を受けて、一般的にリハビリテーションは患者さん(利用者さん)活動能力を高める営みであるが、その最終目標を対象者の「喜び」とするならば、「思考能力」を高める工夫もリハビリテーション内で試みなくてはならないのではないか、ということだ。
さて、今回はこの考えを別の視点からより詳細に述べていきたい。
以下の考えはまだ、わたしの考えがまとまっていないところもあるため、今後も随時追加・修正していくつもりであることをご容赦願いたい。
『構築論的理学療法』という提案
ここからは前回よりも少し詳しく(システマティックに)述べていきたいと思うので、リハビリテーション全体ではなく、わたしの職業である理学療法に着目して話を進めたい。
といっても、話の内容的にどうしても(前回よりは輪郭がはっきりしているとはいえ)抽象的になるため、医療全体に通ずる話でもあると思っている。
キーワードは、『構築論』と『実在論』である。
まずはこの2つの概念の定義について、宮坂道夫著『対話と承認のケア ナラティブが生み出す世界』から引用する。
また同書にて、ヘルスケアの3つの関心領域として、「身体機能」「生活機能」「人生史」が挙げられている。「人生史」といっても今一つピンとこないと思うので、その定義を引用する。
上記の定義をみると、前回わたしが投稿した記事の内容は、「構築論的」なのかもしれない。
ただ、宮坂氏の書籍でもたびたび強調されているが、わたしも「実在論的」な考えを否定するつもりはない。
わたしが大切だと思っていることは、現在、理学療法士の世界では(その他のリハビリテーション業界もきっとそうだが)、実在論に立脚した治療体系「のみ」が存在していると思う。つまり、構築論に立脚した治療体系は、少なくとも理学療法の領域においては、まだ確立されていないのではないか、ということだ。
もちろん、実在論には「エビデンス」という強力な武器があるわけで、その力によって体系化が非常にしやすい。
一方で構築論は、より個別性が強調されるものであるから、エビデンスとして示すことは難しく、そのためどうしても実在論の思考に慣れた方からすると納得がしにくいものだったり、治療体系が全体としてボヤっとしたりしてしまう。
それでも、たとえボヤっとしていても、構築論的な理学療法の「なんとなくの形」を示していくことは、重要なことに思えてならない。
それを示すことによって、実在論に立脚した理学療法の限界を提示することができ、二項対立ではなく、両者を適切に組み合わせた理学療法を提供することも可能であると考える。
なので、今回はひとまず、構築論的な理学療法の「なんとなくの形」を示してみたいと思う。
ポイントは、以下の図で示すように、「△」から「▽」への転換である。
「△」から「▽」への転換
まず、以下の図をご覧いただきたい。
情報の価値について、実在論的理学療法では、身体機能>生活機能>人生史の順に価値が高く、構築論的理学療法では、人生史>生活機能>身体機能の順に高くなる。
情報の複雑さについては、実在論的理学療法・構築論的理学療法の双方で違いはなく、横幅が広い順、つまり、人生史>生活機能>身体機能の順で複雑になる。
この図で両者を比較したときに、最も重要なことは、問題点の抽出の方法が大きく異なる、ということだ。
まず、3つの関心領域である、「身体機能」「生活機能」「人生史」について、それぞれを理学療法評価に当てはめてみよう。
身体機能;筋力、関節可動域、歩行検査など
生活機能;FIM・BIなどADLに関する各種評価バッテリーなど
人生史;ホープ・ニーズの聴取?
そもそも人生史は「評価」するために語っていただくわけではないから、当然、評価バッテリーなどは存在しないが、理学療法において無理やり当てはめるのではあればホープ・ニーズとなるだろうか。
重要なことは、上記などの検査を通して抽出された問題点は、目の前の患者・利用者にとって「本当の問題点」なのだろうか、ということだ。
つまり、わたしを含めた多くの理学療法士は、きっと「身体機能」「生活機能」の評価結果を中心にして問題点を抽出して、申し訳程度にホープ・ニーズを聞くようなものだが、それでよいのだろうか?
世界の構築論的ヘルスケアを牽引している一人といえるリタ・シャロンは、興味深い症例を紹介しているため以下に引用する。
こうした「本当の問題点」は、人生史を語っていただかない限り決して気づくことができない。
理学療法に関連が深い「疼痛」の原因を例に考えてみても、いくら「身体機能」の評価や疼痛評価をしてもはっきりとして原因が分からなかったが、数日後、ふと患者が恥ずかしそうに「この前実は転んじゃったんだよね」と語っていただけて原因がはっきりしたということが、わたしの経験上も何度かあった(人生史とまではいえないかもしれないが)。
シャロンの症例に話を戻すと、「本当の問題点」を抽出するのに20年もの年月を要した。かなり骨の折れる作業だ。でもだからこそ、各患者・利用者と関わっている間は常に、その方が語る人生史を聞き逃してはならない。
大事なことは、「身体機能」「生活機能」に関する評価はもちろん行って、その評価結果に基づいて治療をするには変わりないのだけれど、そのうえで、人生史に重点を置き続けるということ。
それが、「△」から「▽」への転換、つまり「実在論的理学療法」から「構築論的理学療法」への転換である。
本記事では、「構築論的理学療法という提案」として、その骨子になる(と現状は思っている)内容を大まかに述べた。
ひとまず、今回はここまでとする(だいぶ長くなってきたので)。
今後、随時内容を更新していき、理学療法の発展の一助にしていければ幸いである。