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お寺で坐禅を初体験 やはりシステマと似ていた

以前、坐禅とシステマが似ているという文章を書きました。

最近アップロードされた動画を見ても、やっていることや意識していることは、ますますシステマだなと思います。

こういった経緯があり、坐禅を体験してみたいなと思い、早速行ってきました。藤田一照さんと同じ曹洞宗のお寺なので全体的なお作法は似ていましたが、住職さんによると、人によって教え方は微妙に異なるようでした。

結論から言うと、1回体験しただけではよくわからないです(笑)。でも、感じたことや気づきは色々ありました。

まず、お寺に行くことが滅多にないので、敷地に入るだけで空気が変わり、非日常の中に入っていく感覚がありました。そこのお寺では定期的に坐禅会が開催されており、初参加の場合は事前レクチャーがあります。

住職さんが、手の置き方や座り方などについて丁寧に教えてくれるのですが、「詳しい内容はYouTubeで公開しているので、それを見てください」と言われ、お寺も現代的なんだなぁと思いました。座るまでのお作法が複雑なので、1回だと覚えきるのは難しい印象でした。坐骨でよくある、警策で「バシーン!」と叩くのは、希望者のみにやるそうです。

この日の坐禅会は、会社帰りの方など、約10人が参加していました。座る時間は約40分。「ざふ」という固めでまん丸とした座布団に座るのですが、下半身を坐骨・両脚の3点で安定させつつ上半身をリラックスして座るのがなかなか難しく、首や肩などにテンションを感じます。

システマの時に感じる、自分で自分を窮屈にしている感覚によく似ていました。力みに気づいたら呼吸をしたり、良い状態になるように意識を変えたりしていきます。自分の中にこもったり、閉じたりする方向ではなく、なるべく外へ外へ開いていくイメージです。すると、姿勢はしんどいながらも、精神的には少しマシになってきます。

で、段々と足がしびれてくる(笑)。
この時、右の坐骨と右足重心(下半身の重心が右半分に偏っている)になっていることに気づきました。足を組み替えても、やはり右側に偏りが出てきます。仕事でも1日中、座りっぱなしなのですが、無意識に右足を折って座面に乗せることが多く、普段から右側重心に偏っているんだなと坐禅を通して初めて気づけました。

システマのトレーニングで、「腕をつかまれてヤバいと思った時、そのヤバいという状態は、半分は自分が作っている。自分が思っている以上に、自分で自分の状態を悪くしている」と言われたことがあります。

坐禅中、まさに「ああ、もう足がしびれてヤバイ!座ってられない!早く終われ!」と思ったのですが、このヤバイも半分は自分が作っているんだなと思うと、急に冷静になって「うーん。よく考えたら、まだ座れるかな?」という気持ちになっていくので不思議です。まさに、カーム(Calm)であることや、状態の話だなと。

「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」というチャップリンの言葉があるそうなのですが、システマのトレーニング中にもがいている自分は必死だけど、第三者から見たらシュールな動きに見えるようなことってあるよな、と思います。日常生活でも、仕事でも、なんでも当てはまりそうです。この俯瞰の視点が常にあれば、カームでいられるのかなぁと。

坐禅の話に戻りますと、システマのトレーニングにおいて、立っている状態で気づくようなことを、座っている状態で気づけたような40分間でした。

坐禅を終えた後は、茶話会という名のサークルアップがあり、参加者全員が感想を言い合います。住職さんが、「いろいろな宗派の坐禅を体験してみるといいですよ。同じ宗派でも住職さんによって教え方や体験も変わると思います」と言っていて、そのオープンな感じもシステマっぽいなと。そんなことを考えました。



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