ぽれ

最近覚醒して書いてるものが多分最先端なのでわかる人には刺さると思うけどカオス感が凄い。世の娯楽が楽しくない人で波長が合えばよろしくね!

ぽれ

最近覚醒して書いてるものが多分最先端なのでわかる人には刺さると思うけどカオス感が凄い。世の娯楽が楽しくない人で波長が合えばよろしくね!

最近の記事

トライガンスタンピードとおぼっちゃまくん

 トライガンって「トライガンが帰ってきた!」っていうほど好きな作品でもないし(無印1巻しか読んでないような…)でもツイッターでトレンド入ってて今作スタンピードのアニメーションの動きを見てアマプラで観れるぞ(しかしカタカナでサーチしても出てこんかった)観てみたら何か知らないおっさん出て来てアレアレ?って思ったけど無印で何となく嫌いだった外連味?っていうかヴァッシュという人間?の本当の弱さを隠そうとしながら更に外向きに安全なる弱さの仮面をつけたようなのが鼻につくっていうか…なので

    • エヴァンゲリオンの理解ある彼女さん

       別に私はエヴァンゲリオンのファンではない。が、思うところあって考察する。  新劇は何が言いたいのかよくわからないので旧エヴァンゲリオンのことだが、アスカってシンジの「理解ある彼女さん」になれる可能性があるんじゃねって話だ。まあその可能性は当時から香ってはいた。あれから30年くらい経って何だか女が怒ってるのを男が知覚してそのまま時代が進めばアスカはヒーロー性を取得して繊細な男シンジくんを「あんたバカ?」と言いつつ手を握って引っ張っていってくれそうな気がしてる。  男が女に抱い

      • どう考えても性教育は必要だろ?

         どこぞのアンチフェミの人かが「脱臭した男らしさ」なる言葉を使っていたのだが、私個人的には「きたねえ性欲、それってただの子どもの感性じゃないのだろうか?」とは思ってしまう。女にだってそんな暴力的なものはあるのだが(好きな人をいじめる女子は存在する)大人になっていくにつれて洗練されていく。だから暴力的(つまりは子どもっぽい)性欲には「性教育が必要だ」と女は言っている。自分が通った道なのでわかるのだ。  多分、幼い頃の性的感情は男女でそう変わらないのだが、女の子どもにはエロを知っ

        • 人間に「正しさ」なんてわかるのか?

           大体なんだが、男は「正しい/正しくない」で物事を考えがちだし、女は「好き/嫌い」もしくは「快/不快」で考えてるんじゃないのかな?と思う。だから男は正義のヒーローが好きだし自分が「正しい」と思ってる行動をするのだが……。  果たして人間は本当に「正しいこと」がわかるのだろうか?何しろチェンソーマンでは「正義」の悪魔が存在してるのがこの時代を物語っている。私が思うに「正義中毒」になる人には「孤独」+「ものぐさ」が合わさっているのだと思う。何が「ものぐさ」かって人間と関わりを持つ

          子どもが言うことをきかない!

           ツイッターでママさんの愚痴を読んでしまって考えた。  「何故子どもが母を小馬鹿にするのか問題」!!!  まあこれって夫婦間の問題が影響してるんですよ。ママはパパの心に関わることを止めてしまっている「妥協」状態で、立場の弱い子どもにはうるさく言うっていうことに子どもは気づいているので…言うことなんて聞くわけがないじゃん?あんたは弱いものにしか言えないもんな!って思っちゃってる。因みにパパは存在を無視されてるしその方が楽なのだろう。  どうにかしたいなら旦那さんとバトるっきゃね

          子どもが言うことをきかない!

          「竜とそばかすの姫」をまともな物語にするには(※ネタバレ注意)

           どうしたら「竜とそばかすの姫」がまともな物語になるのか考えた。前回の記事を読んだ方がわかりやすいと思う。 ↓↓読んでみてください 「竜とそばかすの姫」に見る「女のヒーロー」の物語(※ネタバレ注意)  https://note.com/osanagopore/n/n0a5fb2939381  一回しか観てないのだが多分こうなんじゃね?劇場ですね……。私は正直にしのぶとけいを統合したらいいんじゃないかと思う。細田監督はそもそも「ハウルの動く城」をやりきれなかった過去がある

          「竜とそばかすの姫」をまともな物語にするには(※ネタバレ注意)

          「竜とそばかすの姫」に見る「女のヒーロー」の物語(※ネタバレ注意)

           「竜とそばかすの姫」をアマゾンで観た。評価はボロクソで確かに冷静に考えると感情移入が無理ぽ。な場所も多いが、私には響いた。何故なら男女逆転で同じようなことをやろうと藻搔いた経験があるからだ。細田監督は私にとっては「イケメン製造マシーン」であり、その根源は何だったのかをありありと伝えてくれる作品がこの作品である。  この作品でのイケメンはしのぶくんでありけいくんでもある。一人の中の人格を二人にわけたので作品が色々おかしいことになってるのだが、作り手は気づいているのかわざとなの

          「竜とそばかすの姫」に見る「女のヒーロー」の物語(※ネタバレ注意)

          「タコピーの原罪」考察のようなもの

           「タコピーの原罪」終わりましたね。感想&考察をなどというけれど各話1回しか読んでない。のでうろ覚えでの考察となりますが…。  この作品は「子どもの無力さとそれでも失くしてはいけない何か」のお話だと思いました。タコピーは無邪気でそれ故に残酷で子どもそのもの。日本の現実から言えば「早急に世の中に適応させなければ」と思ってしまう小さい頃の社会的役割とは無縁な子どもなのです。大人はみんな自分の中にかつてタコピーがいたはずなのですが「自分とは関係ない」と「思いたがっている」のです。

          「タコピーの原罪」考察のようなもの

          強さを強要される子どもの話

           男は強さの強要で男になるのだった(今は女も「男性性」にはめられている。もっと言うなら西洋的なものに毒されている。)  子どもは産まれてくるとびっくりするほど無力です。何も出来ない赤子です。そこへ「強くなれ」や「金を稼ぐのが何よりも大事」などの言葉がどれほど暴力的かどうか検証します。  実質無力な子どもには「そのままでいいのである」というメッセージが必要です。流行りの自己肯定感はこうして授けられる。しかし、大人は「子どもの時にああしていれば」とかをカジュアルに考えてしまった

          強さを強要される子どもの話

          エヴァンゲリオン与太話

           昨日エヴァンゲリオンについて考えていたんである。別に理論で語りたいわけでもないので単なる与太話であるから気軽に行こう。ウン。  アニメ版は夜中に再放送されたのを録画して何度か観た覚えがある。弟が観ていたからだと思うけど私の感想は「普通に面白い」であったから当時の世の熱狂ぶりとは随分と乖離があった。弟は本当にハマっていて友人の弟もハマっていた。男の何かを狂わせる作品だったのだろう。比べて女オタクは若干醒めていて腐女子はカヲシンに夢中……っていうか腐女子の間でも「シンジがうざい

          エヴァンゲリオン与太話

          カムカムエヴリバディ57話考察

           新たに気づいてしまったので書くことにする。カムカムエヴリバディのるいとジョーは同じ魂の持ち主であると。  るいとジョーは心に深く傷を負っている同士でそれが故にトミー曰く「共鳴」しているのだが、何故ジョーがるいの傷を受け入れられたかというと、彼にはトランペットがあったからだ。るいとジョーの葛藤の正体は「自分は果たして生きてていい人間なのか?」である。ジョーにはトランペットがあったから、何も持たずに傷ついてるるいを支えることが出来た。  それがなくなったということはジョーの生き

          カムカムエヴリバディ57話考察

          頭脳戦艦ガル式作曲法

           初めて曲を作ったぞ!ってのは一昨日のこと。今日もSwitchで曲を作るかな?と思ったけどYouTubeを覗いて聴いてみた曲が良すぎて強ローテです。音楽のことは詳しくないので本格的なの求めて来てる(そもそもここまでデジタル機器が発達してて個人の嗜好が細分化されてるので音楽を一つで語れないような?)人は読まない方がいいと思いますよ。  本当に任天堂のSwitchは侮れない……たまたまツイッターでデジタル音楽を作成できるソフトが50%引きです!ってな情報を見てしまって、昨年PCで

          頭脳戦艦ガル式作曲法

          橋下徹に告ぐ

           ツイッターで流れている諸々の情報を鑑みるに橋下徹は家庭が、特に子どもが「育てたように」育って心休まる場ではないのだろうと思った。何故わかるかって自分が「強さ(=金を稼ぐ能力)がないものは滅びろ」的志向の父親がいるからだ。多分自分が愛ある家庭が欲しいから子どもをいっぱい作ってこれで心安らかになれる。と思ったのだろうが「父親が自分のために一方的に」育てる子どもがまともに育つわけがない。もう子どもも反発したり言うこと聞かなかったり暴れ出したり色々地獄を見ているんじゃないかと推測す

          橋下徹に告ぐ

          どうして人を殺してはいけないのか

           どうして人を殺してはいけないのか。それを説明してみようと思う。  まず、基本となるであろう親子で「人を殺していい」状態だと定義すると、親は「自分に都合の悪い」ところがあったら子どもを殺すことになる。つまり強者は弱者の生殺与奪の権を握ることになり世の中の人間関係に安寧はなくなるし他人からいつ殺されるかわからないので結局は安心するために自分以外の他人を全員殺すというところへ落ち着く。ここでよく考えて欲しい。人は自分一人で生きられるのか?米を作ってくれる人や道具を作ってくれる人電

          どうして人を殺してはいけないのか

          尾崎豊は何故死んだ

           尾崎豊…私には何の関係もないワードと思ったが、なんにでも積み重ねはあるものなので無意識に今の文化に混ざってるんじゃないかとも思い彼の考察を開始しよう。因みに彼の歌はろくすっぽ聴いてない。  「I love you」を聴いたとき「なんつうナルシス度高い楽曲なんじゃ」と思ってこの歌手とは気が合わなさそうと思った。盗んだバイクで走り出すのも学校のガラスを壊していくのもナルシス度が高くてついて行けないし私は原チャリを盗まれる側なんだよう!!という…結構そういう人はいるんだけど状態で

          尾崎豊は何故死んだ

          ギザギザハートの子守唄?うっせぇわ!

           今日「うっせぇわ」を「ギザギザハートの子守唄」言ってる動画見て「違うだろ違うだろ~!!」ってなってしまったネオバのぽれです。私の解釈は間違っているのか!?…と思いちょろっと文章書いてみよ。と思いました。  まず私はチェッカーズが直撃してる世代なのですが当時から興味がなくフミヤもソロになってから少し聴いたって感じでしばらく「ギザギザハートの子守唄」は松居直美の歌だと思っていました。この認識がかなり酷いのはアラフィフ位の人に訊いてみたら絶句ものだと思うくらいです。訊いてみて☆

          ギザギザハートの子守唄?うっせぇわ!