「竜とそばかすの姫」に見る「女のヒーロー」の物語(※ネタバレ注意)

 「竜とそばかすの姫」をアマゾンで観た。評価はボロクソで確かに冷静に考えると感情移入が無理ぽ。な場所も多いが、私には響いた。何故なら男女逆転で同じようなことをやろうと藻搔いた経験があるからだ。細田監督は私にとっては「イケメン製造マシーン」であり、その根源は何だったのかをありありと伝えてくれる作品がこの作品である。
 この作品でのイケメンはしのぶくんでありけいくんでもある。一人の中の人格を二人にわけたので作品が色々おかしいことになってるのだが、作り手は気づいているのかわざとなのかよくわからない。イケメンの中に闇があるのだがそれを救う女性ヒーローを待っている。多分監督本人が。しかしながら既存のキャラで言うならばナウシカは現実味がないし傷ついた男を救ってくれるのはそれと同等に傷ついている人間でなければ不可能なので主人公は傷ついた人間だ。彼女を救うため(生命を維持するため?)のしのぶ、救い救われるためのけい。
 物語は男女が入れ替わればなんてことのないお話である。主人公が男であるなら何度も再生産されたであろう「父は人を助けるために命を落としました」系の話である。が本作は「女」のヒーローを描くべく設計されてるので母が命をかけて人を助ける。人を救う根拠がそんなところにあり、主人公は屈折を抱えながら高校生になり好きだった歌を歌えなくなっている。これが宮崎駿作品だったら無理やり笑顔を作り元気に活動する「サツキ」タイプの人間になるのだが、そして細田監督も男なんだからそうやって「美味しいところだけ」つまんでおいてすませられるのに、主人公すずの心の救済をし、傷ついた人間を救うのはやはり傷ついた人であることを描き出す。という構造なんである。本作は救いが一方的に見えるが私にはしのぶとけいが「同じイケメン」に見えるので主題がセーラームーンと同じじゃあねえか?などとも思ってしまう。女のヒーローを待っているのだ。
 もちろん作品の物語構造はどうなのよ?とも思うが、同じキャラを二人にわけるという力業を使っているので「唐突過ぎる終わり方」をするし、すずが東京?へ行くのに相手役っぽいしのぶはついていかない。たった一人ですずは高知から東京へ行くのである。しかしそれは通過儀礼であるのだ。最早抽象概念物語であるとすら言える。この物語を「監督の心象風景だな」と思える人にはとても面白いし普通の人は「なんじゃこりゃ?」と思うことだろう。でも確実にファーストペンギンではあるのだ。細田監督一人では完全に作るのが無理だった「傷ついた少女と少年の救済の物語」はこの作品が琴線に触れる人間によってブラッシュアップされて新しい物語につながっていくことと思う。因みにまだ1回しか観てないので名前など間違えてるかもしれないので容赦願います。

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