尾崎豊は何故死んだ

 尾崎豊…私には何の関係もないワードと思ったが、なんにでも積み重ねはあるものなので無意識に今の文化に混ざってるんじゃないかとも思い彼の考察を開始しよう。因みに彼の歌はろくすっぽ聴いてない。
 「I love you」を聴いたとき「なんつうナルシス度高い楽曲なんじゃ」と思ってこの歌手とは気が合わなさそうと思った。盗んだバイクで走り出すのも学校のガラスを壊していくのもナルシス度が高くてついて行けないし私は原チャリを盗まれる側なんだよう!!という…結構そういう人はいるんだけど状態であった。
 昭和も終わりごろの男は中身が空疎でそのわりにプライドだけは高かった。尾崎豊という人は空疎に苦しめられそれに自分で気づくくらいには繊細な人だったんじゃないかと思う。「十五の夜」という歌はそれがかっこいいという理由で書かれたのではなくナルシストで未熟でかっこ悪い自分の発露だったのではないのかと思った。かっこ悪いダサい…本人はそうでも聴いた人は「こういうのをかっこいいと思ってもいいんだ!」と勘違いしてカリスマとして祭り上げられていく。
 
 そりゃ疲れますね…。

 ナルシス度高めで一人じゃ生きていけない重たい信者がついている繊細な人。多分自分の醜いところを歌ってありのままを受け入れて欲しかったんだろうと思うけど、人間としての自分は全然理解されず、「かっこいい」「憧れる」という文脈だけが肥大していく。気軽に自己投影する安易な聴き手。そして若くなくなって…いや、彼は亡くなった時も十分若かったのだが十代の歌しか作れない期待されない足枷。どうあがいても彼は自分がどういう大人になっていけばいいのかビジョンが思い浮かばず、それが故に孤独でそれに恐怖を感じていたのではないだろうか。ドブネズミみたいに美しくなりたい…ブルーハーツの歌である。尾崎豊は自分をドブネズミだと思いながら信者に理想化されこの世から消えていったのだと思ってる。
 バカなんじゃないの?と私なんかはずっと思っていた。変なプライドなんていらないでしょ?でもそれすらないと恐怖を感じるくらいには孤独。今でも「オザキは私の人生」とかいう人がいるが特に何の感慨もないので「ふーんそうなんだ」とだけ答えとく。

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