どうして人を殺してはいけないのか
どうして人を殺してはいけないのか。それを説明してみようと思う。
まず、基本となるであろう親子で「人を殺していい」状態だと定義すると、親は「自分に都合の悪い」ところがあったら子どもを殺すことになる。つまり強者は弱者の生殺与奪の権を握ることになり世の中の人間関係に安寧はなくなるし他人からいつ殺されるかわからないので結局は安心するために自分以外の他人を全員殺すというところへ落ち着く。ここでよく考えて欲しい。人は自分一人で生きられるのか?米を作ってくれる人や道具を作ってくれる人電気のメンテナンス作業する人…数え上げたらきりがないが、自分を含むそういう人たちが世の中で少しづつ社会を成り立たせてくれてるのだ。人を殺してよいとなれば社会生活が成り立たないのがすぐにわかると思う。背理法を使うまでもなく「それだと社会がそもそも存在出来ない」ので「人を殺していい」この命題は「偽」となる。
次にどうして生産性のない社会的弱者を切り捨ててはいけないのかだが、これはもうほとんど「どうして人を殺してはいけないのか?」ということを考えてくれればわかると思う。弱者を切り捨てた場合の社会の生きづらさを考えれてみるといい。強者しかこの世にいなくなれば彼らも「自分がいつ弱者になるか?」という恐怖から逃れられなく精神に安寧がなくなるのが目に見えてる。そして事故でも病気でも偶然の出来事で弱者になったら切り捨てられる…お前らそんな世界なんて求めてるのか?と疑いたくなる。そもそも親が「弱者である」子どもを育てるために世間が発するメッセージが「弱者はいらない」だったら矛盾が激しいうえに子どもは「自分たちを親が何故自分を産んだのか」わからない。いや多分「自分たちの欲望のために」産んだのだと思うだろう。そして親は子どもを強者にするべく無茶な教育をしていく。この世界線には虐待が溢れることは火を見るよりも明らかだ。引きこもりも多くなりそうだが彼らは弱者として処分されていくのだろう。だから多分みんな脱落して社会が成り立たない。
皆、自分が知らない間に受けてる恩恵が普通で殊更特別なことではないと思ってるからそんな無茶なことを言っているだけ。「本当にそういう価値観の世界ってどうなるんだろう?」とちゃんと頭を使って考えてみたらいいと思う。