「タコピーの原罪」考察のようなもの
「タコピーの原罪」終わりましたね。感想&考察をなどというけれど各話1回しか読んでない。のでうろ覚えでの考察となりますが…。
この作品は「子どもの無力さとそれでも失くしてはいけない何か」のお話だと思いました。タコピーは無邪気でそれ故に残酷で子どもそのもの。日本の現実から言えば「早急に世の中に適応させなければ」と思ってしまう小さい頃の社会的役割とは無縁な子どもなのです。大人はみんな自分の中にかつてタコピーがいたはずなのですが「自分とは関係ない」と「思いたがっている」のです。何故ならそれは世界に許されなかったから。特に自分を庇護してくれる者(主に親)がそれを認めてくれなければ、生死に関わることだから親に子どもは忖度します。主に「強くなれ」「お金を稼げるようになれ」「世間に迷惑をかけるな」等々…それって大人の都合なのですね。大人の都合を押し付けてるだけなんだけどそれらしくお前のためだとか言ってくる。今作のしずかちゃんまりなちゃんは大人の犠牲者そのものなのだけどタコピーは彼女らをハッピー道具でもどうしても幸せにすることが出来ない。だからタコピーは最後の決断を子ども故にあっさりと…。
私は今泣いている。この世からタコピー的なものを「無駄」と断罪したものは何だ?それは明治になって西洋的なものが日本に入ってきてしまったことに端を発する。それまでだって問題はあったのだろうけど江戸時代大人は子どもをひたすら可愛がったそうである。子どもに「強さ」など押し付けない。決定的になったのが戦争で負けたことだったんじゃないだろうか。その時に「強くなきゃ生きていく価値なし」「世の中に対して有用であれ」軍隊式の教育が世の中を歪めた。現在はその歪みが元に戻ろうとする分水嶺な気がする。
戦後「手塚治虫」なる天才が子どもの心理を描いた。タコピーとアトム、レオなどが重なる。これは漫画のお仕事ですよ。現在の漫画の大切なお仕事です。使命とすら言っていいと思います。