エヴァンゲリオン与太話
昨日エヴァンゲリオンについて考えていたんである。別に理論で語りたいわけでもないので単なる与太話であるから気軽に行こう。ウン。
アニメ版は夜中に再放送されたのを録画して何度か観た覚えがある。弟が観ていたからだと思うけど私の感想は「普通に面白い」であったから当時の世の熱狂ぶりとは随分と乖離があった。弟は本当にハマっていて友人の弟もハマっていた。男の何かを狂わせる作品だったのだろう。比べて女オタクは若干醒めていて腐女子はカヲシンに夢中……っていうか腐女子の間でも「シンジがうざい」という感想があったのにカヲル君が出てきた途端に「シンジ君は乙女だったのね!!」と腐女子は興奮し何だか彼を女体化させてる同人誌があったみたい。私は既に同人から足を洗っていたので伝聞であるが。
新世紀エヴァンゲリオンの物語の始めはシンジ君が何だかようわからんエヴァなるものに無理矢理乗れ!と父親に命令されていてフォローがどこからもない。という状況で、男の子にある「強くなれ!」と命令されるも具体策はなく子供の情緒は放り出され「自分で後はどうにかしろ!」と見捨てられることへのメタ表現なんだろうなとは思った。女の子にも弱肉強食で育った親に食い物にされる経験があると思うのだが男尊女卑世界の更に弱いものを叩く現実に心が健全になるわけもなく、そんなのがまた親になり「男尊女卑」なので娘に歪みが直に降りかかる!という地獄社会が繰り返されるのであった。私は昔、弟が好きにアイスや食べ物を買ってきて食べてるのを見て自分もそうしようとハーゲンダッツのアイスを買ってさあ食べるぞって時に母親が笑顔で「皆の分は?」と言ってきたので目の前が暗くなった。女は家族のために犠牲になるのが当然。女にはそんな些細な絶望が沢山あるのだ。
話を戻そう。エヴァンゲリオンだ。弟がハマって関連書籍があったので読んでみたらキモすぎる視聴者からの意見?を読んでしまった!のであるが……「アスカちゃん可愛いね。このままでお願いします。もちろん正ヒロインはレイちゃんで」みたいな何というかおじさん構文なんだけど(再現できないのだが)エヴァンゲリオンをラブコメとして捉えてるキモオタとしか言いようのない意見だった。作り手もそりゃキレたくもなる。私は一視聴者として観たけど普通に楽しんだしカヲル君登場の意味はわからなかったしあんな終わり方でも特に「よかったね(棒)」という感じでブームはどこか遠くの世界の話みたいで旧劇は弟がカセット(時代……VHS)を「観なよ!」ってな感じで置いておいてくれたけど観る気になれず「……き…気持ち悪い…」というセリフがあると聞き何かを感じたのではあった。言語化すると、男としてどのようにふるまったらいいかわからないロールモデルもない、でも大人にならなくてはならない自分が何を感じているのかわからない誰か助けて!という叫び。多分監督は自分が何を感じているかがわからず(多分子供時代の毒親系トラウマのため)オタクコンテンツについて感じたことを是として生きてきたけどオタクコンテンツなんてすぐ消費しちゃうよね。という状態に陥ってる。
「まあでも関係ないからいいか……」
と特に当時は拘ったりはしなかった。
新劇の話
このエヴァンゲリオンはマリが重要人物になるので「彼女を主役にしたらいいんじゃね?」となんとなく思ったが、それをやると「涼宮ハルヒの憂鬱」になるんじゃ?ということに気づいた。ハルヒはレンタルで観てみたが何が面白いのかさっぱりわからないので「乙女チック少女マンガを普通の男に読ませるとこういう反応」の男女逆転だろうなと漠然と思っていた。乙女チック少女マンガと違っていたのは男向けのコンテンツだったためメジャーな存在になってしまったことだ。男がハルヒを望むという今までにない状態になったが私個人は「基礎がぐちゃぐちゃなのに応用までやってられるか!!」という感想しか持てない。そしてオタク界はツンデレとBLとカワイイを御旗にカンブリア紀に突入していくことになる(調べたらクランチロールが出来たの2006年だった)しかし、男は社会性を捨てられず(ちゅうか男って社会的な意味しか持ってないじゃん……)オタク絵のエロに耽溺しつつ女を憎み踏みつけにするという時代がくるのだが自分で書いてて本当かよ?という気がしないでもない(今更っていうか昔から男って女を蔑みながら依存するという卑怯なことしかしてないじゃん戦後のことしか知らんけど)今のオタク界は多様性が爆発しており全部を把握するのは不可能なのだ。そんな中シンエヴァが公開されて「うーん……時代遅れになっちゃったね~頑張ったんだけどね」という感想でこの記事を納めます。
追伸:セガサターンのカードを集めるゲームは好きでした。気軽に出来てよかった。