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大人になってからでも、無理なく打たれ強くなる方法
学生の頃、自分のことを「打たれ弱い人間」だと思っていました。失敗に弱く、少し強く言われるだけで気持ちが折れそうになる。反骨精神とは一生無縁な人間なんだろうと感じていました。
しかし最近、自分の心の強度がどんどん上がっている気がするのです。
これは自分で感じているだけでなく、周りからも「たくましくなった」「安心して仕事を任せられるようになった」と言ってもらっています。
一体、自分に何が起きている
「ありのまま」と「今のまま」はどうやら違うらしい。
「ありのままで自分らしく生きよう」という言葉が、普段は好きなのだけれど時折むず痒く感じることがある。
むず痒い理由は、
ありのままの自分なんてぐうたらだし、そのままでいいなんて思えない。だって、現状維持は衰退だって言うじゃない
と思ってしまうからだ。
「そんな自分じゃダメだ!」と思うから、何かに挑戦する。苦手教科を勉強したり、交友関係を広げたり。実際そう考えていくつかの経験を積んできた。自己否
暮らしの幸せを守る「自分なりのルーティン」を意識してみる。
自分の中の「最低限の幸せライン」を知ることは、持続可能に生きる上でとても大切です。
わたしはどうやら、どんなに忙しくても「自分にとって幸せな時間」を守ることが大切らしいと最近気がつきました。衣食住や睡眠のほか、自分にとっては「朝晩のルーティン」が意外と大事な時間になっています。
例えばわたしの朝のルーティンは
・蒸しタオルで顔を温める
・白湯を一口でも飲む
です。
朝起きたらタオルを電子レン
相手を助ける前に、もっとわがままに自分を大切に。#わたしのcotree習慣
「気をつけてね。人から依頼されやすくてかつ出来るタイプだから、いつか疲弊して倒れるんじゃないか心配してる。」
先日先輩からこんなことを言われる機会がありました。あら、そうなのかしら…と自分ではあまり自覚がなかったのですが、最近その真意を理解できてきました。
昨年8月頃から1〜2ヶ月に一度、オンラインカウンセリングを受けています。定期カウンセリングもとうとう4回目。今回は、仕事で感じ始めた小さな
不完全なままで大丈夫。メンタルが安定したらスキルも発揮できるようになった話。
「人は心が原動力だから心はどこまでも強くなれる」
これは大ヒット映画『鬼滅の刃』の主人公である竈門炭治郎くんが言っていた言葉です。ずっと引っ掛かっていたのですが、最近少し理由がわかりました。「人は心が原動力」という部分、たしかにそうだなぁと実感する出来事があったのです。
先日会社の下半期が終わり、評価の結果が公開されました。わたしの所属するGCストーリーという会社では「スキル」「マインド」の2
怒れない自分の行く先。
怒りの感情が湧きにくい。
湧いてもすぐにしぼんで、悲しみに変わってしまう。その後はずっと、悲しみがあるだけ。向き合って、たまに逃避して、それでも向き合って、最終的にへとへとになる。
物事を切り拓いてる人たちは、みんな何かに怒っている気がする。それは社会とか、もっと大きなもののための怒り。
漠然と、怒りへの憧れがあった。怒りは明確にエネルギーだ。わたしはエネルギーが少ない気がする。悲しみと向き合
自分を否定するより、肯定して生きる方が何倍も難しい。
多かれ少なかれ「自己肯定感」を意識しながら生きてきた。極端に自己肯定感が低いとは思わないけど、タイミングによって高い時も低い時もあるだろうし、高いほうが生きやすそうだとは思っていた。
些細なことで自分を否定して、ひどい時は雪だるま式に思考が膨れ涙が枯れるまで泣き続ける。自分を否定するのはこころも身体も辛い。もっと楽しく生きられたら良いのに。
でも最近は、別に自己肯定感が高いか低いかはそれほど問
また、ほろよいを半分こしようね。
「今年のお盆は帰ってこれないよねぇ…」
という言葉を聞いた時、わたしは少しほっとした。世間的に言えば「帰ってこれない」のだろうけど、たぶん、わたしは帰らなかった。
代わりによく電話をするようになった。出来れば週に一度、20分から1時間くらい。「うん、うん、そうなんだ。」8対2くらいの会話量で、最後におやすみスタンプを送る。ラインは既読がつくから安心するのだという。
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お酒をあまり飲ま
自分の中の「化け物」と、健やかに生きていくために。定期カウンセリングを始めます。
「最近どう?元気?」と聞かれると、いつも戸惑う。ただ「元気だよ」と言えばいいのに、変に正直に「概ね元気だよ」とか「元気じゃない時もあるけど生きてるよ」と返す。
自分がどのくらい「生き辛い」のかに興味はないけど、もっと楽に生きられる方法がありそうだなとは思っている。出来るだけ元気に、幸せに、持続可能に生きたい。
そんな生き方の実現に向けて、定期的にカウンセリングを受けることにした。このnoteは
誰にも見せない文章を書く人を、わたしは信頼してしまう。
すべてが開かれた人間なんていない。どれだけ曖昧でも、自他の境界はどこかに引かれている。そして、閉ざされた側のさらに奥に、その人の人格があると思っている。
「日記をつけよう」と思いたったのは5年前だった。絶対誰にも見せず、時が来たら燃えるゴミの日に出そうと決めた。
情けない心の内、ぐちゃぐちゃな感情、家族への嫌悪、浮かれた恋心、親友への妬み、理由も分からない激情…抱え込んでいたら爆発してしまいそ
その時やさしく出来る人が、やさしくしたらいいんじゃないかな。
きみへのお手紙の、記念すべき1通目です。
どんなことを書こうかと考えて、きみとのやり取りや、きみと全く関係ないところで考えたことを短く綴る形式にしようと思いました。読むストレスがあまりかからないようにするね。
この前は電話をどうもありがとう。0時近くに急に鳴ったので少しびっくりしたけど、きみからの連絡は安心する面もあります。ヘルプを出せるってすごく大事だと思うから。
頼り下手な印象があったけ